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「富江陣屋」の版間の差分

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== 概要 ==
== 概要 ==
富江陣屋のある地は当初、戸の島(殿)と呼ばれていたが、[[寛永]]5年([[1638年]])富江に改められた。
富江陣屋のある地は当初、戸の島(殿)と呼ばれていたが、[[寛永]]5年([[1638年]])富江に改められた。
[[寛文]]6年([[1662年]])、[[五島盛清]]が宗家である[[福江藩]]の五島家より3,000石を分知し([[福江藩#富江領|富江領]])、政庁として富江(現・五島市富江町)に陣屋が築かれた。富江五島家は、[[表高家]]・[[交代寄合]](大名格)として8代続き、[[明治]]に至った。陣屋跡地には、石塁、米などを蓄えた石蔵などの遺構が残っている。また、大手門は実相寺の山門として移築され現存する。
[[寛文]]6年([[1662年]])、[[五島盛清]]が宗家である[[福江藩]]の五島家より3,000石を分知し([[福江藩#富江領|富江領]])、政庁として富江(現・五島市富江町)に陣屋が築かれた。富江五島家は、[[表高家]]・[[交代寄合]](大名格)として8代続き、[[明治]]に至った。陣屋跡地には、石塁、米などを蓄えた石蔵などの遺構が残っている。また、大手門は実相寺の山門として移築され現存する。



2013年2月27日 (水) 16:41時点における版

富江陣屋(とみえじんや)は長崎県五島市富江町富江(旧・肥前国松浦郡富江)にあった陣屋である。

概要

富江陣屋のある地は当初、戸の島(殿浦)と呼ばれていたが、寛永5年(1638年)富江に改められた。 寛文6年(1662年)、五島盛清が宗家である福江藩の五島家より3,000石を分知し(富江領)、政庁として富江(現・五島市富江町)に陣屋が築かれた。富江五島家は、表高家交代寄合(大名格)として8代続き、明治に至った。陣屋跡地には、石塁、米などを蓄えた石蔵などの遺構が残っている。また、大手門は実相寺の山門として移築され現存する。

関連項目