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「三里塚のイカロス」の版間の差分

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== 概要 ==
== 概要 ==
[[三里塚闘争]]([[成田空港問題]])を題材とした[[ドキュメンタリー]]映画。[[三里塚に生きる]]の続編。前作では成田空港反対派の地元農民を中心に描かれていたのに対し、今作では元[[革命的共産主義者同盟 (日本)|革共同]]、元[[共産主義者同盟マルクス・レーニン主義派|ML派]]、元[[日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)|第四インター]]などの支援者・活動家・支援妻を中心に描く。また、元[[新東京国際空港公団|空港公団]]で農家の用地買収を担当していた「0期生」と呼ばれた人物も登場する。
[[三里塚闘争]]([[成田空港問題]])を題材とした[[ドキュメンタリー]]映画。[[三里塚に生きる]]の続編。前作では成田空港反対派の地元農民を中心に描かれていたのに対し、今作では元[[革命的共産主義者同盟 (日本)|革共同]]、元[[共産主義者同盟マルクス・レーニン主義派|ML派]]、元[[日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)|第四インター]]などの支援者・活動家・支援妻を中心に描く。また、元[[新東京国際空港公団|空港公団]]で農家の用地買収を担当していた「0期生」と呼ばれた人物も登場する。


本作を制作するため、[[クラウドファンディング]]を利用して、映画制作の資金集めを実施した<ref>{{Cite web |url=https://motion-gallery.net/projects/sanrizuka02 |title=傑作『三里塚に生きる』につづく戦後ニッポン黙示録の第二章、『三里塚のイカロス』製作費をご支援ください。 |accessdate=2017-04-30}}</ref>。
本作を制作するため、[[クラウドファンディング]]を利用して資金集めた<ref>{{Cite web |url=https://motion-gallery.net/projects/sanrizuka02 |title=傑作『三里塚に生きる』につづく戦後ニッポン黙示録の第二章、『三里塚のイカロス』製作費をご支援ください。 |accessdate=2017-04-30}}</ref>。


[[2017年]]([[平成]]29年)[[9月9日]]から[[9月17日]]まで、[[渋谷区]]の[[シアター・イメージフォーラム]]で公開された。また、公開記念および[[小川紳介]]没後25周年として「小川プロダクション・三里塚とあの時代 [[1967年|1967]]-[[1973年|1973]]」も、[[学校法人アテネ・フランセ|アテネ・フランセ文化センター]]と[[武蔵大学]]提供の16ミリフィルムで再上映された。その後は『三里塚に生きる』の再上映を実施している。
[[2017年]]([[平成]]29年)[[9月9日]]から[[9月17日]]まで、[[渋谷区]]の[[シアター・イメージフォーラム]]で公開された。また、公開記念および[[小川紳介]]没後25周年として「小川プロダクション・三里塚とあの時代 [[1967年|1967]]-[[1973年|1973]]」も、[[学校法人アテネ・フランセ|アテネ・フランセ文化センター]]と[[武蔵大学]]提供の16ミリフィルムで再上映された。その後は『三里塚に生きる』の再上映を実施している。
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第18回チョンジュ国際映画祭の招待作品に選ばれた。
第18回チョンジュ国際映画祭の招待作品に選ばれた。


なお、主要登場人物の1人である元活動家[[岸宏一 (活動家)|岸宏一]]([[革命的共産主義者同盟全国委員会|中核派]]元代表)は、映画撮影後の2017年(平成29年)[[3月26日]]に[[谷川岳]]への雪山登山中に遭難しており、捜索の結果、持ち物のリュックが見つかったが、身体が見つかっていない<ref name="Mainichi-2017-06-20">{{Cite news |title=「三里塚のイカロス」完成 成田反対運動その後描く 元現地闘争活動家の「遺言」 /東京 |newspaper=[[毎日新聞]] |date=2017-06-20 |author= |url=https://mainichi.jp/articles/20170620/ddl/k13/040/003000c |accessdate=2017-09-17}}</ref><ref name="Sankei-2017-06-23">{{Cite news |title=【ニュースの深層】 中核派元幹部、雪山で不明3カ月 10年前に除名…「完全打倒」予告されていた |newspaper=[[産経新聞]] | date=2017-06-23 | author= 渡辺浩 | url = http://www.sankei.com/premium/news/170621/prm1706210002-n2.html |accessdate=2017-09-19}}</ref>。岸が[[三里塚闘争]]の責任者([[1981年]] - [[2006年]])だった期間中、中核派は[[成田空港問題]]を巡って、[[10.20成田現地闘争]]のほか、[[東鉄工業作業員宿舎放火殺人事件]]、[[千葉県収用委員会会長襲撃事件]]、[[日本飛行機専務宅放火殺人事件]]、仲間同士の[[内ゲバ]]などの[[テロリズム]]を起こしたが<ref name="Sankei-2017-06-23"/>、劇中では「あれは間違っていた。過ちだった」と、生前に闘争の[[失敗]]を認め、事実上最期の[[遺言]]となり、活動[[総括 (連合赤軍)|総括]]している。
なお、主要登場人物の1人である元活動家[[岸宏一 (活動家)|岸宏一]]([[革命的共産主義者同盟全国委員会|中核派]]元代表)は、映画撮影後の2017年(平成29年)[[3月26日]]に[[谷川岳]]への雪山登山中に遭難しており、捜索の結果、持ち物のリュックが見つかったが、身体が見つかっていない<ref name="Mainichi-2017-06-20">{{Cite news |title=「三里塚のイカロス」完成 成田反対運動その後描く 元現地闘争活動家の「遺言」 /東京 |newspaper=[[毎日新聞]] |date=2017-06-20 |author= |url=https://mainichi.jp/articles/20170620/ddl/k13/040/003000c |accessdate=2017-09-17}}</ref><ref name="Sankei-2017-06-23">{{Cite news |title=【ニュースの深層】 中核派元幹部、雪山で不明3カ月 10年前に除名…「完全打倒」予告されていた |newspaper=[[産経新聞]] | date=2017-06-23 | author= 渡辺浩 | url = http://www.sankei.com/premium/news/170621/prm1706210002-n2.html |accessdate=2017-09-19}}</ref>。岸が[[三里塚闘争]]の責任者([[1981年]] - [[2006年]])だった期間中、中核派は[[成田空港問題]]を巡、[[10.20成田現地闘争]]のほか、[[東鉄工業作業員宿舎放火殺人事件]]、[[千葉県収用委員会会長襲撃事件]]、[[日本飛行機専務宅放火殺人事件]]、仲間同士の[[内ゲバ]]などの[[テロリズム]]を起こしたが<ref name="Sankei-2017-06-23"/>、劇中では「あれは間違っていた。過ちだった」と、生前に闘争の[[失敗]]を認め、事実上最期の[[遺言]]となり、活動[[総括 (連合赤軍)|総括]]している。


== スタッフ ==
== スタッフ ==

2017年9月19日 (火) 13:09時点における版

三里塚のイカロス
監督 代島治彦
製作 三里塚のイカロス製作委員会
音楽 大友良英
配給 ムヴィオラ、スコブル工房
公開 日本の旗 2017年9月9日
上映時間 138分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
前作 三里塚に生きる
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三里塚のイカロス』(さんりづかのいかろす)は、2017年日本ドキュメンタリー映画。

概要

三里塚闘争成田空港問題)を題材としたドキュメンタリー映画。『三里塚に生きる』の続編。前作では成田空港反対派の地元農民を中心に描かれていたのに対し、今作では元革共同、元ML派、元第四インターなどの支援者・活動家・支援妻を中心に描く。また、元空港公団で農家の用地買収を担当していた「0期生」と呼ばれた人物も登場する。

本作を制作するため、クラウドファンディングを利用して資金を集めた[1]

2017年平成29年)9月9日から9月17日まで、渋谷区シアター・イメージフォーラムで公開された。また、公開記念および小川紳介没後25周年として「小川プロダクション・三里塚とあの時代 1967-1973」も、アテネ・フランセ文化センター武蔵大学提供の16ミリフィルムで再上映された。その後は『三里塚に生きる』の再上映を実施している。

第18回チョンジュ国際映画祭の招待作品に選ばれた。

なお、主要登場人物の1人である元活動家岸宏一中核派元代表)は、映画撮影後の2017年(平成29年)3月26日谷川岳への雪山登山中に遭難しており、捜索の結果、持ち物のリュックが見つかったが、身体が見つかっていない[2][3]。岸が三里塚闘争の責任者(1981年 - 2006年)だった期間中、中核派は成田空港問題を巡り、10.20成田現地闘争のほか、東鉄工業作業員宿舎放火殺人事件千葉県収用委員会会長襲撃事件日本飛行機専務宅放火殺人事件、仲間同士の内ゲバなどのテロリズムを起こしたが[3]、劇中では「あれは間違っていた。過ちだった」と、生前に闘争の失敗を認め、事実上最期の遺言となり、活動を総括している。

スタッフ

脚注

関連項目

外部リンク