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* '''[[LORDOS NEUES]]'''(ロードスノイエス) |
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: ※[[1993年]]発売。資生堂の男性用化粧品の中では最高価格の商品であった。3種類の香りのコロンと10種類の無香料基礎化粧品からなるラインナップであり、現行の[[SHISEIDO MEN]]よりも更に高い価格設定(3000円~15000円)であった。2008年3月をもってSHISEIDO MENに移行する形で全商品生産終了。事実上のブランド閉鎖となった。ちなみに同じく男性用の[[LORDOS]](ロードス)とブランド名が類似するが、こちらは全種類に香料が含まれていることや、パッケージのデザイン、ラインナップの差異、容器の形状などが異なることから完全に別のブランドである。LORDOSは[[1972年]]発売以来の現行品である。 |
: ※[[1993年]]発売。資生堂の男性用化粧品の中では最高価格の商品であった。ウッディーレザータバック(WD)・グリーンハーバルスパイシー(GH)・フゼアフローラル(FF)の3種類の香りのコロンと10種類の無香料基礎化粧品(スキンケアとヘアケア)からなるラインナップであり、現行の[[SHISEIDO MEN]]よりも更に高い価格設定(3000円~15000円)であった。2008年3月をもってSHISEIDO MENに移行する形で全商品生産終了。事実上のブランド閉鎖となった。ちなみに同じく男性用の[[LORDOS]](ロードス)とブランド名が類似するが、こちらは全種類に香料が含まれていることや、パッケージのデザイン、ラインナップの差異、容器の形状などが異なることから完全に別のブランドである。LORDOSは[[1972年]]発売以来の現行品である。 |
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* '''[[TECH21]]'''(テック21) |
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: 資生堂商事(現エフティ資生堂)からの発売。[[平忠彦]]を起用したCMで大きな話題に(後述)。 |
: 資生堂商事(現エフティ資生堂)からの発売。[[平忠彦]]を起用したCMで大きな話題に(後述)。 |
2010年7月22日 (木) 14:00時点における版
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | |
略称 | 資生堂、SHISEIDO |
本社所在地 |
日本 〒104-8010 東京都中央区銀座七丁目5番5号 |
設立 | 1927年(昭和2年)6月24日 |
業種 | 化学 |
法人番号 | 1010001034813 |
事業内容 | 化粧品、化粧用具、トイレタリー製品、理・美容製品、美容食品、医薬品の製造・販売 |
代表者 | 前田新造(代表取締役執行役員社長) |
資本金 | 645億06百万円 |
売上高 |
連結:7,234億84百万円 単独:2,731億58百万円 |
総資産 |
連結:6,758億64百万円 単独:4,910億09百万円 |
従業員数 | 連結:28,793名 単独:3,497名 |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 |
日本マスタートラスト信託銀行(株)(信託口) 5.48% (株)みずほ銀行 5.17% ステート・ストリート・バンク&トラスト 4.99% |
主要子会社 | 資生堂グループ参照 |
関係する人物 |
福原有信(創業者) 福原信三(初代社長) 山名文夫(デザイナー) 杉山登志(CMディレクター) 福原義春(名誉会長) |
外部リンク | www.shiseido.co.jp |
特記事項:各種経営指標は2008年3月期のもの 創業1872年 |
株式会社資生堂(しせいどう)は、東京都中央区銀座七丁目5番5号に本社を置く、化粧品の製造や販売を中心とする日本の企業である。東京証券取引所第一部上場。
概要
国内第1位の化粧品メーカーであり、世界では第5位である。登記上の本店は東京都中央区銀座七丁目の資生堂銀座ビルだが、実質的な本社機能は東京都港区東新橋一丁目の汐留タワー(日本テレビ向かい側)内に移管している。
商号の由来は、中国の古典『易経』の一節「至哉坤元 萬物資生」。「資生」は中国清代の文献に良く見られ、日本語で「経済」と翻訳された時期があった。
シンボルマークは「花椿」と呼ばれ、資生堂に関連する活動にも「椿」の名称がよく用いられる。このシンボルは1987年に広告での使用を中止し、1989年以降は製品からもはずすなど対外的な使用を取りやめていたが、2004年に復活している。
資生堂のCMは1970年前期から冒頭に下に「SHISEIDO」の文字が出る。
資生堂商品は近年まで世界的にも品質の評価が高く、欧米でも高級品として定着していた。しかし大幅なコストダウンやアジア(特に中国)市場偏重の弊害で従来の顧客が離れつつある。また、芸術関係への助成(企業メセナ)にも定評がある。
「新しく深みのある価値を発見し、美しい生活文化を創造する」という企業理念のもと、化粧品事業を中心に、トイレタリー事業やヘルスケア事業(美容・健康食品や一般用医薬品)、フロンティアサイエンス事業(医療用医薬品や美容医療、クロマトグラフィー、原材料事業)などを展開している。
過去には生理用品や洗濯用洗剤、歯磨剤も発売されていたが、売上不振によりいずれも撤退している。
第一勧銀グループの一員である。
沿革
- 1872年(明治5年)9月17日 - 日本初の洋風調剤薬局として福原有信が東京・銀座に「資生堂薬局」創業
- 1880年(明治13年) - 育毛剤の販売開始
- 1888年(明治21年) - 日本初の練歯磨「福原衛生歯磨石鹸」発売
- 1897年(明治30年) - 化粧品業界へ進出、高等化粧水「オイデルミン」発売
- 1902年(明治35年) - 東京・銀座の資生堂薬局内に、日本ではじめてソーダ水とアイスクリームの製造と販売を行う「ソーダファウンテン」を開設、後に資生堂パーラーに発展
- 1915年(大正4年) - 商標「花椿」制定
- 1919年(大正8年) - 大阪・心斎橋に支店開設
- 1923年(大正12年) - 関東大震災で煉瓦造り3階建ての薬品部と化粧品部の建物(現:資生堂ザ・ギンザの場所)が倒壊。チェーンストア制度採用
- 1928年(昭和3年) - 5月18日、化粧品部の建物が落成。7月3日、「資生堂パーラー」が営業開始
- 1934年(昭和9年) - 銀座の化粧品部に資生堂美容室開店。高島屋、神戸大丸にて当時銀座にさえなかった百貨店を舞台に華麗なキャンペーン実施
- 1939年(昭和14年) - 資生堂化学研究所設立
- 1940年(昭和15年) - 中国向けに香水を量産し日本を代表する高級輸出品となる
- 1949年(昭和24年) - 東京証券取引所市場第一部に上場
- 1953年(昭和28年) - 資生堂美容研究所開設
- 1956年(昭和31年) - 東京・渋谷の東急文化会館に総合美容サロン1号店オープン
- 1959年(昭和34年) - 「資生堂美容技術専門学校(現 学校法人 資生堂学園)」創設、数多くのヘアメイクアーティスト、メイクアップアーティストを輩出
- 1972年(昭和47年) - 創業100年
- 1980年(昭和55年) - フランスの「ピエール ファーブル社」との合弁会社「シセイドウ フランス」をパリに設立
- 1983年(昭和58年) - 中国(北京市)でシャンプー、リンスの生産開始(輸入販売の開始は1981年)
- 1985年(昭和60年) - ビューティサイエンス研究所発足
- 1986年(昭和61年) - スキンケアブランド「アベンヌ」販売のため、ピエール ファーブル社との合弁、「(株)ピエール ファーブルジャポン」を東京・赤坂に設立。エステティックサロン専用のスキンケアブランド「カリタ」を買収
- 1987年(昭和62年) - 「資生堂薬品(株)」設立
- 1988年(昭和63年) - 一般用医薬品事業に参入。ヘアサロン専用ブランド米国パーマ剤トップメーカー「ゾートス社」を買収
- 1989年(平成元年)エラー:和暦テンプレートの解説ページを参照してください。[元号要検証] - ハーバード大学と共同でマサチューセッツ総合病院内に『ハーバード大学皮膚科学研究所』を設立(研究陣にはハーバード医科大学を中心に生物学、免疫学、細胞学、分子生物学など多岐にわたる先端科学者を世界から招聘)
- 1991年(平成3年) - 資生堂として初めてのエステティックブランド「Qi」を開発し、エステティック事業へ参入
- 1993年(平成5年) - 医療用医薬品事業に参入(オペリード(化粧品原料でもあるヒアルロン酸を活用した眼科手術補助剤、販売:武田薬品工業、発売:千寿製薬)[1][2]、カサール(化粧品の製剤化技術を活用した抗ウイルス剤、販売:マルホ)[3])
- 1997年(平成9年) - 化粧水「オイデルミン」の発売100周年、新しいデザインの製品を発売。「ヘレンカーチスジャパン」のサロン事業部門を買収、「(株)ジェニック」に社名変更
- 1998年(平成10年) - 滝川(株)より営業権を買収、資生堂サロン事業プロダクトの販売会社として「資生堂ビューティーカンパニー(株)」設立
- 1999年(平成11年) - ブリストル・マイヤーズ スクイブ クレイロール事業部サロン事業買収
- 2000年(平成12年) - 世界のスパブランド「デクレオール」を買収
- 2001年(平成13年) - 東京銀座資生堂ビル完成
- 2002年(平成14年) - バリ島・ウブドに世界最大級のリゾートスパ「キラーナ スパ」をオープン
- 2004年(平成16年) - 国連グローバル・コンパクトへの参加。「資生堂ビューティーカンパニー(株)」と「(株)ジェニック」の2社が合併し、「資生堂プロフェッショナル(株)」を設立。タイに合弁会社「資生堂プロフェッショナル タイランド」を設立
- 2005年(平成17年) - 新しいコーポレートメッセージ「一瞬も 一生も 美しく」を策定。資生堂プロフェッショナル(株)が「カリタ」の国内営業を開始
- 2006年(平成18年) - 企業内大学「エコール資生堂」創設。「誰もが生きいきと働くことができる職場づくり」を目指して、知的障がい者を中心とした特例子会社「花椿ファクトリー(株)」を設立
- 2007年(平成19年) - 女性の更年期障害の「ホルモン補充療法(HRT)」用治療薬で、日本で初めて承認された『肌にぬるジェル状のエストラジオール外用ゲル剤 「ル・エストロジェル」』を共同事業契約に基づきバイエル薬品が発売。「特定非営利活動法人 女性の健康とメノポーズを考える会」[4]から製品発売案内[5]
- 2008年(平成20年) - 「資生堂ビジネスソリューション(株)」設立。上海に「資生堂中国研修センター」を開設
- 2009年(平成21年) - アゼルバイジャンで販売開始。ギリシャで合弁契約を締結。ベトナムの100%出資子会社「資生堂コスメティクス ベトナム」が営業開始。スイスにて100%出資の販売会社による営業開始。中国で薬局向け新ブランド「DQ(ディーキュー)」(スキンケア製品)発売。「資生堂ライフクオリティー ビューティープログラム」が企業フィランソロピー特別賞「美は心とともに賞」を受賞
- 2010年(平成22年) - ベトナム工場竣工。米国の自然派化粧品会社「ベアエッセンシャル社」[6]を買収。中国で高級ヘアサロン向けヘア製品を販売開始し「プロフェッショナル事業」を本格展開。「資生堂 椿の森」[7]のCO2吸収量が認証される
脚注
- ^ 「オペリード 0.5眼粘弾剤1%/オペリード 0.6眼粘弾剤1%/オペリード1.1眼粘弾剤1%」添付文書(2009年7月改訂)
- ^ 「オペリードHV0.85 眼粘弾剤1%」添付文書(2009年7月改訂)
- ^ 「カサールクリーム3%」添付文書(2009年12月改訂)
- ^ NPO法人 女性の健康とメノポーズを考える会
- ^ 肌にぬるジェル状のHRT(エストロゲン製剤)が発売になりました NPO法人 女性の健康とメノポーズを考える会
- ^ ベアエッセンシャル社(英語)
- ^ 資生堂は2009年3月に、化粧品業界初の「エコ・ファースト企業」として認定され、全社員をメンバーとする環境プロジェクト「資生堂アースケアプロジェクト」を開始し、植林・保全活動をはじめさまざまな側面から環境活動に取り組んでいる。
主なブランド(アルファベット順)
- Actea Heart(アクテアハート)
- Ag+(エージープラス) - 銀イオンを使った制汗剤
- ANESSA(アネッサ) - サンケア商品
- AUSLESE(アウスレーゼ) - 男性用
- AQUALABEL(アクアレーベル) - メガブランド第3弾
- BEAUTY VOLTAGE(ビューティーボルテージ) - 略称はBTV
- BENEFIQUE(ベネフィーク) - 専門店専用。略称はBQ
- BRAVAS(ブラバス) - 男性用
- clé de peau BEAUTÉ(クレ・ド・ポー ボーテ) - 最高級ライン。略称はCPB
- clé de peau BEAUTÉ synergique(クレ・ド・ポー ボーテ シネルジック) - CPBよりさらに高級なスキンケアライン
- d Program(ディー・プログラム) - 敏感肌向け基礎化粧品。略称はDP
- de Luxe(ドルックス) - 初代は1932年発売の超ロングセラー
- ELIXIR PRIOR(エリクシール プリオール) - シニア向けのスキンケアブランド
- ELIXIR SUPERIEUR(エリクシール シュペリエル) - メガブランド第6弾 略称はEIS
- ELIXIR WHITE(エリクシール ホワイト) - 2010年2月21日新発売の新・美白ライン
- EUDERMIN(オイデルミン) - 初代は1897年発売。発売100周年記念として、1997年に新しいデザインの製品発売
- HAKU(ハク) - 美白化粧品。略称はHK
- HG(エイチジー) - 男性用
- INOUI(インウイ) - 高級メーキャップブランド。アイライナーが人気
- INTEGRATE / INTEGRATE GRACY(インテグレート/インテグレート グレイシィ) - メガブランド第5弾
- KIRYO(キリョウ)
- LORDES(ロードス) - 男性用
- MA CHÉRIE(マシェリ) - シャンプーなどのヘアケア商品。略称はMR
- MAJOLICA MAJORCA(マジョリカ マジョルカ) - 若年層向けメーキャップブランド
- MAQuillAGE(マキアージュ) - メガブランド第1弾 トータルメーキャップブランド。略称はMQ
- Naturals(ナチュラルズ) - 無添加自然素材使用
- MG5(エムジーファイブ) - 男性用
- qiora(キオラ) - 専門店専用。略称はQR
- REVITAL(リバイタル ) - 略称はRE
- REVITAL GRANAS(リバイタル グラナス) - 2008年10月21日に誕生した新ブランド
- SEA BREEZE(シーブリーズ) - 1902年にアメリカで発売されたブランドで、メントールを使ったローション・シャンプーなど。2000年にグループ会社のエフティ資生堂が外資系製薬会社ブリストル・マイヤーズ・スクイブから買収。現在は資生堂が販売
- SHISEIDO(シセイドウ) - グローバルブランド。メーキャップやスキンケアなど複数のラインがあり、全世界71ヵ国で販売されている。日本では百貨店専用
- SHISEIDO MEN(シセイドウ メン) - 男性用。グローバルSHISEIDOブランドのひとつ
- SINOADORE(シノアドア) - 基礎化粧品。略称はSND
- SUPER MILD(スーパーマイルド) - 1988年から発売されているヘアケアブランド
- TACTICS(タクティクス) - 男性用
- The Makeup(ザ・メーキャップ) - 百貨店専用。略称はSTM
- TSUBAKI(ツバキ) - メガブランド第4弾
- uno(ウーノ) - メガブランド第2弾
- Zen(禅)
- & Face(アンドフェイス)
2000年代に入り、100以上に増えすぎてしまったブランドを整理・統合し、新ブランドなどに集約・特化する「メガブランド構想」を打ち出し大再編に踏み切ったが、一時的な混乱が生じた。低価格品や普及品分野においては「SHISEIDO」を冠さない方針により、エフティ資生堂の商品は「資生堂」の文字が外され「FT」としたが、すぐに復活した。コスメニティ事業では「FITIT」と名乗ったがどちらも浸透せず、ブランド価値が分散する結果になった。組織をブランド単位に分割する施策は縦割りの弊害を招き、元に戻された。
また、子会社である大阪資生堂(現・資生堂大阪工場)は、製品表記を「資生堂」のみに一本化させる目的で会社が消滅した。
この節の加筆が望まれています。 |
以前あったブランド
女性用化粧品
- ※いずれもELIXIR SUPERIEURの前身となるスキンケアブランド。共に現行品だが、縮小が進んでいる。
- EVENESE DR(イブニーズDR)
- ※資生堂インターナショナルのd program(dプログラム)の前身となる敏感肌向けスキンケアブランド。縮小が進んでいる。
- TAPHY(タフィ)略称はTA
- ※BEAUTY VOLTAGEの前身となるスキンケアブランド。
- TAPHY MILD(タフィマイルド)略称はTAM
- ※TAPHYと同時に展開する敏感肌向けライン。EVENESE DR(イブニーズDR)とコンセプトが似ている。
- OPTUNE(オプチューン)
- ※TAPHYの前身となるスキンケアブランド。
- ※OPTUNEの前身となるスキンケアブランド。
- PORCELIA(ポーセリア)
- ※CMキャラクターは薬師丸ひろ子で、自身の曲も使用された。
- TISS (ティス)
- ※CMキャラクターはPUFFYで、自身の曲も使用された。
- ※INTEGRATEおよびINTEGRATE GRACYの前身となるセルフメーキャップブランド。
- INOUI ID(インウイ アイディー)
- ※一部の百貨店で専用カウンターを設けて発売していた。
- ※以上2ブランドは2005年にMAQuillAGE(マキアージュ)へ統合。
- RECIENTE(レシェンテ)
- ※ピエヌの前身となるメーキャップブランド。
- PARKY JEAN(パーキー・ジーン)
- ※メーキャップ・ブランド。パーキージーン ラピス、FSPを経てMAJORICA MAJORCAへ至る。
- WHITIA(ホワイティア)
- ※アクアレーベルの「青の美白ライン」の前身となるセルフスキンケアブランド。
- ASPLIR(アスプリール)
- ※アクアレーベルの「赤の保湿ライン」の前身となるセルフスキンケアブランド。
- S (エス)
- ※資生堂初の百貨店専用ブランド。
- ナツコ
- サファイアンクール
- NOMBRE NOIR(ノンブルノアール)
- ※資生堂の高級香水のひとつ。原料の調達難航のため、製造が中止された。
- SUN OIL (サンオイル)
- Neue(ノイエ)
- バスボン ヘアコロン
- ※シャンプー、リンス。パッケージ上の商品名は「恋コロン髪にもコロンヘアコロンシャンプー(リンス)」。
- TESSERA(ティセラ)
- ※バスボン ヘアコロンの後継商品。
- ekubo (エクボ)
- ※ニキビケア用薬用化粧品。
- 枝毛コート
男性用化粧品
- GERAID(ジェレイド)
- ※ワックスなどの整髪料が中心。2005年にunoに統合され、ラインナップ縮小が進んでいる(一部商品は存続)。男性用ファンデーションやアイブロー、接着剤のボンドそっくりの形をしたヘアワックスなど、当時無香料でモノクロカラーを押し出していたunoとは正反対の奇抜な製品が多かった。CMキャラクターは、堂本剛やウルフルズなど。
- LORDOS NEUES(ロードスノイエス)
- ※1993年発売。資生堂の男性用化粧品の中では最高価格の商品であった。ウッディーレザータバック(WD)・グリーンハーバルスパイシー(GH)・フゼアフローラル(FF)の3種類の香りのコロンと10種類の無香料基礎化粧品(スキンケアとヘアケア)からなるラインナップであり、現行のSHISEIDO MENよりも更に高い価格設定(3000円~15000円)であった。2008年3月をもってSHISEIDO MENに移行する形で全商品生産終了。事実上のブランド閉鎖となった。ちなみに同じく男性用のLORDOS(ロードス)とブランド名が類似するが、こちらは全種類に香料が含まれていることや、パッケージのデザイン、ラインナップの差異、容器の形状などが異なることから完全に別のブランドである。LORDOSは1972年発売以来の現行品である。
- TECH21(テック21)
- 資生堂商事(現エフティ資生堂)からの発売。平忠彦を起用したCMで大きな話題に(後述)。
- Wing(ウィング)
- ※コンビニエンスストア専用ブランド。初期のCMキャラクターは柳葉敏郎。現在コンビニ向け販売は、ミニサイズのunoが引き継いでいる。
- Gear(ギア)
- ※unoの前身となった若者向け男性化粧品。CMキャラクターに陣内孝則を起用し話題になった。
- Rupo(ルポ)
- ※若者向け男性化粧品。上條淳士のイラストレーションが広告に使われた。
- Aleph(アレフ)
- TRENDY(トレンディ)
- ※資生堂商事からの発売。CMキャラクターはBARBEE BOYS。
- MG5 GALAC(エムジーファイブ・ギャラック)
- BECAUSE(ビコーズ)
- ※1984年発売。当時の新しい乳化技術である「非水ゲル乳化」をスキンケアラインに使用し、CMでも謳っていた。アロマコロジーを応用したオーデコロンの「サイキーコロン」は、落ち着いた香りの「静」(クール)・セクシーな香りの「誘」(エスコート)、スパイシーな香りの「喝」(リフレッシュ)の3種類があった。CMキャラクターは石原裕次郎や小林薫。
- Neue Men's (ノイエメンズ)
- ※CMキャラクターはGacktで、自身の曲も使用された。
- 薬用育毛エッセンス
- ミニササニシキエキスを配合したエッセンスタイプの育毛剤。薬用不老林(初期)と併用する。
- 薬用育毛トニック
- スプレータイプの育毛剤。フロンガス規制により販売終了。
その他
洗濯用洗剤
- ホワイトアップ(塩素系漂白剤)
- YES
- 洗濯石けん(花椿型)
歯磨
- パール歯磨
- エコー歯磨
- MEDIC(メディック)
- On-Air・On-Wave(オンエアー・オンウェーブ)
清涼飲料水
生理用品
- ※現在は生理用品事業から撤退。ユニ・チャームに譲渡。
- ミュウ、メッシュ
- ※センターインの前身。
- ランジェリーシート
- ※おりもの専用シート。後にセンターインに統合。
アトリエマサ
- マサ大竹(まさおおたけ) 本名:大竹 政義(おおたけまさよし)MASA代表他、
資生堂ビューティークリエーション研究所長、資生堂美容室(株)取締役副社長、SABFA校長 日本ヘアデザイン協会副理事長、I.C.D.JAPAN理事
- 資生堂全ブランドメーキャップのイメージやソフト情報を統括すると同時に、自らも各種メディア、ファッションコレクションショーなどの幅広い分野でヘア・メーキャップのクリエーション活動を行っている。
- 海外はニューヨークカーネギーホールでのビューティークリエイティブショーをはじめとし、美容セミナー等のトータルビューティープレゼンテーション活動を国内外で意欲的に行っている。
- 1987年 国際的に多くの功績があったとしてイタリア美容協会より「ランボー賞」を受賞
- 1996年 世界美容家協会(I.C.D)世界大会において、I.C.Dシュバリエ(ナイト)賞を受賞
- 2008年 黄綬褒章を受章
- 国内では毎年、資生堂ZOTOSゾートスヘアコングレスを大規模なショーとして開催している。
資生堂グループ
- エフティ資生堂 - トイレタリー事業。資生堂ファイントイレタリー(旧資生堂商事)を吸収合併し、トイレタリー製品専門会社となっていたが、現在はほぼすべて資生堂本体に移管されている。
- オービット - コンビニ専用ブランドの化粧惑星などを販売。
- 資生堂パーラー - 銀座を本店とする洋食・喫茶・高級洋菓子の老舗(1902年より)。
- 資生堂薬品 - 資生堂の一般用医薬品や医薬部外品を製造する部門。医薬部外品は掛川工場で製造しているが、飲み薬はゼリア新薬工業に製造を委託。
- 資生堂美容室
- 資生堂フィティット - コスメニティ部門。旧資生堂コスメニティ。セルフ化粧品など一部の商品の発売元。
- 資生堂ビューティーフーズ - 資生堂の美容食品や健康食品、美容飲料を製造販売する部門。
- 資生堂アメニティグッズ - 主に旅館やスポーツクラブなどで利用される業務用化粧品を製造販売すると共に、ノベルティなども製造。
- 資生堂プロフェッショナル - 主に美容室やエステティックなど、プロ専用の化粧品を製造販売すると共に、経営者向けのセミナーなどを実施。
- 資生堂リース - 社用車や備品の減価償却を行う。現在は経理処理のみを行い、実際のリース物件はNECリース、芙蓉総合リース、東京オートリースから受けている。
- 資生堂情報ネットワーク - 主に店頭で使われるスキンビジオムやフォーカス、コーナーポスの保守を行う。
- 資生堂販売 - 美容部員の教育や店舗への派遣を行う。資生堂の顔ともいえる。
- 資生堂アステック - 主に資生堂の従業員の福利厚生を管理。資生堂内では「管理部」とも呼ばれる。
- 資生堂ランニングクラブ
- 資生堂ホネケーキ工業 - 主にせっけんを製造。
- 資生堂医理科テクノロジーズ
- 学校法人資生堂学園 - 資生堂美容技術専門学校
- 財団法人資生堂社会福祉事業財団
- 株式会社アユーラ ラボラトリーズ - 別会社化した化粧品会社。アウト・オブ・シセイドーとよばれる。
- 株式会社イプサ - 同上
- 株式会社ディシラ - 同上
- 株式会社エテュセ - 同上
- 株式会社アクス - 同上。発売ブランドはフリーソウルピカデリー、キリョウ。
- 資生堂開発 - 2008年に株式会社日本管財への株式譲渡を行いNSコーポレーションに社名を変更。現在の出資比率は10%。資生堂の不動産機能を請け負っている。
- 資生堂物流サービス - 2007年4月1日付けで日立物流へ譲渡。現在は「日立物流コラボネクスト株式会社」と名称を変え、日立物流の子会社として資生堂の物流機能を請け負っている。
広告
提供クレジット
一社提供の場合、提供クレジットに「提供」と付かず、単に「SHISEIDO」もしくはCIマークのみ表示する場合が多い。
かつてのクレジットの文言は「東京・銀座 資生堂」だった。90年代初期には「ヒトを彩るサイエンス SHISEIDO」というクレジットも存在した。
特別番組
- 2006年8月28日夜9時にTBS系(毎日放送制作)でCMづくりにかける製作者たちの2時間ドラマ「メッセージ〜伝説のCMディレクター・杉山登志〜」が放送されたが、資生堂の単独提供で、内容も資生堂のCM作りにかけた男たちの物語だった。CMのCMキャンペーンの一環でもあり(放送直前にCMの60秒バージョンが放送されている)資生堂とCMの関係の強さを表していた。この放送でのクレジットは「一瞬も、一生も、美しく SHISEIDO」で、これはこの番組を制作した毎日放送が同様に制作している「皇室アルバム」におけるスポンサースローガンと同じである(資生堂は現在の「皇室アルバム」のスポンサーでもある。東京のTBSでも資生堂の一社提供であったが、2009年4月時点では提供を降りている)。
スポンサー番組
- ※印は子会社のエフティ資生堂(旧資生堂ファイントイレタリー)の提供番組。
テレビ
- 日本テレビ
- ズームイン!!SUPER※(「エンタの神様」から移動、現在は事業再編で資生堂のみ)
- おしゃれイズム - 一社提供。
- TBS
- 金曜ドラマ - ※(現在は事業再編で資生堂のみ)~この番組の唯一の最古参スポンサー
- hito 今を生きるあなたへ - 一社提供。
- フジテレビ
- フジテレビ火曜ドラマ~2010年3月をもって一時撤退。
→移動先は「爆笑レッドカーペット」(2010年4月~日:19:58-20:54)+2010年4月~土曜23:10~23:55・・・ともに複数社提供の1社。
ラジオ
- ニッポン放送
- ショウアップナイター - 火曜日。
HBCラジオ。CBCラジオ。ABCラジオ。KBCラジオのスポンサーネット。
かつて提供した番組
テレビ
- 日本テレビ
- 11PM
- 光子の窓
- 資生堂・サンデーヒットパレード
- おしゃれ
- オシャレ30・30
- おしゃれカンケイ
- 三枝成章の気まぐれ
- スター誕生! - 1973年10月から1983年9月の放送終了時まで提供。末期(坂本九時代とやすし・きよし時代)は当時人気を得ていた洗顔料ブランドの「エクボ」として表記。しかし番組性格上、CMは「バスボン」シリーズを優先的に放映。
- クローズアップNOW
- 太陽にほえろ!
- 金曜劇場
- もっとあぶない刑事
- 刑事貴族
- 土曜22時台の番組 ※:夜もヒッパレ一生けんめい。→THE夜もヒッパレ→電波少年に毛が生えた 最後の聖戦→雲と波と少年と→ エンタの神様(波田陽区に『おしゃれカンケイ』を斬られたため降板)
- TBS
- TBS木曜8時枠の連続ドラマ
- クイズ悪魔のささやき※
- 筋肉番付
- どうぶつ奇想天外 ※ - 日曜移動後、途中降板。
- ちちんぷいぷい(毎日放送制作)2009年4月期に限り、午後4時台の提供(関東のみ)。
- フジテレビ
- テレビ朝日
- ニュースステーション - 1999年10月頃に起こった久米宏の降板騒動と同時期に降板。
- パパパパPUFFY - 資生堂フィティットが提供。
- 東京国際女子マラソン - 1979年から1999年まで。スポンサーだった。
- 報道ステーション - 月曜日。番組開始~提供していたが東京国際女子マラソンが2008年大会で閉幕するのを受けたのか、2008年9月で降板。
- テレビ東京
- 少女雑貨専門TV エクボ堂 - 資生堂エクボ(現在は消滅)が提供。資生堂本体もヒッチハイク部分でCMを流していた。
- ジュニアオールスターゲーム - テレビ東京独占放送時代に筆頭提供。
ラジオ
- TBSラジオ
- 明石家さんまのおしゃべりツバメ返し
- 子供の心(当時平日朝ワイド内の1コーナー)
- ニッポン放送
- ひかる一平の恋のサインはSEE SAYS DO!
- 田原俊彦 誘惑トゥナイト・SEE SAYS DO!
- 田原俊彦 君とSHOWERING NIGHT・SEE SAYS DO!
- 仲村トオル 待たせてゴメン
- 大槻ケンヂのセニョール!セニョリータ!
- ぽっぷん王国→ぽっぷん王国ミュージックスタジアム
- 知ってる?24時。 - 2003年4月~12月。プログラムサポーターとして。
- FM東京
- J-WAVE
- SHISEIDO MIDNIGHT FACES - 初期はOPTUNE MIDNIGHT FACESだった。
代表的なCMソング
- りりィ 『春早期』(1975年)
- りりィ 『オレンジ村から春へ』(1976年)
- 小椋佳 『揺れるまなざし』(1976年)
- 尾崎亜美 『マイ・ピュア・レディ』(1977年)
- ダウン・タウン・ブギウギ・バンド 『サクセス』(1977年)
- 南沙織 『春の予感‐I've been mellow‐』(1978年)
- 矢沢永吉 『時間よ止まれ』(1978年)
- 堀内孝雄 『君のひとみは10000ボルト』(1978年)
- 南こうせつ 『夢一夜』(1979年)
- ツイスト 『燃えろいい女』(1979年)
- 竹内まりや 『不思議なピーチパイ』(1980年)
- クリスタルキング 『蜃気楼』(1980年)
- 加藤和彦 『お帰りなさい 秋のテーマ』(1980年)
- 松原みき 『ニートな午後3時』(1981年)
- 忌野清志郎+坂本龍一 『い・け・な・いルージュマジック』(1982年)
- 矢沢永吉 『LAHAINA』(1982年)
- EPO 『う、ふ、ふ、ふ。』(1983年)
- ラッツ&スター 『め組のひと』(1983年)
- 原由子 『恋は、ご多忙申し上げます』(1983年)
- 高見知佳 『くちびるヌード』(1984年)
- 大沢誉志幸 『その気×××(Mistake)』(1984年)
- 香坂みゆき 『ニュアンスしましょ』(1984年)
- 薬師丸ひろ子 『冬のバラ』(1984年)
- 大貫妙子 『ベジタブル』(1985年)
- 松任谷由実 『メトロポリスの片隅で』(1985年)
- 中山美穂 『色・ホワイトブレンド』(1986年)
- KUWATA BAND 『BAN BAN BAN』(1986年)
- 中山美穂 『ツイてるねノッてるね』(1986年)
- 小林明子 『くちびるスウィング』(1987年)
- プリンセス・プリンセス 『GO AWAY BOY』(1988年)
- 今井美樹 『彼女とTIP ON DUO』(1988年)
- 中山美穂 『ROSÉCOLOR』(1989年)
- Wink 『咲き誇れ愛しさよ』(1993年)
- DREAMS COME TRUE 『go for it!』(1993年)
- B'z 『FIREBALL』(1997年)
- ↑THE HIGH-LOWS↓ 『虫』(1997年)
- 矢沢永吉 『Still』(1997年)
- L'Arc〜en〜Ciel 『NEO UNIVERSE』(2000年)
- L'Arc〜en〜Ciel 『STAY AWAY』(2000年)
- 矢井田瞳 『Look Back Again』(2001年)
- Tommy february6 『Bloomin'!』(2002年)
- 山田タマル 『My Brand New Eden』(2006年)
- SMAP 『Dear WOMAN』(2006年)
- BONNIE PINK 『A Perfect Sky』(2006年)
- 平井堅 『美しい人』(2007年)
CM集DVD
1961年から1999年まで放映された資生堂のテレビCMを収録したDVDが、エイベックスから発売された。[1]
- 資生堂のCM vol.1 1961-1979 - 2009年11月25日発売、79本収録
- 資生堂のCM vol.2 1978-1999 - 2009年12月16日発売、88本収録
球場広告
1970年代末期から1990年代中期にかけて、後楽園球場→東京ドームにフェンス広告を出していたことでも有名。[2]「MG5」「ギア」「アウスレーゼ」「不老林」「メンズムース」「ZEPHAR」等主に男性向け製品の広告が多かった。また、ジュニアオールスターゲーム(現・フレッシュオールスターゲーム)を資生堂がスポンサーを務めていた時代は、フェンスに「SHISEIDOジュニアオールスターゲーム」の広告が表示されていた。
資生堂TECH21限定車
薄紫に塗装された車輌の両サイドに黒文字で、資生堂とTECH21のロゴを配置したカラーリングである。 ヤマハ発動機ワークス・チームのスポンサーカラーであるTECH21カラーは、1980年代後半に人気を博したため、排気量別に何種類かモーターサイクルが、ヤマハ発動機から限定販売された。
- FZ250-PHAZER(1型)
- FZR250(1型)
- YSR50(1型)
- CUTE(50cc)
- CHAMP-RS(50cc)※2型迄存在する。
- JOG-SPORTS EDITION(50cc:3型)※他の限定車とは異なり、1989年モデルをモチーフにしたパールホワイトベースに銀文字の塗色となっている。
鈴鹿8耐とTECH21
1985年、資生堂は新しい男性用化粧品としてTECH21を発売、主たる販売ターゲットである若年層に訴求するために、イメージキャラクターとしてレーシングライダーの平忠彦を起用した。さらに資生堂は、鈴鹿8時間耐久ロードレース(以下、鈴鹿8耐)に出走するヤマハワークス・チームのメインスポンサーとなり、TECH21のロゴをFZR750(1985年)とYZF750(1986年~1990年)の車体及びライディングスーツやスタッフウェアに展開した。1980年代半ばの日本のレースシーンにおいて、モータースポーツに全く関係のない異業種がレーシングチームをフルスポンサーすることはまだとても珍しく、原色ばかりの当時のレーシングマシンのカラーリングの中にあってこれまた異色の紫色のマシン、そしてイメージキャラクターである平の知名度も相まって、TECH21チームはレース関係者やレースファンのみならず、レースに関心の薄い一般の人々の注目をも集めることとなった。サーキットを疾走する印象的な紫色を纏ったマシンとライダーである平が織り成すドラマティックとも悲劇的とも形容されるレース展開と内容は観る者を惹きつけ、その注目の度合いは参戦を重ねるとともに高まることとなった。そして資生堂のスポンサー開始から6年目の1990年、平とTECH21チームは遂に悲願の鈴鹿8耐優勝を達成し、この年をもって鈴鹿8耐における資生堂のスポンサーも終了した(TECH21チームとしては1987年にも優勝しているが、このとき平は怪我のため出走していない)。
詳細は平忠彦の項目を参照のこと。
資生堂ランニングクラブ
資生堂は、女子陸上部を持っており、「資生堂ランニングクラブ」と称している。所属選手は近年、各競技大会において目覚しい成果をあげるようになってきている。2006年12月の全日本実業団対抗女子駅伝ではアンカーに弘山晴美を擁して、悲願の初優勝を果たした。
主な指導者
- 弘山勉 元選手でマラソン自己記録は2:11:37。2007年4月より監督就任となる。資生堂ランニングクラブはかつて弘山と、安養寺俊隆(現資生堂RCコーチ)、川越学(現セカンドウィンドAC(SWAC)監督)、比嘉正樹(元SWACコーチ・2009年5月退職)など男子選手も所属していたが、会社として男子選手の採用を行わなくなったため選手の引退で自然消滅した。
- 弘山晴美 夫は監督の弘山勉。1996年アトランタ、2000年シドニー、2004年アテネと、長距離トラック種目では日本女子初となる3大会連続のオリンピック代表選手となる。また1999年世界陸上セビリア大会女子10000mでは4位入賞、2006年名古屋国際女子マラソンでマラソン初優勝を成し遂げた。マラソン自己記録2:22:56、2009年3月引退。
主な部員
- 佐藤由美 - 資生堂陸上部元キャプテン(2009年3月まで)。2004年水戸国際陸上競技大会女子1500mで優勝。2005年アジア陸上選手権女子10000mで2位、女子5000mで3位。初マラソンの東京マラソン2010は2:43:01の記録で6位
- 平田裕美 - 初マラソンの2008年名古屋国際女子マラソンでは2:29:23の記録で7位。翌2009年名古屋国際女子マラソンでは2:30:16の記録で6位
- 藤永佳子 - 資生堂陸上部現キャプテン(2009年4月より)。高校時代の世界陸上セビリア大会女子5000m代表。初マラソンの2009年名古屋国際女子マラソンでは2:28:13の記録で初優勝。同年世界陸上ベルリン大会女子マラソンは14位
元所属部員
- 松田千枝(東京国際女子マラソンに1979年の第1回大会から参加、1985年大会では2:36:38の自己記録で4位。2008年定年退職)
- 谷川真理(1994年まで所属。1991年東京国際女子マラソン、1994年パリマラソンなどで優勝、自己記録2:27:55。現在はアミノバイタルAC所属)
- 佐藤優子(元競歩選手。1992年バルセロナ五輪女子10Km競歩24位、1993年世界陸上シュツットガルト大会女子10Km競歩19位)
- 野村洋子(初マラソンの1997年大阪国際女子マラソンでは2:29:26の記録で5位、後にシドニー五輪覇者の高橋尚子に先着。2001年引退、現リスタートRCコーチ)
- 山内美根子(2000年東京国際女子マラソンで2:28:51の自己記録で7位。2003年引退、現SWACコーチ)
- 寺内多恵子(元バレーボール選手で、初マラソンデビューがホノルルという異色ランナー。マラソン自己記録2:28:10、2005年引退)
- 藤川亜希 (2004年名古屋国際女子マラソンでは2:27:06の自己記録で3位、2007年青梅マラソンでは1:47:40の記録で優勝。2010年退部)
移籍選手
下記選手は2007年4月1日をもってセカンドウィンドAC(SWAC)へ移籍した。
- 嶋原清子(2007年世界陸上大阪大会女子マラソン6位入賞、2009年北海道マラソンでは自己ベスト・大会新記録で優勝)
- 尾崎朱美(2006年東京国際女子マラソンでは高橋尚子を抑え2位、2009年北海道マラソンでも自己新記録で2位。2010年引退、現SWACスタッフ)
- 加納由理(2009年世界陸上ベルリン大会女子マラソンでは7位入賞、2010年名古屋国際女子マラソンで優勝)
- 吉田香織(初マラソンの2006年北海道マラソンで初優勝。2009年3月にSWACを退部、現在はアミノバイタルAC所属)
不祥事・裁判など
「薄毛は子孫も迷惑」CM
新しい発毛促進剤「薬用アデノゲン」の発売に向け、2004年12月に30〜59歳の男性1550人に対してネット上で意識調査を実施し、集まったデータをもとに『薄毛はあなた一人の問題ではありません、子孫も迷惑です。』といった内容をホームページ上に掲載した。「薄毛の人は部長どまり?」、「偉くなるのは薄毛じゃない人」など、薄毛で悩んでいる人を侮辱するかの内容に対し、抗議が殺到した。
裁判
店頭で商品の説明をする「対面販売」を守らなかったことを理由に特約店契約を解除され、資生堂化粧品の出荷を停止された小売業「冨士喜本店」(東京都台東区)が「対面販売の義務付けは値引き販売の防止が狙いであり、独占禁止法違反」などとして、訴訟を起こした。
- 1991年 「対面販売」をしないのは契約違反として契約を解除された東京の冨士喜本店が「(対面販売を義務付けるのは)価格拘束をするためのもので違法。」とし、資生堂東京販売を提訴した。
- 1993年 東京地裁の判決は冨士喜本店勝訴。さらに同年、今度は千葉の河内屋もほぼ同様な理由で契約を解除されたため資生堂を公正取引委員会に申告した。
- 1994年 冨士喜訴訟の控訴審判決は資生堂勝訴となった。訴訟で敗訴した冨士喜本店は上告した。
- 1995年 公正取引委員会は価格拘束の疑いがあるとして資生堂に排除勧告を行った。資生堂は排除勧告を受けいれた。その流れで価格の乱れを防ぐため、化粧品専門店だけの限定ブランド(ベネフィーク)を発売した。
- 1996年4月1日 化粧品の再販撤廃。
- 1998年12月18日 最高裁は同訴訟でのメーカー側勝訴を確定した。判決で金谷利広裁判長は「対面販売は顧客の信頼保持など合理的な理由があり、独占禁止法に反しない。」との初判断を示して、冨士喜本店の逆転敗訴とした二審判決を支持、同社の上告を棄却した。
裁判では「価格拘束をするのは違法だが、カウンセリング契約は合法。」という判断になり、その結果、2006年から発売された「マキアージュ」や「エリクシールシュペリエル」などのメガブランド戦略を実施するにあたって、大前提の価格拘束(維持)につながっている。
ノープリントプライスの商品であっても、暗にメーカー希望小売価格が存在している。資生堂商品のバーコード付近、成分表示付近のいずれかに2781Pから始まる記号が付いている商品はP以降でSより左側の数字が1000円単位、Sより右側が左から順に100円10円単位になっている。例として「2781P01S98」と表示されていた場合は1980円が、「2781P00S85」なら850円が暗黙のメーカー希望小売価格である。
その他
動物実験
EUでは既に化粧品の動物実験は全面禁止となっているが、EU域外で動物実験した化粧品の販売の禁止は2013年3月からである。そのために資生堂では長年にわたって化粧品の原料の動物実験をおこなってきた。しかし、先ずは2011年3月までに自社での動物実験をやめ、禁止となる2013年3月までには外注を含めて動物実験の全廃を目指すこととなった。これにより、動物実験をした化粧品の販売が規制されている欧州マーケットや、動物愛護運動の強い欧米マーケットでの企業イメージの向上を狙う。化粧品の場合、大手化粧品会社ではウサギなどを利用して目や皮膚の刺激性試験などが行われている[3]。
役員報酬の個別開示
2010年6月3日、「年1億円以上の報酬を受ける役員」の報酬額を開示した。開示が義務化されて以降、株主総会の前に個別開示した企業は資生堂が初めて。1億円を超えるのはカーステン・フィッシャー<略歴>専務(1億4100万円)、前田新造社長(1億2100万円)のみであったが、「代表取締役という職務の重要性から」(1億円を下回るが)岩田喜美枝副社長(6600万円)も開示された。また3氏を含む全役員15人の総額は6億2100万円であり、残りの役員13人は総額で2億9300円となる。資生堂では役員報酬は、固定部分が40%程度、業績連動部分(業績目標の達成度や株価により変動)が60%程度からなる[4][5][6]。
基本報酬 | 賞与 | ストックオプション | 合計 | |
---|---|---|---|---|
代表取締役 前田新造 | 4900万円 | 3500万円 | 3600万円 | 1億2100万円 |
代表取締役 岩田喜美枝 | 3700万円 | 1800万円 | 1000万円 | 6600万円 |
取締役 カーステン・フィッシャー<略歴> | 7700万円 | 5000万円 | 1300万円 | 1億4100万円 |
関連項目
- 動物実験
- 安達潮花
- 榎本武揚(創業者の遠い親戚)
- 汐留
- 乃木静子(日露戦争開戦時に、1つ9円の香水2つと8円の香水1つの計3つの超高級化粧水を購入したことで有名)
- 読売新聞グループ本社(日本テレビの親会社)
- 日本テレビ放送網(在京のキー局では関係が深い)
脚注・出典
- ^ 美をリードしてきた資生堂、過去のCM作品DVDで発売へ - 日テレNEWS24、2009年11月17日
- ^ 後楽園球場時代は興亜火災になっていた時期もあったため、詳しい時期は不明。
- ^ 資生堂、動物実験廃止へ…欧米に配慮 - 読売新聞 2010年5月29日
- ^ 資生堂、個別役員報酬を開示 前田社長は1億2100万円 - 日本経済新聞 2010年6月3日
- ^ 資生堂:社長ら3役員の報酬額を開示 株主総会前に - 毎日jp(毎日新聞) - 毎日新聞 2010年6月3日
- ^ 資生堂、社長報酬は1億2100万円 : 経済ニュース : マネー・経済 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) - 読売新聞 2010年6月3日