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「日産・サニー」の版間の差分

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'''サニー (SUNNY)''' は、[[日産自動車]]が[[1966年]]から[[2004年]]まで製造・販売していた[[自動車]]。
'''サニー (SUNNY)''' は、[[日産自動車]]が[[1966年]]から[[2004年]]まで製造・販売していた[[自動車]]。


== 概要 ==
== 概要 ==
1960年代の日本における[[モータリゼーション]]の進展に対応して開発され、以後1980年代にかけて長く日産の最小排気量クラスを担う主力車種<ref>モデルチェンジによる大型化と上級移行により、1990年代以降は格下のコンパクトカーである[[日産・マーチ|マーチ]]や[[日産・キューブ|キューブ]]などにその座を譲る。</ref>として、高度成長期のベストセラーカーとなった。1980年代に至るまで、日本の小型大衆車の中でも[[トヨタ・カローラ]]と双璧をなす存在で、その最盛期には販売台数を熾烈に争ったことで知られる。<!--最初に乗った車はサニーかカローラ、あるいは[[日産・ブルーバード|ブルーバード]]か[[トヨタ・コロナ|コロナ]]だった、という世代が多い。-->
1960年代の日本における[[モータリゼーション]]の進展に対応して開発され、以後1980年代にかけて長く日産の最小排気量クラスを担う主力車種<ref>モデルチェンジによる大型化と上級移行により、1990年代以降は格下のコンパクトカーである[[日産・マーチ|マーチ]]や[[日産・キューブ|キューブ]]などにその座を譲る。</ref>として、高度成長期のベストセラーカーとなった。1980年代に至るまで、日本の小型大衆車の中でも[[トヨタ・カローラ]]と双璧をなす存在で、その最盛期には販売台数を熾烈に争ったことで知られる。


ボディタイプは2ドアセダンからスタートし、4ドアセダン、2ドア[[クーペ]]、3ドアクーペ、[[ピックアップトラック]]、2ドア[[ライトバン]]、4ドアライトバン、[[ステーションワゴン]]([[日産・サニーカリフォルニア|カリフォルニア]])、3ドア[[ハッチバック]]などのバリエーションが存在した。経済的な大衆車として市場の定評を長く保ったが、1990年代以降、日産自動車の販売施策低迷と、セダン主力の車種構成が時流に合わなかったことで人気を落とし、2004年の車名廃止に至った。
ボディタイプは2ドアセダンからスタートし、4ドアセダン、2ドア[[クーペ]]、3ドアクーペ、[[ピックアップトラック]]、2ドア[[ライトバン]]、4ドアライトバン、[[ステーションワゴン]]([[日産・サニーカリフォルニア|カリフォルニア]])、3ドア[[ハッチバック]]などのバリエーションが存在した。経済的な大衆車として市場の定評を長く保ったが、1990年代以降、日産自動車の販売施策低迷と、セダン主力の車種構成が時流に合わなかったことで人気を落とし、2004年の車名廃止に至った。
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| 自由項目2(内容)=1000
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| 先代=
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| 同クラス=[[トヨタ・カローラ]]</br>[[マツダ・ファミリア]]
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[[1965年]]12月に、日産自動車としては初の新型車名公募キャンペーン実施、[[ティザー広告|ティザー]]/プレキャンペーンをマスコミで展開。翌1966年2月、約800万通の応募からサニー<ref>「太陽がいっぱい」と言う意味。一般公募により、応募総数848万3,105通の中から名づけられた。この時点で「サニー」は[[ソニー]]により商標登録されていたので、ソニーからの許諾をとった上で商標とした。</ref>が決定された。
[[1965年]]12月に、日産自動車としては初の新型車名公募キャンペーン実施、[[ティザー広告|ティザー]]/プレキャンペーンをマスコミで展開。翌1966年2月、約800万通の応募からサニー<ref>「太陽がいっぱい」と言う意味。一般公募により、応募総数848万3,105通の中から名づけられた。この時点で「サニー」は[[ソニー]]により商標登録されていたので、ソニーからの許諾をとった上で商標とした。</ref>が決定された。
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| 自由項目2(項目名)=データモデル
| 自由項目2(項目名)=データモデル
| 自由項目2(内容)=4ドア 1200GL 4速MT(前期型)
| 自由項目2(内容)=4ドア 1200GL 4速MT(前期型)
| 同クラス=[[トヨタ・カローラ]]</br>[[マツダ・ファミリア]]
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[[1970年]]1月にB110型にモデルチェンジ。ボディタイプは2ドア/4ドアセダン、2ドアクーペ、バンの4種類。車体は若干大型化され、初代モデルの華奢な印象を払拭した。エンジンは直列4気筒OHV [[日産・A型エンジン|A12]]型1200ccエンジン<ref>キャッチコピーは、当時ライバルのカローラが1100ccだったこともあり、「'''隣りのクルマが小さく見える(見えます)'''」だった。</ref>
[[1970年]]1月にB110型にモデルチェンジ。ボディタイプは2ドア/4ドアセダン、2ドアクーペ、バンの4種類。車体は若干大型化され、初代モデルの華奢な印象を払拭した。エンジンは直列4気筒OHV [[日産・A型エンジン|A12]]型1200ccエンジン。


[[1971年]]4月には4ドアセダン、クーペに「エクセレント・シリーズ」が追加された。オリジナル車に対してフロントオーバーハングを130mm、ホイールベースが40mmそれぞれ延長された。エンジンは[[ロータリーエンジン]]は間に合わずレシプロのみでのデビューとなったが、サニーとしては初となる、[[SOHC]]エンジンである直列4気筒SOHC[[日産・L型エンジン|L14]]型1400ccを搭載。半球型の燃焼室を持ち[[クロスフロー]]センタープラグ式ながらOHVであった[[トヨタ・T型エンジン|T型エンジン]]搭載モデルのE20系カローラ1400モデルを意識したものだった。
[[1971年]]4月には4ドアセダン、クーペに「エクセレント・シリーズ」が追加された。オリジナル車に対してフロントオーバーハングを130mm、ホイールベースが40mmそれぞれ延長された。エンジンは[[ロータリーエンジン]]は間に合わずレシプロのみでのデビューとなったが、サニーとしては初となる、[[SOHC]]エンジンである直列4気筒SOHC[[日産・L型エンジン|L14]]型1400ccを搭載。半球型の燃焼室を持ち[[クロスフロー]]センタープラグ式ながらOHVであった[[トヨタ・T型エンジン|T型エンジン]]搭載モデルのE20系カローラ1400モデルを意識したものだった。
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| 自由項目2(項目名)=データモデル
| 自由項目2(項目名)=データモデル
| 自由項目2(内容)=4ドアセダン 1200GL 4速MT(前期型)
| 自由項目2(内容)=4ドアセダン 1200GL 4速MT(前期型)
| 同クラス=[[トヨタ・カローラ]]</br>[[マツダ・ファミリア]]<br />[[三菱・ランサー]]
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[[1973年]]5月にB210型にモデルチェンジ。ひと回り大きくなり、同社の[[日産・チェリー|チェリー]]や[[日産・ブルーバード|610型ブルーバードU]]などにも通じる近代的なデザインとなるが、商業戦略上の肥大化とも言えた。ホイールベースは共通で、エクセレントはフロントオーバーハングの若干の延長にとどまる。
[[1973年]]5月にB210型にモデルチェンジ。ひと回り大きくなり、同社の[[日産・チェリー|チェリー]]や[[日産・ブルーバード|610型ブルーバードU]]などにも通じる近代的なデザインとなるが、商業戦略上の肥大化とも言えた。ホイールベースは共通で、エクセレントはフロントオーバーハングの若干の延長にとどまる。
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| 同クラス=[[トヨタ・カローラ]]</br>[[マツダ・ファミリア]]<br />[[三菱・ランサー]]
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[[1977年]]11月にB310型にモデルチェンジ。[[オイルショック]]後のベーシックカーとして、B210系での反省から機能的で簡潔な直線的造形へと回帰した。
[[1977年]]11月にB310型にモデルチェンジ。[[オイルショック]]後のベーシックカーとして、B210系での反省から機能的で簡潔な直線的造形へと回帰した。
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| 自由項目2(項目名)=データモデル
| 自由項目2(項目名)=データモデル
| 自由項目2(内容)=4ドアセダン1500SGX-E 5速MT(前期型)
| 自由項目2(内容)=4ドアセダン1500SGX-E 5速MT(前期型)
| 同クラス=[[トヨタ・カローラ]]</br>[[マツダ・ファミリア]]<br />[[三菱・ランサー]]
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[[1981年]]10月にB11型にモデルチェンジ。時代の趨勢に合わせて駆動方式を前輪駆動に改め、エンジンも一新。[[SOHC]]へ移行、サニー初の[[タイミングベルト]]駆動となる。
[[1981年]]10月にB11型にモデルチェンジ。時代の趨勢に合わせて駆動方式を前輪駆動に改め、エンジンも一新。[[SOHC]]へ移行、サニー初の[[タイミングベルト]]駆動となる。
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| 3枚目画像名=
| 3枚目画像名=
| 製造期間=1985年-1990年
| 製造期間=1985年-1990年
| ボディタイプ=4ドアセダン、3ドアハッチバック</br>ワゴン、2ドア[[クーペ]]
| ボディタイプ=4ドアセダン、3ドアハッチバック</br>ワゴン
| エンジン=直列4気筒1.6L CA16DE<br />1.5L E15ET/E15E→GA15E/E15S→GA15S<br />1.3L E13S</br>直列4気筒ディーゼル1.7L CD17
| エンジン=直列4気筒1.6L CA16DE<br />1.5L E15ET/E15E→GA15E/E15S→GA15S<br />1.3L E13S</br>直列4気筒ディーゼル1.7L CD17
| モーター=
| モーター=
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| 自由項目2(項目名)=データモデル
| 自由項目2(項目名)=データモデル
| 自由項目2(内容)=セダン 1500スーパーサルーン 5速MT(前期型)
| 自由項目2(内容)=セダン 1500スーパーサルーン 5速MT(前期型)
| 同クラス=[[トヨタ・カローラ]]</br>[[マツダ・ファミリア]]<br />[[三菱・ランサーフィオーレ]]
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[[1985年]]9月にB12型にモデルチェンジ。通称「'''トラッドサニー'''」。デザイン、構造において、1984年から日産でライセンス生産を行っていた[[フォルクスワーゲン・サンタナ|VWサンタナ]]の影響を受け、品質・性能とも大きく向上を果たしたモデルである。B11系では未熟な面もあった日産の前輪駆動システムは、このモデルにおいて大幅な改善を達成した。
[[1985年]]9月にB12型にモデルチェンジ。通称「'''トラッドサニー'''」。デザイン、構造において、1984年から日産でライセンス生産を行っていた[[フォルクスワーゲン・サンタナ|VWサンタナ]]の影響を受け、品質・性能とも大きく向上を果たしたモデルである。B11系では未熟な面もあった日産の前輪駆動システムは、このモデルにおいて大幅な改善を達成した。
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| 自由項目2(項目名)=データモデル
| 自由項目2(項目名)=データモデル
| 自由項目2(内容)=1500スーパーサルーン 4速AT(前期型)
| 自由項目2(内容)=1500スーパーサルーン 4速AT(前期型)
| 同クラス=[[トヨタ・カローラ]]</br>[[マツダ・ファミリア]]<br />[[三菱・ランサー]]
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[[1990年]]1月にB13型にモデルチェンジ。歴代モデルで最も高品質を追求したのが特徴。ボディは4ドアセダンのみ。クーペモデルはサニーの名を冠せず[[日産・NXクーペ|NXクーペ]]となる。
[[1990年]]1月にB13型にモデルチェンジ。歴代モデルで最も高品質を追求したのが特徴。ボディは4ドアセダンのみ。クーペモデルはサニーの名を冠せず[[日産・NXクーペ|NXクーペ]]となる。
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| 自由項目2(項目名)=データモデル
| 自由項目2(項目名)=データモデル
| 自由項目2(内容)=スーパーサルーン 5速MT(前期型)
| 自由項目2(内容)=スーパーサルーン 5速MT(前期型)
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[[1994年]]1月に、B14型にモデルチェンジ。ユーザーの若返りや、大幅なコストダウン<ref>90年代は、バブル経済の失速&崩壊、社会情勢的に自動車の環境&安全性能の向上が至上命令となり、開発費や設備投資への巨額な費用捻出のため、日産に限らず、多くの自動車メーカーが大幅なコスト削減の対応に追われていた。</ref>を課題として開発された。ボディタイプは4ドアセダンのみ<ref>当初、Y10型ADバン/ADワゴンベースの「'''サニー・カリフォルニア'''」が併売されていたが、[[1996年]][[5月]]に同Y10型「[[日産・ウイングロード|ウイングロード]]」が登場したのを期に、モデル廃止となった。</ref>。ただしクーペモデルの[[日産・ルキノ|ルキノ]]は、前期型のみサニー・ルキノの名でも販売されていた。
[[1994年]]1月に、B14型にモデルチェンジ。ユーザーの若返りや、大幅なコストダウン<ref>90年代は、バブル経済の失速&崩壊、社会情勢的に自動車の環境&安全性能の向上が至上命令となり、開発費や設備投資への巨額な費用捻出のため、日産に限らず、多くの自動車メーカーが大幅なコスト削減の対応に追われていた。</ref>を課題として開発された。ボディタイプは4ドアセダンのみ<ref>当初、Y10型ADバン/ADワゴンベースの「'''サニー・カリフォルニア'''」が併売されていたが、[[1996年]][[5月]]に同Y10型「[[日産・ウイングロード|ウイングロード]]」が登場したのを期に、モデル廃止となった。</ref>。ただしクーペモデルの[[日産・ルキノ|ルキノ]]は、前期型のみサニー・ルキノの名でも販売されていた。
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==== モータースポーツ ====
==== モータースポーツ ====
=====[[全日本ツーリングカー選手権 (1994年-1998年)|全日本ツーリングカー選手権 (JTCC)]] への参戦=====
=====全日本ツーリングカー選手権 (JTCC) への参戦=====
エンジンをSR20DEに換装したB14型サニーが1994年・1995年のオールシーズンと1996年のシーズン途中まで参戦<ref>メンテナンスは東名エンジニアリング。</ref>。
エンジンをSR20DEに換装したB14型サニーが1994年・1995年のオールシーズンと1996年のシーズン途中まで参戦<ref>メンテナンスは東名エンジニアリング。</ref>。


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ちなみに、このJTCCレースカーはその後、東南アジア・ツーリングカー・ゾーン・チャレンジ(SEATCZC)に地元チームの手で参戦。現在は日産の座間事業所内にある座間記念車庫に保管されている。
ちなみに、このJTCCレースカーはその後、東南アジア・ツーリングカー・ゾーン・チャレンジ(SEATCZC)に地元チームの手で参戦。現在は日産の座間事業所内にある座間記念車庫に保管されている。


=====[[ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル|NISMO]] 180Rの存在=====
=====NISMO 180Rの存在=====
B14型サニーの[[全日本ツーリングカー選手権 (1994年-1998年)|JTCC]]参戦記念モデルとして、NISMOでは1,800ccの4ドアセダンをベースにNISMO 180Rというロードコンプリートカーを企画。車名は最大出力である180馬力に由来し、走行可能なプロトタイプが1台のみ製作されたが、市販化はされなかった。
B14型サニーの[[全日本ツーリングカー選手権 (1994年-1998年)|JTCC]]参戦記念モデルとして、[[ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル|NISMO]]では1,800ccの4ドアセダンをベースにNISMO 180Rというロードコンプリートカーを企画。車名は最大出力である180馬力に由来し、走行可能なプロトタイプが1台のみ製作されたが、市販化はされなかった。


エンジンはSR20DEファインチューニング版を搭載し、ニスモ製強化サスペンションと15インチアルミホイールを装着。ニスモ製エアロパーツをフル装着。
エンジンはSR20DEファインチューニング版を搭載し、ニスモ製強化サスペンションと15インチアルミホイールを装着。ニスモ製エアロパーツをフル装着。
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| 自由項目1(項目名)=ブレーキ
| 自由項目1(項目名)=ブレーキ
| 自由項目1(内容)=前:ディスク</br>後:ドラム
| 自由項目1(内容)=前:ディスク</br>後:ドラム
| 同クラス=[[トヨタ・カローラ]]<br />[[三菱・ランサー]]
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[[1998年]]10月にB15型にモデルチェンジ。ボディタイプは4ドアセダンのみ。プラットフォームは[[日産・MSプラットフォーム|MSプラットフォーム|]]。
[[1998年]]10月にB15型にモデルチェンジ。ボディタイプは4ドアセダンのみ。プラットフォームは[[日産・MSプラットフォーム|MSプラットフォーム|]]。
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最終型にあたる9代目(B15型)サニーはその伝統に沿った昔ながらの生真面目で尚且つ堅実な内容のコンパクトセダンではあったが、市場における車種の多様化とミニバン指向で日本市場での低迷は著しく、ユーザー層の縮小と高齢化傾向も非常に顕著で、発展性が非常に乏しくなっていた。日産は企業改革および変革の一策として、ブランドとしての寿命が明らかに尽きた「サニー」に見切りを付けたと言える。
最終型にあたる9代目(B15型)サニーはその伝統に沿った昔ながらの生真面目で尚且つ堅実な内容のコンパクトセダンではあったが、市場における車種の多様化とミニバン指向で日本市場での低迷は著しく、ユーザー層の縮小と高齢化傾向も非常に顕著で、発展性が非常に乏しくなっていた。日産は企業改革および変革の一策として、ブランドとしての寿命が明らかに尽きた「サニー」に見切りを付けたと言える。

====年表====
====年表====
*[[1999年]]9月 - YD22DD型NEO Di直噴ディーゼル搭載車を追加。
*[[1999年]]9月 - YD22DD型NEO Di直噴ディーゼル搭載車を追加。
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*[[2002年]]5月13日 - マイナーチェンジ。
*[[2002年]]5月13日 - マイナーチェンジ。
*[[2003年]]5月20日 - 日産自動車創業70周年記念車を発売。
*[[2003年]]5月20日 - 日産自動車創業70周年記念車を発売。
*[[2004年]]10月 - 生産終了。38年の歴史に幕。鑑定上の後継モデルは4ドアセダンの[[日産・ティーダラティオ|ティーダラティオ]]
*[[2004年]]10月 - 生産終了。38年の歴史に幕。
*[[2005年]]2月 - [[パキスタン]]へ輸出開始。
*[[2005年]]2月 - [[パキスタン]]へ輸出開始。


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{{Commons|Category:Nissan Sunny}}
{{Commons|Category:Nissan Sunny}}
{{Commons|Category:Nissan Sentra|日産・セントラ}}
{{Commons|Category:Nissan Sentra|日産・セントラ}}
*[[日産・サニートラック]]
*[[日産・サニートラック]] - 派生車(ピックアップトラック)
*[[日産・サニーカリフォルニア]] - 派生車(ステーションワゴン)
*[[日産・サニーRZ-1]] - 派生車(B12型のクーペ仕様)
*[[日産・ローレルスピリット]] - B11、B12型の姉妹車。日産モーター店で発売された。
*[[日産・ルキノ]]
*[[日産・NXクーペ]]
*[[日産・スタンザ]]
*[[日産・スタンザ]]
*[[日産・サニーカリフォルニア]]
*[[日産・サニーRZ-1]]
*[[日産・AD]]
*[[日産・AD]]
*[[日産・セントラ]]
*[[日産・セントラ]]
*[[日産・パルサー]]
*[[日産・パルサー]]
*[[日産・ローレルスピリット]]
*[[日産・NXクーペ]]
*[[日産・プレセア]]
*[[日産・プレセア]]
*[[日産・ラシーン]]
*[[日産・ラシーン]]
*[[日産・ルキノ]]
*[[日産・ウイングロード]]
*[[日産・ウイングロード]]
*[[日産・ティーダラティオ]]
*[[日産・ティーダラティオ]]

2008年11月5日 (水) 12:45時点における版

サニー (SUNNY) は、日産自動車1966年から2004年まで製造・販売していた自動車

概要

1960年代の日本におけるモータリゼーションの進展に対応して開発され、以後1980年代にかけて長く日産の最小排気量クラスを担う主力車種[1]として、高度成長期のベストセラーカーとなった。1980年代に至るまで、日本の小型大衆車の中でもトヨタ・カローラと双璧をなす存在で、その最盛期には販売台数を熾烈に争ったことで知られる。

ボディタイプは2ドアセダンからスタートし、4ドアセダン、2ドアクーペ、3ドアクーペ、ピックアップトラック、2ドアライトバン、4ドアライトバン、ステーションワゴンカリフォルニア)、3ドアハッチバックなどのバリエーションが存在した。経済的な大衆車として市場の定評を長く保ったが、1990年代以降、日産自動車の販売施策低迷と、セダン主力の車種構成が時流に合わなかったことで人気を落とし、2004年の車名廃止に至った。

歴史

1960年代初頭、日産自動車では1000cc-1200cc級の小型乗用車「ブルーバード」の初代モデル310系が大成功を収め、続く2代目モデルの410系はスタイリングが市場の不評を買ったものの、小型車市場での地歩を確実に固めつつあった。

しかし、410系ブルーバードが1200cc以上を主力とするモデルに移行したため、日産には、ブルーバードより若干小型で軽自動車との中間クラスに当たる700cc-1000cc級のベーシックカーが存在しない状態となった。当時最大のライバルであったトヨタ自動車工業は、700cc級の「パブリカ」をエントリーモデルとして市場に送り出し一定の成果を収めつつあり、その他の中堅メーカー各社も、700cc-1000cc級の小型車で市場参入を進めていた。

日産車内ではこれを危惧して、ブルーバードより小型のモデルを開発しようとする動きがあったが、当時の日産自動車トップであったワンマン社長・川又克二は、ブルーバードと同志討ちになりかねないエントリーモデルの開発には当初消極的で「お金のない方はブルーバードの中古をお買いになればよろしい」と評する始末であった。営業陣は商用車開発などの名目で川又を説き伏せ、ようやく小型ベーシックカーの開発にこぎ着けた。サニーが大成功したことで、川又も部下たちに対し「(サニーの開発を)やっておいて良かったな」と反省の弁を残している。

こうしてサニーは、1980年代後半に至るまで人気シリーズとして日産のメインストリーム的な車種となった。とはいえ、サニーの登場からおよそ7ヶ月後に遅れて登場した競合車種(同クラス)のトヨタ・カローラには、走行性能面で互角あるいはそれ以上のポテンシャルを備えながら、ユーザーを惹き付けるデザインやアコモデーションなどのクオリティ(品質感)などで一歩譲るところがあり、販売面では常にカローラの後塵を拝し続けることになり、それ以後はカローラを永遠のライバルとして見なすようになる。しかし1990年代の中期以降、日産車全体のシェア低迷と歩調を揃えるかのように回を重ねる毎に販売実績が減少し、市場でもある意味で半ば忘れかけられた存在となって、最終的に当ブランドの消滅を迎えたのである。

初代 B10型(1966年-1970年)

ダットサン・サニー(B10型)
前期型 2ドアセダン
後期型 4ドアセダン
ボディ
乗車定員 5人
ボディタイプ 2・4ドアセダン、2ドアクーペ
2・4ドアライトバン、トラック
駆動方式 FR
パワートレイン
エンジン 直列4気筒 1.0LOHV A10
変速機 3速AT/4速MT/3速MT
前:ウィッシュボーン・リーフ
後:リジッド・リーフ
前:ウィッシュボーン・リーフ
後:リジッド・リーフ
車両寸法
ホイールベース 2,280mm
全長 3,820mm
全幅 1,445mm
全高 1,345mm
車両重量 645kg
その他
ブレーキ 4輪ドラム
データモデル 1000
テンプレートを表示

1965年12月に、日産自動車としては初の新型車名公募キャンペーン実施、ティザー/プレキャンペーンをマスコミで展開。翌1966年2月、約800万通の応募からサニー[2]が決定された。

その後1966年4月にB10型2ドアセダン発売開始。発売当初は「ダットサンサニー」。

大型プレス材を用いて少ないパーツで組み上げられた軽量モノコックボディのデザインは、サイズやサスペンション構造共々、1960年代に開発されたドイツのオペル・カデットやイギリスのボクスホール・ビバの影響が非常に強いものであった。アメリカ資本の欧州メーカー製小型乗用車からの影響は、後輪駆動時代のサニー、カローラ双方において非常に色濃い。

ボディタイプは順次追加され、2ドア/4ドアセダン、2ドアクーペ、2ドア/4ドアライトバン、トラックの計6種類のラインナップとなる。

また、その後改良を受けつつ30年にわたって作り続けられた傑作エンジン「A型」は、もともと初代サニー用に開発された(直列4気筒 1,000cc ハイカムシャフトOHVA10型)。軽量・簡潔でバランスの良い経済型エンジンであるだけでなく、高回転まで軽快に回る良好な特性を備え、レーシングエンジンとしてのチューニング・ポテンシャルも高かった。当初3ベアリング仕様だったが、のち5ベアリング仕様となって強化されている。

年表

  • 1966年4月 - 発売開始。
  • 1967年4月 - 4ドアセダン発売。4速マニュアル・フロアシフトのスポーツ・シリーズおよび、クラス初となる3速オートマチック車を追加。
  • 1967年7月 - 最初のマイナーチェンジ。
  • 1968年3月 - ファストバックスタイルの2ドアクーペ(KB10型)を追加。荷室はレジャーユースに対応したトランクスルー式となった。
  • 1968年10月 - マイナーチェンジ
  • 1969年8月 - 上級グレード「GL」を設定。
  • 1970年 生産終了。B110型にバトンタッチ。

日本国内市場・輸出市場の両面で好成績を収めたが、簡素なスタイルは軽量化に資し高性能化に役立った一方で、後から出現したトヨタ・カローラに比較され、華奢な印象を持たれ、更に煮え湯を飲まされた感が強い。以後のサニーの歴史は、常にカローラの後を追い、カローラの戦略に対抗することに多くを費やされたきらいが強い。

主なレース戦歴

  • 1967年10月 - オーストラリアバサースト500マイルレースに出場、ワンツーフィニッシュを飾る。
    • ロクスバーグル・ホワイトフォード組(共にオーストラリア)がクラス優勝[3]高橋国光・大石秀夫組が2位となる。これがB10型サニーのメジャーレースでの初陣である。
  • 1968年 - マレーシアGPでクラス優勝[4]、総合で6位。
  • 1968年8月 - 全日本選手権、雨の鈴鹿サーキットで宿敵カローラを下す。ドライバーは北野元

2代目 B110型(1970年-1973年、トラック1971年-1994年)

ダットサン・サニー(B110型)
セダン1200GLスポーツ(前期型)
ボディ
乗車定員 5人
ボディタイプ 2ドア/4ドアセダン
2ドアクーペ
バン
駆動方式 FR
パワートレイン
エンジン 直列4気筒1.2L OHV A12
直列4気筒1.4L SOHC L14
変速機 3速AT/5速MT/4速MT
前:マクファーソンストラットコイル
後:リジット半楕円リーフ
前:マクファーソンストラットコイル
後:リジット半楕円リーフ
車両寸法
ホイールベース 2,300mm
全長 3,830mm
全幅 1,495mm
全高 1,390mm
車両重量 705kg
その他
ブレーキ 前:ディスク
後:ドラム
データモデル 4ドア 1200GL 4速MT(前期型)
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1970年1月にB110型にモデルチェンジ。ボディタイプは2ドア/4ドアセダン、2ドアクーペ、バンの4種類。車体は若干大型化され、初代モデルの華奢な印象を払拭した。エンジンは直列4気筒OHV A12型1200ccエンジン。

1971年4月には4ドアセダン、クーペに「エクセレント・シリーズ」が追加された。オリジナル車に対してフロントオーバーハングを130mm、ホイールベースが40mmそれぞれ延長された。エンジンはロータリーエンジンは間に合わずレシプロのみでのデビューとなったが、サニーとしては初となる、SOHCエンジンである直列4気筒SOHCL14型1400ccを搭載。半球型の燃焼室を持ちクロスフローセンタープラグ式ながらOHVであったT型エンジン搭載モデルのE20系カローラ1400モデルを意識したものだった。

B120型サニートラックは、B110型が生産終了後もマイナーチェンジを受け、日本国内向けは1994年3月まで、23年間生産が続けられた。後継モデルのB210系がピックアップトラック化に適さない設計であったことが原因であるが、B120の設計が優れていたことも一因である。B120系列は「サニトラ」の愛称で広く親しまれた。

通常モデルは軽量でかつドライバビリティに優れ、トータルバランスで卓越した傑作大衆車であった。アメリカ市場では、当時のアメリカでの市販車で最良の省燃費車であることが燃費テストによって判明し、市場から評価されて、日産車の販売実績向上に貢献した。

また日本ではレーシングマシンのベースカーとして成功を収め、生産中止後も非常に長期に渡ってレースフィールドでの強豪モデルとしての地位を保ち続けたことで有名である。レースチューニングされたA型エンジンは10,000rpmを超える高回転に達し、変哲もない実用向けの原設計からは想像しがたいほどの驚異的ポテンシャルを見せた。

しかしながら、位置付けの中途半端な豪華版の「エクセレント・シリーズ」という派生型の出現は、サニーの販売戦略(更には日産の乗用車販売戦略全体)の不安定なぶれを露呈したものであった。これ以降のサニーとブルーバードの開発・販売施策は、競合するトヨタのカローラとコロナ、マークIIに後々まで翻弄され続けることになるのである。

年表

  • 1970年1月 - B110型にモデルチェンジ。
  • 1970年4月 - セダン、クーペにSU型ツインキャブを搭載するスポーティグレード「GX」追加。
  • 1971年2月 - トラックもフルモデルチェンジでB120型へ。
  • 1971年4月 - 4ドアセダン、クーペに「エクセレント・シリーズ」を追加。
  • 1972年1月 - マイナーチェンジ。内外装の小変更。フロント/リヤのフェイスリフトとメーターパネルの枠を丸型から角型に変更。
  • 1972年8月 - 1200GXシリーズに5速MT搭載車「GX5」を追加。
  • 1972年10月 - 第19回東京モーターショーロータリーエンジン[5]搭載車が参考出品。
  • 1973年5月 - わずか3年4ヶ月で販売終了。B210型にバトンタッチ。

主なレース戦歴

  • 1970年11月23日 - 「全日本富士ストックカー200マイルレース」TS1300クラスでレースデビュー。優勝。
  • 1973年5月 - 「'73日本グランプリ」Tsaクラスにて「エクセレントクーペ」優勝。
    • ドライバーは北野元。その後、B210型が登場後もB110型は1982年までレースで活動を続けた。
  • 1974年5月 - 「74全日本選手権鈴鹿フォーミュラレース」SS1クラスにて「サニークーペ」優勝。
  • 1974年11月 - 「74 JAFグランプリ」SS1クラスにて「サニークーペ」1-2位獲得。
  • 1975年5月 - 「75日本グランプリ」TSクラスにて「サニークーペ」2位獲得。
  • 1977年6月 - 「JAF富士グランプリ」TSクラスにて「サニークーペ」2位獲得。

このような華やかな戦歴から、未だに人気があるモデルで、現在でも草レースなどでは現役で活躍している車もある。

3代目 B210型(1973年-1977年)

ダットサン・サニー(B210型)
クーペ 1400エクセレント
ボディ
乗車定員 5人
ボディタイプ 2・4ドアセダン
クーペ
2・4ドアバン
駆動方式 FR
パワートレイン
エンジン 直列4気筒1.2L OHV A12
直列4気筒1.4L SOHC L14
直列4気筒1.6L SOHC L16
変速機 3速AT/5速MT/4速MT
前:マクファーソンストラット・コイル
後:リジット・リーフ
前:マクファーソンストラット・コイル
後:リジット・リーフ
車両寸法
ホイールベース 2,340mm
全長 3,950mm
全幅 1,545mm
全高 1,370mm
車両重量 775kg
その他
ブレーキ 前:ディスク
後:ドラム
データモデル 4ドアセダン 1200GL 4速MT(前期型)
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1973年5月にB210型にモデルチェンジ。ひと回り大きくなり、同社のチェリー610型ブルーバードUなどにも通じる近代的なデザインとなるが、商業戦略上の肥大化とも言えた。ホイールベースは共通で、エクセレントはフロントオーバーハングの若干の延長にとどまる。

ボディタイプは2ドア/4ドアセダンとクーペ、2ドア/4ドアバンの5種類。この型からクーペは大型のハッチバックを持つ形状になった。

また、先代同様、1200ccのA12型エンジンとエクセレント用1400cc・L14型エンジンの2種の排気量を持ち、それぞれにシングルキャブ仕様とツインキャブ仕様を設定。

エクセレントにはサーボ付ディスクブレーキが全車に標準装備された。ただし、サニー1200ではデラックス以下はドラムブレーキとなる。

1976年2月にはマイナーチェンジが行われ、エクセレント用のエンジンが1400cc・SOHCのL14型から1600cc・SOHCのL16型に変更された。また、1400ccエンジン車にはかわりにF10型チェリー用のOHV・A14型エンジンが搭載された。1200ccのA12型は引き続き搭載。

同年7月にはツインキャブレターを装備したスポーティな1400GXツインが登場。

1977年にB310型にバトンタッチし、生産終了。

4代目 B310型(1977年-1981年、バン1977年-1983年)

ダットサン・サニー(B310型)
4ドアセダン(後期型)
ボディ
乗車定員 5人
ボディタイプ 2・4ドアセダン
3ドアハッチバッククーペ
2・4ドアバン
駆動方式 FR
パワートレイン
エンジン 直列4気筒1.2L OHV A12A
直列4気筒1.3L OHV A13
直列4気筒1.4L OHV A14
直列4気筒1.5L OHV A15
変速機 3速AT/5速MT/4速MT
前:マクファーソンストラット・コイル
後:4リンク・コイル
前:マクファーソンストラット・コイル
後:4リンク・コイル
車両寸法
ホイールベース 2,340mm
全長 3,995mm
全幅 1,590mm
全高 1,370mm
車両重量 840kg
その他
ブレーキ 前:ディスク
後:ドラム
データモデル 4ドアセダン 1400SGL 4速MT(前期型)
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1977年11月にB310型にモデルチェンジ。オイルショック後のベーシックカーとして、B210系での反省から機能的で簡潔な直線的造形へと回帰した。

エクセレントシリーズは廃止され、全車OHV・A型エンジン搭載車(1200ccのA12A型と1400ccのA14型)のみとなった。また、このモデルはトラックのB120型を除きサニーとしては最後の後輪駆動車である。

1978年12月には一部改良がおこなわれ、フロンドディスクブレーキが拡大採用され、衝撃吸収バンパーが新設された。また、バンにシティDX及びスーパーDX-Aを追加し、バンのスタンダード仕様はこの一部改良でさらに廉価仕様となる。

1979年10月のマイナーチェンジではバン以外のフロントノーズのスラント化と同時にリヤナンバープレートの位置がバンパー上に移動され、当時流行の角型ヘッドライトなどを採用(バンを除く)した。バンは従来顔のまま54年排ガス規制適合でB311型へ。

1980年11月のマイナーチェンジでは1200を1300(1300ccのA13型)に、1400を1500(1500ccのA15型)にそれぞれ変更し、外装は、フロントグリル中央横方向に一本、カラーラインが入った。また、フロントグリルはファミリータイプには横バーグリルに青い「S」バッチ、スポーティタイプにはハニカムグリルに赤い「S」バッチが採用されていた。

年表

  • 1977年11月 - B130型にモデルチェンジ。同月、国内登録累計300万台達成。
  • 1978年2月 - 電子制御噴射装置を搭載する1400GX-E、1400SGX-E仕様追加。
  • 1978年5月 - セダンシティDX追加。
  • 1978年8月 - 輸出累計200万台を突破。
  • 1978年12月 - 一部改良。
  • 1979年1月 - バンとは異なるシルエットを持つステーションワゴン[6]の「サニーカリフォルニア」を追加。
  • 1979年10月 - マイナーチェンジ。
  • 1980年11月 - マイナーチェンジ。
  • 1981年10月 セダン・クーペ・ワゴン生産終了。バンはマイナーチェンジしB312型となる。
  • 1982年10月 ADバンの登場で4ドアバン生産終了。2ドアバンは継続。
  • 1983年7月 ADバン2ドアの追加により2ドアバン生産終了。

5代目 B11型(1981年-1985年)

日産・サニー(B11型)
前期型
ボディ
乗車定員 5人
ボディタイプ 2・4ドアセダン/ワゴン
3ドアハッチバッククーペ(前期型)
3ドアハッチバック(後期型)
駆動方式 FF
パワートレイン
エンジン 1.3L E13S型
1.5L E15S型/E15E型/E15ET型
1.7Lディーゼル CD17型
変速機 3速AT/5速MT/4速MT
前:マクファーソンストラット・コイル
後:トレーリングアーム・コイル
前:マクファーソンストラット・コイル
後:トレーリングアーム・コイル
車両寸法
ホイールベース 2,400mm
全長 4,135mm
全幅 1,620mm
全高 1,390mm
車両重量 810kg
その他
ブレーキ 前:ディスク
後:ドラム
データモデル 4ドアセダン1500SGX-E 5速MT(前期型)
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1981年10月にB11型にモデルチェンジ。時代の趨勢に合わせて駆動方式を前輪駆動に改め、エンジンも一新。SOHCへ移行、サニー初のタイミングベルト駆動となる。

それまで日本国内で「ダットサン」ブランドで販売されていたサニーも、B11型へのフルモデルチェンジを機に、正式車名を「日産・サニー」へと切り替える[7]

ボディタイプは4ドアセダン、3ドアハッチバッククーペ、5ドアワゴン[8](カリフォルニア)。先代モデルまで存在した2ドアセダンは輸出仕様のセントラには継続して設定され、バンはB11型のコンポーネンツを流用したADバンとして独立している。

1982年9月には4ドアセダン、3ドアハッチバッククーペに1,487ccターボチャージャー付 E15ET型搭載の「ターボルプリ」が追加された。鏡文字の「TURBO」が書かれたラジエタ-グリルを特徴とする。

また、1982年10月には4ドアセダンおよびカリフォルニアにサニー初のディーゼルエンジン車が設定され、直列4気筒SOHC・1680ccのCD17型を採用した。最高出力はグロス値で61馬力を発生した。

1983年10月にはマイナーチェンジが行われ、それを機に3代目B210型より続いてきた6ライトウィンドウ&ファストバックスタイルの3ドアハッチバッククーペが廃止された。さらに、世界的に主流のコンパクトな2BOXスタイルの3ドアハッチバック発売。

1983年秋の第25回東京モーターショーには、B11型サニーをベースとした「ニッサン NRV-II」が参考出品された。樹脂材料を活用した軽量化、E13型エンジンをベースにしたメタノールターボエンジンを搭載する等、数多くの技術を盛り込まれていた。

また、モデル末期となる1985年1月にはターボ車のターボチャージャーが水冷式に変更された。

年表

  • 1981年10月 - B11型にモデルチェンジ。
  • 1982年2月 - 米環境保護庁より北米向けサニーである「セントラ」の1500cc 5速MT仕様が43mile/galでガソリン車No.1の燃費効率と発表される。
  • 1982年9月 - 4ドアセダン、3ドアハッチバッククーペに「ターボルプリ」を追加。
  • 1982年10月 - 4ドアセダンおよびカリフォルニアにディーゼルエンジン車を設定。
  • 1983年10月 - マイナーチェンジ。
  • 1983年秋 - 第25回東京モーターショーに「ニッサン NRV-II」を参考出品。
  • 1984年2月 - 特別仕様車GLエクストラ発売。
  • 1984年5月 - 特別仕様車GLスペシャル発売。
  • 1984年7月 - 3ドアバッチバック特別仕様車発売。
  • 1984年10月 - 「4ドアセダン1300GLエクストラ」を追加。この年、国内販売がカローラに次いで2位となる。
  • 1985年1月 - 特別仕様車アルファシリーズ発売。
  • 1985年9月 - 販売終了。

6代目 B12型(1985年-1990年)

日産・サニー(B12型)
前期型
後期型
ボディ
乗車定員 5人
ボディタイプ 4ドアセダン、3ドアハッチバック
ワゴン
駆動方式 4WD/FF
パワートレイン
エンジン 直列4気筒1.6L CA16DE
1.5L E15ET/E15E→GA15E/E15S→GA15S
1.3L E13S
直列4気筒ディーゼル1.7L CD17
変速機 4速AT/3速AT/5速MT/4速MT
前:マクファーソンストラット
後:ストラット
前:マクファーソンストラット
後:ストラット
車両寸法
ホイールベース 2,430mm
全長 4,155mm
全幅 1,640mm
全高 1,385mm
車両重量 930kg
その他
ブレーキ 前:ディスク
後:ドラム
データモデル セダン 1500スーパーサルーン 5速MT(前期型)
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1985年9月にB12型にモデルチェンジ。通称「トラッドサニー」。デザイン、構造において、1984年から日産でライセンス生産を行っていたVWサンタナの影響を受け、品質・性能とも大きく向上を果たしたモデルである。B11系では未熟な面もあった日産の前輪駆動システムは、このモデルにおいて大幅な改善を達成した。

ボディタイプは2 / 4ドアセダン、3ドアハッチバック (303,305) 、5ドアワゴン(カリフォルニア)。2ドアセダンは国内仕様のラインナップにはない。さらに、ボディ一体型のウレタンバンパー(上級モデルはカラードバンパー)を採用し、直線・平面基調の独特なデザインとなる。丸円にSの文字をモチーフにしたエンブレムがフロントグリル中央に設置(B13型前期まで踏襲)。

車重はやや増加し、ボディ剛性や品質面を改善し、この代から高張力鋼板および亜鉛ニッケル合金メッキを用いた防錆鋼板[9]が用いられるようになった。この点ではデザイン共々VWサンタナの影響が強い。また、4WDはパートタイム方式で唯一セダンのみに設定された。

1986年2月にはクーペの「RZ-1」(アール・ズィー・ワン)をが追加された。シャシーはセダン/ハッチバックと共通だが、外板の約70%は専用設計。シャープで鋭角的な独特のフロントマスクを与えられた。

また、同年8月にはサニー初のDOHCエンジン搭載グレード「セダン スーパーサルーンツインカム」、「ハッチバック 306ツインカムNISMO」、「RZ-1 ツインカムNISMO」が新設定された。エンジンはCA16DE型。

1987年9月にはマイナーチェンジが行われ、外装ではフロントマスクと、特にリアコンビネーションランプやナンバー取付け位置などが変更された。また、1500ccガソリン車のエンジンが、「スーパー・インテークエンジン」と呼ばれる直列4気筒SOHC・12バルブのGA15[10]に換装された。1300cc車は従来どおりキャブレター仕様のE13S型のみ。これに伴いE15ETターボエンジン車はモデル廃止。グレードは「1300GL / 1500GL」が「1300EXサルーン / 1500EXサルーン」に改名。また、「1500SGL」に代わって新たに「1500SXサルーン」を設定。セダン/カリフォルニアの「1500スーパーサルーン」系のフルオート・フルタイム4WD車にはメカニカル式ABSがメーカーオプションで設定された。

また、1989年1月には一部改良が行われ、セダンのEXサルーンのグレード名をEXに変更し、スーパーサルーン系のグレードに「スプレンド」シリーズを設定。セダンにも「NISMO」シリーズを新設定された。

年表

  • 1985年9月 - B12型にモデルチェンジ。
  • 1986年2月 - 「RZ-1」を追加。
  • 1986年8月 - 「セダン スーパーサルーンツインカム」、「ハッチバック 306ツインカムNISMO」、「RZ-1 ツインカムNISMO」を設定。
  • 1986年9月 - 4ドアセダンおよびカリフォルニアに、フルオート・フルタイム式4WD車、および「セダン1500スーパーサルーンE」を追加。
  • 1987年9月 - マイナーチェンジ。
  • 1988年1月 - セダンにモータースポーツ向けの「1600VRツインカム」[11]を追加。同時に、マニュアルエアコンを標準装備した特別仕様車「1300 / 1500EXサルーンG」発売。
  • 1988年6月 トリプルビスカス式4WD車を追加。特別仕様車として「1500スーパーサルーン・TRAD」および「1500スーパーサルーンE・TRAD」を発売。
  • 1989年1月 - 一部改良。
  • 1990年 - 生産終了。B13型にバトンタッチ。

7代目 B13型(1990年-1993年)

日産・サニー(B13型)
後期型
ボディ
乗車定員 5人
ボディタイプ 4ドアセダン
駆動方式 4WD/FF
パワートレイン
エンジン 直列4気筒 1.8/1.6/1.5/1.3L
直列4気筒ディーゼル 1.7L
変速機 4速AT/5速MT
4輪ストラット
4輪ストラット
車両寸法
ホイールベース 2,430mm
全長 4,210mm
全幅 1,670mm
全高 1,375mm
車両重量 990kg
その他
ブレーキ 前:ディスク
後:ドラム
データモデル 1500スーパーサルーン 4速AT(前期型)
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1990年1月にB13型にモデルチェンジ。歴代モデルで最も高品質を追求したのが特徴。ボディは4ドアセダンのみ。クーペモデルはサニーの名を冠せずNXクーペとなる。

同年10月に5ドアワゴン[12]のカリフォルニアがフルモデルチェンジ。こちらは2代目ADバン・ADワゴンとボディをほぼ共有するため車体形式がY10型となる。

エンジンはガソリンエンジン全車をDOHC化。シングルチェーンを用いた上下2段のタイミングチェーンでカムシャフトを駆動している。1600ccのGA16DE型のみ、サニー初の可変バルブタイミング機構が装備されている。サニー初の1800ccガソリンエンジンも設定された。グレードは1.8GT-Sで、DOHC16バルブ・プレミアムガソリン仕様・140PSのSR18DE型を搭載。

このモデルから多くのグレードに油圧式のABSがメーカーオプション。なお、1.8GT-S以外のグレードでABSをメーカーオプションで装着するとリアブレーキがディスクブレーキとなる。

一部の塗装色に限り、メーカーオプションでスーパー・ファインコート塗装(フッ素樹脂塗装)が選択することが出来た。

4WDは、1500cc車にはフルオート・フルタイム4WD、1800cc車にはアテーサ、ディーゼル車(後に追加)はパートタイム4WDを採用。ディーゼル車はマニュアルのみ。

1992年1月にはマイナーチェンジが行われ、フロントグリルのエンブレムがSマークから日産のCIに変更。バンパー、プロテクターの形状変更。ホイールキャップのデザイン変更。同時に九州工場での生産を開始した。

1993年12月に販売終了。B13セダンは現在でもメキシコ工場でTSURUツル)の名称で数回のアップデートを重ねつつ現地生産されている。

8代目 B14型(1994年-1998年)

日産・サニー(B14型)
後期型
ボディ
乗車定員 5人
ボディタイプ 4ドアセダン
駆動方式 4WD/FF
パワートレイン
エンジン 直列4気筒 1.8/1.6/1.5/1.3L
直列4気筒ディーゼル 2.0L
変速機 4速AT/5速MT
F:マクファーソンストラット
R:マルチリンクビーム
F:マクファーソンストラット
R:マルチリンクビーム
車両寸法
ホイールベース 2,535mm
全長 4,250mm
全幅 1,690mm
全高 1,385mm
車両重量 1,010kg
その他
ブレーキ 前:ディスク
後:ドラム
データモデル スーパーサルーン 5速MT(前期型)
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1994年1月に、B14型にモデルチェンジ。ユーザーの若返りや、大幅なコストダウン[13]を課題として開発された。ボディタイプは4ドアセダンのみ[14]。ただしクーペモデルのルキノは、前期型のみサニー・ルキノの名でも販売されていた。

ホイールベースを延長(B12型およびB13型に対して105mm延長)させ、居住性を向上させ、FF車のリアサスペンションに新開発のマルチリンクビームサスペンション[15]を採用した。

4WDシステムは、ガソリン車はフルオート・フルタイム4WDが、ディーゼル車にはアテーサがそれぞれ採用。また、ガソリンエンジンはすべてマルチポイントインジェクション化。直列4気筒DOHCエンジンの1,300ccGA13DE型と1,500ccGA15DE型を改良して搭載。「スーパーツーリング」にはプレミアムガソリン仕様の1,800ccSR18DE型またはレギュラーガソリン仕様の1600ccGA16DE型を搭載。ディーゼルエンジン車は2,000ccのCD20E型となった。

その後、B14型登場から4ヶ月後に1,500cc車にリーンバーン仕様である「1.5CX」を追加。 1995年9月には中期型にマイナーチェンジされ、内外装をフェイスリフト。リアデザインが大きく変わり、リアコンビネーションランプが大型化された。また、運転席SRSエアバッグが全車標準装備された。

1997年5月には後期型にマイナーチェンジ。内外装変更。大型のフロントグリルが与えられたほか、前席SRSデュアルエアバッグ、ABSが全車標準装備される。

1998年10月に、B15型へのフルモデルチェンジに伴い販売終了。

モータースポーツ

全日本ツーリングカー選手権 (JTCC) への参戦

エンジンをSR20DEに換装したB14型サニーが1994年・1995年のオールシーズンと1996年のシーズン途中まで参戦[16]

1995年にMINEサーキットで行なわれた第9戦(第2ヒート目)で、ザナヴィ・サニーを駆る飯田章が、ジャックス・シビックフェリオを駆る服部尚貴との激闘を制する。

ちなみに、このJTCCレースカーはその後、東南アジア・ツーリングカー・ゾーン・チャレンジ(SEATCZC)に地元チームの手で参戦。現在は日産の座間事業所内にある座間記念車庫に保管されている。

NISMO 180Rの存在

B14型サニーのJTCC参戦記念モデルとして、NISMOでは1,800ccの4ドアセダンをベースにNISMO 180Rというロードコンプリートカーを企画。車名は最大出力である180馬力に由来し、走行可能なプロトタイプが1台のみ製作されたが、市販化はされなかった。

エンジンはSR20DEファインチューニング版を搭載し、ニスモ製強化サスペンションと15インチアルミホイールを装着。ニスモ製エアロパーツをフル装着。

搭載されていたエンジンとミッションは、同年発売のB14型ルキノクーペ及びN15型パルサーセリエ/ルキノハッチをベースとしたAUTECH VERSION(開発・販売はオーテックジャパン)にSR20DE改良型として搭載され発売された。

9代目 B15型(1998年-2004年)

日産・サニー(B15型)
前期型
後期型
ボディ
乗車定員 5人
ボディタイプ 4ドアセダン
駆動方式 4WD/FF
パワートレイン
エンジン 直列4気筒 1.8/1.6/1.5/1.3L
直列4気筒ディーゼル 2.2L
変速機 CVT/4速AT/5速MT
前:マクファーソンストラット
後:マルチリンクビーム
前:マクファーソンストラット
後:マルチリンクビーム
車両寸法
ホイールベース 2,535mm
全長 4,345 - 4,366mm
全幅 1,695mm
全高 1,415 - 1,445mm
車両重量 1,050 - 1,220kg
その他
ブレーキ 前:ディスク
後:ドラム
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1998年10月にB15型にモデルチェンジ。ボディタイプは4ドアセダンのみ。プラットフォームはMSプラットフォーム|

開発主管は、B14型に引続き深井吉男が担当。

エンジンは、新開発のQG13DE型、QG15DE型リーンバーン/LEV、可変バルブリフト&タイミング機構付き「NEO VVL」を採用したSR16VE型、QG18DD型NEO Di直噴ガソリンの4機種6仕様のエンジンが用意されていた。また、サニー初となる、ハイパーCVTの搭載モデルが存在した。

ヘッドランプのバルブは特殊なIH01形を採用。

スポーツグレードである「1.6 VZ-R」には、B14型ルキノやN15型パルサー/ルキノハッチで採用された青いヘッドカバーの1600cc「NEO VVL」エンジンSR16VE型を搭載。無鉛ハイオク仕様。トランスミッションは5速MTのみ。エアコンはマニュアルエアコンのみの設定で、「スーパーサルーン」系とほぼ同等の装備を有する。312台の少数販売にとどまり、2000年8月に販売終了。

2002年5月にはマイナーチェンジが行われ、バンパーの全塗装化、フロントマスクの変更、アクティブヘッドレストの採用および内装の仕様変更がなされたほか、排出ガス規制強化にともない2200cc直噴ディーゼルエンジン (YD22DD) と1800ccNEO Di直噴ガソリンエンジン (QG18DD) がラインナップから落とされる。車名ロゴが「Sunny」から「SUNNY」に変更され、CIも現行のものに変更された。

最終型にあたる9代目(B15型)サニーはその伝統に沿った昔ながらの生真面目で尚且つ堅実な内容のコンパクトセダンではあったが、市場における車種の多様化とミニバン指向で日本市場での低迷は著しく、ユーザー層の縮小と高齢化傾向も非常に顕著で、発展性が非常に乏しくなっていた。日産は企業改革および変革の一策として、ブランドとしての寿命が明らかに尽きた「サニー」に見切りを付けたと言える。

年表

  • 1999年9月 - YD22DD型NEO Di直噴ディーゼル搭載車を追加。
  • 1999年11月 - 北米向けセントラCA (Clean Air) がCalifornia Air Resources Board(カリフォルニア大気資源委員会)の制定する排気基準値とエバポ排出ゼロ規制値をクリアし、またガソリン車として世界初の車載故障診断システムレベルII(OBDII)要件に合致している車として認定された。
  • 2000年9月 - 内外装の一部を変更し、グレード体系を変更。SR16VE型搭載車が廃止された。
  • 2001年12月20日 - 「スーパーサルーン SV リミテッド」および「EXサルーンSV リミテッド」を追加
  • 2002年5月13日 - マイナーチェンジ。
  • 2003年5月20日 - 日産自動車創業70周年記念車を発売。
  • 2004年10月 - 生産終了。38年の歴史に幕。
  • 2005年2月 - パキスタンへ輸出開始。

モータースポーツ

2004年にSCCAスピードワールドチャレンジ・ツーリングカーシリーズに北米向けB15型「セントラSE-R」が参戦。

セントラSE-Rの主な戦歴
  • 6月 - 第3戦 オハイオ州レキシントン ミッドオハイオ・スポーツカー・コース 3位入賞
  • 7月 - 第4戦 インフィネオン・グランプリ カリフォルニア州ソノマ インフィネオン・レースウェイ 3位入賞
  • 7月 - 第5戦 インフィネオン・グランプリ 24位完走

取扱販売店

脚注

  1. ^ モデルチェンジによる大型化と上級移行により、1990年代以降は格下のコンパクトカーであるマーチキューブなどにその座を譲る。
  2. ^ 「太陽がいっぱい」と言う意味。一般公募により、応募総数848万3,105通の中から名づけられた。この時点で「サニー」はソニーにより商標登録されていたので、ソニーからの許諾をとった上で商標とした。
  3. ^ Aクラス:ベースモデルの現地での販売価格が1,800オーストラリアドル以下。
  4. ^ 1,100cc以下クラス、ドライバーは黒沢元治
  5. ^ ただし、翌年に起こったオイルショックのため、ロータリーエンジン車の開発は中止されている。
  6. ^ ただし当時はステーションワゴンではなく"5ドアセダン"扱い。
  7. ^ 1981年7月に当時の石原俊社長の方針で、国内外で展開していた「ダットサン」ブランドを廃止し「日産」ブランドへ統一する事が発表された(ダットサン・ピックアップを除く)。車検証に記載される車名も「ダットサン」から「ニッサン」に切り替えられた。
  8. ^ 1981年当時はまだ5ドアハッチバック扱いだった。
  9. ^ 同社では「デュラスチール」という名前で呼ばれていた。
  10. ^ 1気筒あたり吸気×2、排気×1の3バルブ方式で日産車史上初。電子制御キャブレター (ECC) 仕様のGA15S・85psと電子制御インジェクション (EGI・ECCS) 仕様のGA15E・97ps。いずれもカムシャフトの駆動用にメンテナンスフリーに優れたタイミングシングルチェーン採用。
  11. ^ エンジンは5速クロスミッション付きのCA16DE型。
  12. ^ しかし実際はB12型カリフォルニアまではワゴンではなく5ドアハッチバックを名乗っていた。なおY10型カリフォルニア移行後、正式にワゴンを名乗るようになった。
  13. ^ 90年代は、バブル経済の失速&崩壊、社会情勢的に自動車の環境&安全性能の向上が至上命令となり、開発費や設備投資への巨額な費用捻出のため、日産に限らず、多くの自動車メーカーが大幅なコスト削減の対応に追われていた。
  14. ^ 当初、Y10型ADバン/ADワゴンベースの「サニー・カリフォルニア」が併売されていたが、1996年5月に同Y10型「ウイングロード」が登場したのを期に、モデル廃止となった。
  15. ^ 実際は3リンク式トーションビームサスペンションの延長線上の方式。
  16. ^ メンテナンスは東名エンジニアリング。

関連項目

外部リンク