「バルパライソ条約」の版間の差分
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'''バルバライソ条約'''とは、[[1884年]][[4月4日]]に[[ボリビア]]と[[チリ]]の間で結ばれた[[条約]]。 |
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[[1879年]]に勃発した[[太平洋戦争_(1879年-1884年)|太平洋戦争]]を終結させる条約である。 |
[[1879年]]に勃発した[[太平洋戦争_(1879年-1884年)|太平洋戦争]]を終結させる条約である。 |
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この条約によりボリビアとチリの休戦が決まり、ボリビア領土であった[[アントファガスタ]]港がチリの領土となった。 |
この条約によりボリビアとチリの休戦が決まり、ボリビア領土であった[[アントファガスタ]]港がチリの領土となった。 |
2016年8月28日 (日) 08:17時点における版
バルバライソ条約とは、1884年4月4日にボリビアとチリの間で結ばれた条約。 1879年に勃発した太平洋戦争を終結させる条約である。
概要
この条約によりボリビアとチリの休戦が決まり、ボリビア領土であったアントファガスタ港がチリの領土となった。 以降現在に至るまで、ボリビアは海を持たない内陸国となり、輸出をチリやペルーに頼らなければいけなくなってしまった。
ボリビア人の中には現在もこの条約を不当と考え、海を奪ったチリに敵意を持つものが少なくない。 毎年3月23日を海の日 (El dia del mar)として「海を取り戻そう」キャンペーンをテレビなどを使って行なっている。南米でさかんなサッカーの試合などでもしばしば「海を返せ」といった政治的な横断幕がみられる。
なお、太平洋戦争のもう1つの当事国であるペルーは、この前年の1883年にアンコン条約によりチリへの実質的敗北が決まっている。