「トバイアス・ハリス」の版間の差分
m編集の要約なし |
|||
37行目: | 37行目: | ||
==背番号に纏わるエピソード== |
==背番号に纏わるエピソード== |
||
[[オーランド・マジック]]に加入した際、ハリスは背番号を "12" を着用することを決めた。これはハリスの高校時代の友人が着用していた番号で、その友人は他界し、ハリスは友人の為に背番号 "12" を背負ってプレーすることを決めたという。 |
[[オーランド・マジック]]に加入した際、ハリスは背番号を "12" を着用することを決めた。これはハリスの高校時代の友人が着用していた番号で、その友人は[[白血病]]で17歳の若さで他界し、ハリスは友人の為に背番号 "12" を背負ってプレーすることを決めたという。 |
||
しかしそのハリスの決断が、[[オーランド]]でちょっとした騒動を呼ぶことになった。"12" の背番号は、2011-12シーズンまで[[ドワイト・ハワード]]が着用していた番号だったからである。2012年夏にいわゆる "ドワイトメアー" 騒動でマジックを去り、不評を買うことになったハワードだが、一部のファンからは、「背番号12は永久欠番にするべきだ」という声も挙がっていたこともあり、ハリスは「ドワイトに対する敬意を欠いている」と非難を浴びることになったが、ハリス本人は、自身にプレッシャーをかける意味でも "12" を背負っていくそうである。 |
しかしそのハリスの決断が、[[オーランド]]でちょっとした騒動を呼ぶことになった。"12" の背番号は、2011-12シーズンまで[[ドワイト・ハワード]]が着用していた番号だったからである。2012年夏にいわゆる "ドワイトメアー" 騒動でマジックを去り、不評を買うことになったハワードだが、一部のファンからは、「背番号12は永久欠番にするべきだ」という声も挙がっていたこともあり、ハリスは「ドワイトに対する敬意を欠いている」と非難を浴びることになったが、ハリス本人は、自身にプレッシャーをかける意味でも "12" を背負っていくそうである<ref>{{cite web|url=http://www.newsday.com/sports/basketball/tobias-harris-switches-to-orlando-and-no-12-deceased-childhood-chum-s-number-and-takes-off-1.4826909 |title=Tobias Harris switches to Orlando and No. 12, deceased childhood chum's number, and takes off |publisher=newsday.com |date=2013-03-12 |accessdate=2015-07-03 }}</ref>。 |
||
==その他== |
==その他== |
2015年7月4日 (土) 03:19時点における版
![]() | |
オーランド・マジック No.12 | |
---|---|
ポジション | SF/PF |
基本情報 | |
国籍 |
![]() |
生年月日 | 1992年7月11日(32歳) |
出身地 | ニューヨーク州アイスリップ |
身長 | 206cm (6 ft 9 in) |
体重 | 107kg (236 lb) |
ウィングスパン | 208cm (6 ft 10 in) |
キャリア情報 | |
出身 | テネシー大学 |
ドラフト | 2011年 19位 |
選手経歴 | |
2011-2013 2013- |
ミルウォーキー・バックス オーランド・マジック |
Stats Basketball-Reference.com | |
トバイアス・ハリス (Tobias John Harris 1992年7月11日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州アイスリップ出身のプロバスケットボール選手。NBAのオーランド・マジックに所属している。ポジションはフォワード。
来歴
ロングアイランドで生まれ育ったハリスは、高校時代は"ミスター・ニューヨーク"と呼ばれる存在だった。大学はテネシー大学に進学し、1年生の時に平均15.3得点を記録し、自信を付けて2011年のNBAドラフトにアーリーエントリーを表明[1]。ドラフトでは1巡目19位でシャーロット・ボブキャッツから指名されるも、直後にミルウォーキー・バックスとのトレードが行われ、交渉権がバックスに移動した。
しかしバックス入団後は、厳格な性格で知られるスコット・スカイルズに気に入られず、ベンチに座る時間が多くなった。 転機となったのが2013年2月。J・J・レディック絡みの大型トレードでオーランド・マジックに移籍したハリスは[2]、新天地で多くの出番を与えられ、数字を大きく伸ばし、マジックの主力に成長した。
背番号に纏わるエピソード
オーランド・マジックに加入した際、ハリスは背番号を "12" を着用することを決めた。これはハリスの高校時代の友人が着用していた番号で、その友人は白血病で17歳の若さで他界し、ハリスは友人の為に背番号 "12" を背負ってプレーすることを決めたという。 しかしそのハリスの決断が、オーランドでちょっとした騒動を呼ぶことになった。"12" の背番号は、2011-12シーズンまでドワイト・ハワードが着用していた番号だったからである。2012年夏にいわゆる "ドワイトメアー" 騒動でマジックを去り、不評を買うことになったハワードだが、一部のファンからは、「背番号12は永久欠番にするべきだ」という声も挙がっていたこともあり、ハリスは「ドワイトに対する敬意を欠いている」と非難を浴びることになったが、ハリス本人は、自身にプレッシャーをかける意味でも "12" を背負っていくそうである[3]。
その他
- チャニング・フライは従兄弟にあたる。