「イサシオ・カジェハ」の版間の差分
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[[パレンシア県]]の[[ビジャムリエル・デ・セラート]]に生まれた。1958年に[[アトレティコ・マドリード]]のトップチーム選手に登録されたが、その1958年は経験を積むために当時3部に在籍していた[[CDグアダラハラ (スペイン)|CDグアダラハラ]]へとレンタルされた。1959年1月にアトレティコ・マドリードへ復帰すると、直後の[[レアル・オビエド]]戦で[[ラ・リーガ]]デビューを果たした<ref name=Myth>{{cite news|url=http://hemeroteca.mundodeportivo.com/preview/2004/11/05/pagina-10/784533/pdf.html|title=El 'Chato', el escudo en el corazón|newspaper=Mundo Deportivo|language=es|date=5 November 2004|accessdate=8 April 2015}}</ref>。 |
[[パレンシア県]]の[[ビジャムリエル・デ・セラート]]に生まれた。1958年に[[アトレティコ・マドリード]]のトップチーム選手に登録されたが、その1958年は経験を積むために当時3部に在籍していた[[CDグアダラハラ (スペイン)|CDグアダラハラ]]へとレンタルされた。1959年1月にアトレティコ・マドリードへ復帰すると、直後の[[レアル・オビエド]]戦で[[プリメーラ・ディビシオン|ラ・リーガ]]デビューを果たした<ref name=Myth>{{cite news|url=http://hemeroteca.mundodeportivo.com/preview/2004/11/05/pagina-10/784533/pdf.html|title=El 'Chato', el escudo en el corazón|newspaper=Mundo Deportivo|language=es|date=5 November 2004|accessdate=8 April 2015}}</ref>。 |
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アトレティコ・マドリードにレンタルバックしてからはクラブの中心選手として活躍し、1960~70年代のクラブの黄金期をけん引した。また、1969-70シーズンには、リーグ優勝が掛かった[[CEサバデル]]との一戦で決勝点を挙げ、自身2度目となるリーグ優勝に貢献した。1971-72シーズン、4回目の[[コパ・デル・レイ]]優勝を果たしてシーズン終了後に現役を引退<ref name=Myth/>。14年にも及ぶアトレティコ・マドリードでの選手生活で公式戦425試合に出場した (UEFA主催大会には76試合出場)<ref name=Death>{{cite web|url=https://www.europapress.es/deportes/futbol-00162/noticia-fallece-isasio-calleja-quinto-jugador-mas-partidos-oficiales-atletico-20190204211910.html|title=Fallece Isacio Calleja, el quinto jugador con más partidos oficiales con el Atlético|publisher=Europa Press|language=es|date=4 February 2019|accessdate=5 February 2019}}</ref>。 |
アトレティコ・マドリードにレンタルバックしてからはクラブの中心選手として活躍し、1960~70年代のクラブの黄金期をけん引した。また、1969-70シーズンには、リーグ優勝が掛かった[[CEサバデル]]との一戦で決勝点を挙げ、自身2度目となるリーグ優勝に貢献した。1971-72シーズン、4回目の[[コパ・デル・レイ]]優勝を果たしてシーズン終了後に現役を引退<ref name=Myth/>。14年にも及ぶアトレティコ・マドリードでの選手生活で公式戦425試合に出場した (UEFA主催大会には76試合出場)<ref name=Death>{{cite web|url=https://www.europapress.es/deportes/futbol-00162/noticia-fallece-isasio-calleja-quinto-jugador-mas-partidos-oficiales-atletico-20190204211910.html|title=Fallece Isacio Calleja, el quinto jugador con más partidos oficiales con el Atlético|publisher=Europa Press|language=es|date=4 February 2019|accessdate=5 February 2019}}</ref>。 |
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=== クラブ === |
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;アトレティコ・マドリード |
;アトレティコ・マドリード |
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*[[ラ・リーガ]] : 2回 (1965-66, 1969-70) |
*[[プリメーラ・ディビシオン|ラ・リーガ]] : 2回 (1965-66, 1969-70) |
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*[[コパ・デル・レイ]] : 4回 (1959-60, 1960-61, 1964-65, 1971-72) |
*[[コパ・デル・レイ]] : 4回 (1959-60, 1960-61, 1964-65, 1971-72) |
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*[[UEFAカップウィナーズカップ]] : 1回 (1961-62) |
*[[UEFAカップウィナーズカップ]] : 1回 (1961-62) |
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{{1964 欧州ネイションズカップスペイン代表}} |
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[[Category:スペインのサッカー選手]] |
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2021年2月11日 (木) 13:11時点における版
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アトレティコ・マドリードでのカジャハ (1971年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
イサシオ・カジェハ・ガルシア Isacio Calleja García | |||||
ラテン文字 | Isacio Calleja | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スペイン | |||||
生年月日 | 1936年12月6日(87歳) | |||||
出身地 | ビジャムリエル・デ・セラート | |||||
没年月日 | 2019年2月4日(82歳没) | |||||
身長 | 172cm | |||||
体重 | 71kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF (LB) | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
アルテス・グラフィカス | ||||||
フェムサ | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1958-1972 | アトレティコ・マドリード | 300 | (6) | |||
1958 | → グアダラハラ (loan) | |||||
代表歴 | ||||||
1961 | スペインB | 1 | (0) | |||
1961-1972 | スペイン | 13 | (0) | |||
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イサシオ・カジェハ・ガルシア(Isacio Calleja García、1936年12月6日 - 2019年2月4日)は、スペイン・カスティーリャ・イ・レオン州ビジャムリエル・デ・セラート出身の元サッカー選手。ポジションはDFだった。
1958年にアトレティコ・マドリードでプロデビューし、1972年に同クラブで現役を引退した。スペイン代表が1964 欧州ネイションズカップを制した際のメンバーでもある。
クラブ経歴
パレンシア県のビジャムリエル・デ・セラートに生まれた。1958年にアトレティコ・マドリードのトップチーム選手に登録されたが、その1958年は経験を積むために当時3部に在籍していたCDグアダラハラへとレンタルされた。1959年1月にアトレティコ・マドリードへ復帰すると、直後のレアル・オビエド戦でラ・リーガデビューを果たした[1]。
アトレティコ・マドリードにレンタルバックしてからはクラブの中心選手として活躍し、1960~70年代のクラブの黄金期をけん引した。また、1969-70シーズンには、リーグ優勝が掛かったCEサバデルとの一戦で決勝点を挙げ、自身2度目となるリーグ優勝に貢献した。1971-72シーズン、4回目のコパ・デル・レイ優勝を果たしてシーズン終了後に現役を引退[1]。14年にも及ぶアトレティコ・マドリードでの選手生活で公式戦425試合に出場した (UEFA主催大会には76試合出場)[2]。
代表経歴
1961年4月19日、ウェールズ代表とのワールドカップ予選でスペインA代表デビューを飾った[3]。
1964年に開催された欧州ネイションズカップでは決勝を除く4試合に先発フル出場。スペイン代表の大会制覇に一役買った[2]。
引退後
現役を引退後は大学にて法学を学び、マドリードの裁判所で裁判官として働いた[2]。2019年2月4日、マドリードにて死去[4]。
タイトル
クラブ
- アトレティコ・マドリード
- ラ・リーガ : 2回 (1965-66, 1969-70)
- コパ・デル・レイ : 4回 (1959-60, 1960-61, 1964-65, 1971-72)
- UEFAカップウィナーズカップ : 1回 (1961-62)
代表
- 欧州ネイションズカップ : 1回 (1964)
脚注
- ^ a b “El 'Chato', el escudo en el corazón” (スペイン語). Mundo Deportivo. (5 November 2004) 8 April 2015閲覧。
- ^ a b c “Fallece Isacio Calleja, el quinto jugador con más partidos oficiales con el Atlético” (スペイン語). Europa Press (4 February 2019). 5 February 2019閲覧。
- ^ “País de Gales, 1 – España, 2” (スペイン語). Mundo Deportivo. (20 April 1961) 5 February 2019閲覧。
- ^ “Muere Isacio Calleja, una de las grandes leyendas del Atlético de Madrid” (スペイン語). Marca. (4 February 2019) 4 February 2019閲覧。