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国土交通大臣就任中に[[構造計算書偽造問題|耐震強度偽装事件]]、豪雨災害など事件事故災害や[[日本航空]]のトラブルの多発、[[JR福知山線脱線事故|JR宝塚線]]・[[JR羽越本線脱線事故|羽越線]]・[[上越新幹線脱線事故|上越新幹線]]の脱線事故など重大事故が頻発していた。
国土交通大臣就任中に[[構造計算書偽造問題|耐震強度偽装事件]]、豪雨災害など事件事故災害や[[日本航空]]のトラブルの多発、[[JR福知山線脱線事故|JR宝塚線]]・[[JR羽越本線脱線事故|羽越線]]・[[上越新幹線脱線事故|上越新幹線]]の脱線事故など重大事故が頻発していた。


国土交通大臣就任中に[[首都圏]]に[[女性専用車両]]を多数設置した。特に[[中央快速線]]では1960年代以来の再導入となった。その後国土交通大臣の職を[[冬柴鐵三]]に譲るまで急速に導入が進んだ。<!--しかし、ただ増えただけであまり意味が無かったという声も少なくないようである。-->ちなみに北側本人の地元である[[堺]]を走行する[[阪和線]]4[[扉|ドア]]車・[[南海電気鉄道]]では大臣就任以前から設定されている。
国土交通大臣就任中に[[首都圏]]に[[女性専用車両]]を多数設置しその後国土交通大臣の職を[[冬柴鐵三]]に譲るまで急速に導入が進んだ。ちなみに北側本人の地元である[[堺]]を走行する[[阪和線]]4[[扉|ドア]]車・[[南海電気鉄道]]では大臣就任以前から設定されている。


しかし、女性専用車両以外に鉄道関係で功績を残した例は少なく、むしろ鉄道会社に締め付けを行う(先の福知山線脱線事故の際、各鉄道会社に改良型[[ATS]]の設置を義務付けたがそれはすべて各鉄道会社の負担とさせた)一方、道路関係では[[道路特定財源]]の一般財源化を渋ったり、[[高速道路]]関係では[[新直轄方式]]で建設を認めるなど、道路偏重主義に固執した大臣でもある。その為、[[トヨタ自動車|トヨタ]]のリコール問題が起きてもトヨタに対しては及び腰であった。彼は、地球温暖化の一因とされる温室効果ガスを抑制するための日本政府が主導するプロジェクトの[[チーム・マイナス6%]]のメンバーでもあるが、むしろ道路優遇・鉄道冷遇路線を取った実績から考えると、「チーム・プラス6%」の方がふさわしいと思われる。地元を走る[[阪堺電気軌道]]の存続問題についても終始冷淡であった。
[[在日コリアン]]の[[外国人参政権]]の熱心な推進者だが、[[在日本大韓民国民団]]からは実現への道筋さえ提示できないことを叱責されている。2007年11月08日の国会開催中に、在日本大韓民国民団に参加して「これまで以上に全力を尽す」と在日コリアンに約束した。
そして、道路建設を推進する[[財界]]との絡みから[[ホワイトカラーエグゼンプション]]を支持していた。

また[[在日コリアン]]の[[外国人参政権]]の熱心な推進者だが、[[在日本大韓民国民団]]からは実現への道筋さえ提示できないことを叱責されている。2007年11月08日の国会開催中に、在日本大韓民国民団に参加して「これまで以上に全力を尽す」と在日コリアンに約束した。


==関連項目==
==関連項目==

2007年11月13日 (火) 14:44時点における版

日本の旗衆議院議員 北側 一雄
生年月日 1953年3月2日
出身地 大阪府
出身校 創価大学
学位・資格 法学士・弁護士・税理士
前職 弁護士
所属委員会 衆・国家基本政策委員会委員
世襲 2世だが地盤継承していない
実父・北側義一
選出選挙区 大阪16区
当選回数 6回
所属党派 公明党
党役職 幹事長
会館部屋番号 衆・第二議員会館723号室
ウェブサイト 北がわ一雄HP
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北側 一雄(きたがわ かずお、1953年3月2日 - )は政治家弁護士税理士。 大阪16区選出の衆議院議員。当選6回。公明党所属で2006年より公明党幹事長。 実父は北側義一創価大学初の司法試験合格者。中選挙区時代の対立候補に同じ大阪弁護士会西村真悟がいる。

略歴

国土交通大臣就任中に耐震強度偽装事件、豪雨災害など事件事故災害や日本航空のトラブルの多発、JR宝塚線羽越線上越新幹線の脱線事故など重大事故が頻発していた。

国土交通大臣就任中に首都圏女性専用車両を多数設置し、その後国土交通大臣の職を冬柴鐵三に譲るまで急速に導入が進んだ。ちなみに北側本人の地元であるを走行する阪和線4ドア車・南海電気鉄道では大臣就任以前から設定されている。

しかし、女性専用車両以外に鉄道関係で功績を残した例は少なく、むしろ鉄道会社に締め付けを行う(先の福知山線脱線事故の際、各鉄道会社に改良型ATSの設置を義務付けたがそれはすべて各鉄道会社の負担とさせた)一方、道路関係では道路特定財源の一般財源化を渋ったり、高速道路関係では新直轄方式で建設を認めるなど、道路偏重主義に固執した大臣でもある。その為、トヨタのリコール問題が起きてもトヨタに対しては及び腰であった。彼は、地球温暖化の一因とされる温室効果ガスを抑制するための日本政府が主導するプロジェクトのチーム・マイナス6%のメンバーでもあるが、むしろ道路優遇・鉄道冷遇路線を取った実績から考えると、「チーム・プラス6%」の方がふさわしいと思われる。地元を走る阪堺電気軌道の存続問題についても終始冷淡であった。

そして、道路建設を推進する財界との絡みからホワイトカラーエグゼンプションを支持していた。

また在日コリアン外国人参政権の熱心な推進者だが、在日本大韓民国民団からは実現への道筋さえ提示できないことを叱責されている。2007年11月08日の国会開催中に、在日本大韓民国民団に参加して「これまで以上に全力を尽す」と在日コリアンに約束した。

関連項目

先代
石原伸晃
国土交通大臣
5・6代: 2004‐2006
次代
冬柴鐵三