「青木喜久代」の版間の差分
10行目: | 10行目: | ||
2000-2003年、青木と[[小林泉美_(棋士)|小林泉美]]は女流名人戦挑戦手合で4年連続の対戦となる。 |
2000-2003年、青木と[[小林泉美_(棋士)|小林泉美]]は女流名人戦挑戦手合で4年連続の対戦となる。 |
||
2012年2月16日、女流棋聖戦3番勝負にて[[謝依旻]]を2勝1敗で下して自身初となる女流棋聖タイトルを獲得した |
2012年2月16日、女流棋聖戦3番勝負にて[[謝依旻]]を2勝1敗で下して自身初となる女流棋聖タイトルを獲得した。女流タイトル獲得数を11とし、歴代で単独2位となった。 |
||
2012-2014年、青木と謝依旻は女流棋聖戦挑戦手合で3年連続の対戦となる。 |
2012-2014年、青木と謝依旻は女流棋聖戦挑戦手合で3年連続の対戦となる。 |
2014年12月1日 (月) 15:52時点における版
青木喜久代(あおき きくよ、1968年5月24日 - )は、囲碁の棋士。東京都出身、日本棋院所属、八段。菊池康郎に師事。女流名人5期、女流鶴聖戦4期、女流最強戦1期、女流棋聖戦1期、新人王戦準優勝など。手厚くゆったりとした棋風。兄は青木紳一九段。
経歴
小学1年で母親と一緒に囲碁教室に通い、碁を覚える。小学5年に菊池康郎の主宰する緑星会(現・緑星囲碁学園)に入る。小学6年の1980年に少年少女囲碁大会小学生の部で4位。1981年に日本棋院院生となり、1986年入段。1990年に女流名人戦リーグで全勝優勝し、初タイトル獲得。
1991年に中国の女子名人戦に招待され、リーグ5勝2敗で2位。1991年、92年に女流鶴聖戦連続優勝。1997年には新人王戦で決勝に進み、三番勝負で山田規三生に0-2で敗れる。1998年の本因坊戦2次予選で依田紀基碁聖を破り、29年振りに女流棋士としてタイトル保持者に勝利。1999年には本因坊戦で女流棋士として初めて3次予選に進出するが、加藤正夫に敗れる。
1999年に結婚。2000年、長女出産で産休を取得。大手合で八段昇段。2002年、次女出産に伴い産休。女流名人に返り咲き。2006年にも、女流名人に返り咲き。2008年には正官庄杯世界女子囲碁最強戦に日本代表として出場し3人抜き。タイトル通算10期獲得。1991年の18連勝は女流棋士史上1位。
2000-2003年、青木と小林泉美は女流名人戦挑戦手合で4年連続の対戦となる。
2012年2月16日、女流棋聖戦3番勝負にて謝依旻を2勝1敗で下して自身初となる女流棋聖タイトルを獲得した。女流タイトル獲得数を11とし、歴代で単独2位となった。
2012-2014年、青木と謝依旻は女流棋聖戦挑戦手合で3年連続の対戦となる。
2014年、第27期女流名人戦リーグ入り(第20期女流名人戦本戦以来7期ぶり)[1]。
タイトル歴
- 女流名人戦 1990、1999-2000、02、06年
- 女流鶴聖戦 1991、92、94、2000年
- 東京精密杯女流プロ最強戦 2001年
- 女流棋聖戦 2012年
登場回数 22回 獲得合計 11期
その他の棋歴
国際棋戦
- 宝海杯世界女子選手権戦 ベスト4 1998年
- 日中囲碁交流
- 正官庄杯世界女子囲碁最強戦
- 黄竜士佳源杯世界女子囲碁団体選手権
- 2011年 0-1(×黒嘉嘉)
- ワールドマインドスポーツゲームズ 囲碁女子団体戦銅メダル 2008年
国内棋戦・その他
- 新人王戦 準優勝 1997年
- 中国女子名人戦 2位 1991年
- 女流名人戦 挑戦者 1992、93年
- 東京精密杯女流プロ最強戦 準優勝 2000、07年
- 女流本因坊戦 挑戦者 2009年
- 女流棋聖戦 挑戦者 2014年
- リコー杯ペア囲碁選手権戦 優勝 1998、99年(ともに本田邦久とペア)、2005年(三村智保とペア)
良績
- 2000年:賞金ランキング第16位、女流第1位
- 2006年:賞金ランキング第19位、女流第1位
参考文献
- 秋山賢司「飛び出した若手棋士群 第6回 青木喜久代女流鶴聖」(『棋道』1991年12月号)