「サザエさん」の版間の差分
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ひとつの大きな物語をつくるようないわゆる長編漫画ではなく、一貫した舞台、人物が登場する比較的独立したエピソードからなるものである。 |
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いわゆる長谷川町子作品は、作者の町子と姉の毬子が共同で設立した[[姉妹社]]が独占的に出版していたが、町子の死後の[[1993年]][[4月]]に姉妹社が解散し、すべて絶版となった。<br> |
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しかし、同年9月に、朝日新聞社から文庫本が発行されるなど、今後の展開が望まれている。 |
しかし、同年9月に、[[朝日新聞社]]から文庫本が発行されるなど、今後の展開が望まれている。 |
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1992年に[[東京サザエさん学会]]が「磯野家の謎 サザエさんに隠された69の謎」(飛鳥新社)という本を出して、大ヒット。サザエさんに新たなスポットを当てて、人気復活に大いに貢献する。また、この本はその後数年続く「~の謎」本シリーズの火付け役になる。ただ類書と違いこの本自体は、きわめてまじめな文献解読の演習をサザエさんを材料に試みたもの。 |
1992年に[[東京サザエさん学会]]が「磯野家の謎 サザエさんに隠された69の謎」(飛鳥新社)という本を出して、大ヒット。サザエさんに新たなスポットを当てて、人気復活に大いに貢献する。また、この本はその後数年続く「~の謎」本シリーズの火付け役になる。ただ類書と違いこの本自体は、きわめてまじめな文献解読の演習をサザエさんを材料に試みたもの。 |
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*本作が生まれるまでの長谷川一家及び姉妹社の経緯が、[[NHK]]により連続テレビ小説「マー姉ちゃん」としてドラマ化された。 |
*本作が生まれるまでの長谷川一家及び姉妹社の経緯が、[[NHK]]により連続テレビ小説「[[マー姉ちゃん]]」としてドラマ化された。 |
2003年7月15日 (火) 20:18時点における版
サザエさんは、長谷川町子原作の漫画作品である。
1969年にフジテレビでアニメ放送が開始され、2003年現在も放送が続いている。
ひとつの大きな物語をつくるようないわゆる長編漫画ではなく、一貫した舞台、人物が登場する比較的独立したエピソードからなるものである。
いわゆる長谷川町子作品は、作者の町子と姉の毬子が共同で設立した姉妹社が独占的に出版していたが、町子の死後の1993年4月に姉妹社が解散し、すべて絶版となった。
しかし、同年9月に、朝日新聞社から文庫本が発行されるなど、今後の展開が望まれている。
1992年に東京サザエさん学会が「磯野家の謎 サザエさんに隠された69の謎」(飛鳥新社)という本を出して、大ヒット。サザエさんに新たなスポットを当てて、人気復活に大いに貢献する。また、この本はその後数年続く「~の謎」本シリーズの火付け役になる。ただ類書と違いこの本自体は、きわめてまじめな文献解読の演習をサザエさんを材料に試みたもの。
おもな登場人物
- 磯野家
- 波平
- フネ
- カツオ
- ワカメ
- フグ田家
- マス夫
- サザエ
- タラ夫
- 波野家
- ノリスケ
- タイ子
- イクラ
連載の履歴
- 1946年4月22日に「夕刊フクニチ」紙上に連載開始、同年8月22日に連載終了
- 1947年1月3日に「夕刊フクニチ」紙上に連載再開、同年5月8日に連載終了
- 1947年10月25日に「夕刊フクニチ」紙上に連載再開、同年11月5日に連載終了
- 1948年2月6日に「夕刊フクニチ」紙上に連載再開、同年6月21日に連載終了
- 1948年3月に「漫画少年」誌上に連載開始
- 1948年11月17日に「夕刊フクニチ」紙上に連載再開、1949年4月4日に連載終了
- 1948年11月21日に「新夕刊」紙上に連載開始、1949年4月2日に連載終了
- 1949年12月1日に「夕刊朝日新聞」紙上に連載開始、1950年12月31日に連載終了
- 1951年4月16日に「朝日新聞」(朝刊)紙上に連載開始、1960年4月に連載休止
- 1957年1月に「若い女性」誌上にて連載開始、1959年1月に連載終了
- 1961年10月15日に「朝日新聞」(朝刊)紙上に連載再開、1974年2月21日に連載終了