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[[1921年]](大正10年)4月文部省在外研究員としてドイツに留学。8月東京帝国大学助教授。10月[[ルプレヒト・カール大学ハイデルベルク|ハイデルベルク大学]]に入学、1922年10月[[バーゼル大学]]に転じ、1923年帰任。
[[1921年]](大正10年)4月文部省在外研究員としてドイツに留学。8月東京帝国大学助教授。10月[[ルプレヒト・カール大学ハイデルベルク|ハイデルベルク大学]]に入学、1922年10月[[バーゼル大学]]に転じ、1923年帰任。


[[1924年]](大正13年)、その3年前に辞職させられた兄、純と入れ替わるように東北帝国大学教授に就任。[[1940年]](昭和15年)12月には[[東京女子大学]]学長に就任し、[[1948年]](昭和23年)同辞任。[[1952年]](昭和27年)4月に[[青山学院大学]][[文学部]]教授、10月[[日本基督教学会]]理事長(初代)。[[1953年]](昭和28年)中世哲学会委員長(初代)、のち会長。
[[1924年]](大正13年)、その3年前に辞職させられた兄、純と入れ替わるように[[東北帝国大学]]教授に就任。[[1940年]](昭和15年)12月には[[東京女子大学]]学長に就任し、[[1948年]](昭和23年)同辞任。[[1952年]](昭和27年)4月に[[青山学院大学]][[文学部]]教授、10月[[日本基督教学会]]理事長(初代)。[[1953年]](昭和28年)中世哲学会委員長(初代)、のち会長。


[[1966年]](昭和31年)宮中御講書始めに「アウグスティヌスの平和思想」について進講。4月病気のために一切の公職を辞す。[[1973年]](昭和48年)ハイデルベルク大学から名誉神学博士の学位授与。[[1976年]](昭和51年)従三位[[勲一等瑞宝章]]授与。
[[1966年]](昭和31年)宮中御講書始めに「アウグスティヌスの平和思想」について進講。4月病気のために一切の公職を辞す。[[1973年]](昭和48年)ハイデルベルク大学から名誉神学博士の学位授与。[[1976年]](昭和51年)従三位[[勲一等瑞宝章]]授与。


兄に[[物理学者]]の[[石原純]]がいる。[[哲学]]・[[倫理学]]・[[宗教学]]等を幅広く研究し、[[1962年]]には[[文化功労者]]、[[1973年]]には[[文化勲章]]受章。
兄に[[物理学者]]の[[石原純]]がいる。[[哲学]]・[[倫理学]]・[[宗教学]]等を幅広く研究し、[[1962年]]には[[文化功労者]]、[[1973年]]には[[文化勲章]]受章。

== 旧石原邸 ==
東北帝大時代の[[1927年]]に、[[遠藤新]]の設計により建築した住居が[[仙台市]][[青葉区]]に現存する(個人宅。非公開)<ref>[http://www.tohoku-epco.co.jp/shiro/10_06/01toku/toku01.html 至上めざす建築の行者 遠藤新]東北電力広報誌「白い国の詩」2000年初夏号</ref>。[[1931年]]には同じく遠藤の設計で[[栃木県]]那須に別邸を建てている<ref>[http://inaxreport.info/data/IR181/IR181_p04-16.pdf 遠藤新] - INAX Report</ref>。


== 著書 ==
== 著書 ==
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*[[波多野精一]]
*[[波多野精一]]


== 外部リンク ==
*[http://webdb3.museum.tohoku.ac.jp/tua-photo/photo-img-b.php?id=D05-2-069-083&instg=&areag=&sbjg=&yrsg= 昭和九年新入生歓迎会の石原謙] - 前列右から3人目
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2014年11月19日 (水) 02:56時点における版

石原 謙(いしはら けん、1882年8月1日 - 1976年7月4日)は、キリスト教史学者。東京生まれ。日本学士院会員。

来歴・人物

東京市本郷区本郷4丁目39番地に日本基督教会本郷教会牧師石原量、母ちせの次男として生まれる。早稲田中学を経て、1901年(明治34年)7月一高に入学、 1904年(明治37年)7月東京帝国大学文科大学史学科に入学、1905年哲学科に転じる。文科大学哲学科では石原の学部卒業間際から大学院生の時期、波多野精一が講師もしていたが、学内においてよりは富士見町教会[1]での波多野による日曜講演会において強い影響を受けた。1907年の大学卒業後、大学院に進む。在学中に1909年(明治42年)富士見町教会の会員の実業家渡辺荘[2]の長女貞と結婚[3]

大学院に進むにあたり教父哲学を研究したいと申し出、教授会は専攻題目の改題を要求し、しかし1912年7月大学院に卒業論文「アレクサンドリアのクレメンスの哲学」を提出、これが認められて文学博士となったのは1921年のことであった。

1921年(大正10年)4月文部省在外研究員としてドイツに留学。8月東京帝国大学助教授。10月ハイデルベルク大学に入学、1922年10月バーゼル大学に転じ、1923年帰任。

1924年(大正13年)、その3年前に辞職させられた兄、純と入れ替わるように東北帝国大学教授に就任。1940年(昭和15年)12月には東京女子大学学長に就任し、1948年(昭和23年)同辞任。1952年(昭和27年)4月に青山学院大学文学部教授、10月日本基督教学会理事長(初代)。1953年(昭和28年)中世哲学会委員長(初代)、のち会長。

1966年(昭和31年)宮中御講書始めに「アウグスティヌスの平和思想」について進講。4月病気のために一切の公職を辞す。1973年(昭和48年)ハイデルベルク大学から名誉神学博士の学位授与。1976年(昭和51年)従三位勲一等瑞宝章授与。

兄に物理学者石原純がいる。哲学倫理学宗教学等を幅広く研究し、1962年には文化功労者1973年には文化勲章受章。

旧石原邸

東北帝大時代の1927年に、遠藤新の設計により建築した住居が仙台市青葉区に現存する(個人宅。非公開)[4]1931年には同じく遠藤の設計で栃木県那須に別邸を建てている[5]

著書

  • 宗教哲学 岩波書店 1916年
  • ギリシヤ人の哲学思想 日本評論社 1928年
  • 基督教史 岩波全書、1934 
  • 新約聖書 岩波書店 1935年
  • ロマ書抄解 ロマ書に於けるパウロ 長崎書店、1937 
  • マルティン・ルターと宗教改革の精神 教文館 1944年
  • 生命の言 新約聖書ヨハネ書翰講解 春光社、1947 
  • キリスト教思想史 角川書店 1949年
  • 中世キリスト教研究 岩波書店 1952年
  • 学究生活の思い出 石原謙博士文集刊行会・中央公論社 1959年
  • 日本キリスト教史論 新教出版社 1967年
  • 宗教改革者ルターとその思想 新教出版社 1967年
  • キリスト教の源流 ヨーロッパ・キリスト教史上巻 岩波書店 1972年
  • キリスト教の展開 ヨーロッパ・キリスト教史下巻 岩波書店 1972年
  • キリスト教と日本 回顧と展望 聞き手:松村克己,中川秀恭 日本基督教団出版局 1976
  • 石原謙著作集 全11巻 岩波書店、1978-79

翻訳

  • 克己論 ウィリアム・ジョーヂ・ジョーダン 内外出版協会 1909.8
  • シュライエルマッヘル「宗教論」内田老鶴圃 1914年
  • 原始基督教 ゲオルグ・ハインリチ 山谷省吾共訳 岩波書店、1917
  • 基督教の真髄 ヴィルヘルム・ヘルマン 郷司慥爾共訳 岩波書店、1922 
  • ハンス・フォン・シューベルト「宗教改革の世界史的意義」岩波書店 1931年
  • ルター「基督者の自由」岩波文庫 1933年
  • 信仰要義 マルティン・ルター 岩波文庫、1939 
  • マリヤの讃歌 マルティン・ルター 吉村善夫共訳 岩波文庫、1941 

記念論集

脚注

  1. ^ 富士見町教会は、石原の父、量をかつて除名した植村正久が創設し、植村から洗礼を受けた波多野は東大での指導教員ケーベル博士とともに植村に協力してこの時期、ここで講演会を催していた。
  2. ^ 石原の義父の渡辺は波多野が京大にキリスト教学講座を開設するにあたり、私財を投じて援助したとされる。
  3. ^ 媒酌人は波多野夫妻、司式は植村( http://www006.upp.so-net.ne.jp/megmeg/kyoukaireki.htm より)。
  4. ^ 至上めざす建築の行者 遠藤新東北電力広報誌「白い国の詩」2000年初夏号
  5. ^ 遠藤新 - INAX Report

関連項目

外部リンク