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「曽禰好忠」の版間の差分

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当時としては[[和歌]]の新しい形式である「[[百首歌]]」を創始し、さらに1年を360首に歌いこめた「毎月集」を作った。当時の有力歌人であった[[源順]](みなもとのしたごう)、[[大中臣能宣]]・[[源重之]]らと交流があったが、偏狭な性格で自尊心が高かったことから、社交界に受け入れられず孤立した存在であった。新奇な題材や「[[万葉集]]」の古語を用いて斬新な和歌を読み、[[平安時代]]後期の革新歌人から再評価された。
当時としては[[和歌]]の新しい形式である「[[百首歌]]」を創始し、さらに1年を360首に歌いこめた「毎月集」を作った。当時の有力歌人であった[[源順]](みなもとのしたごう)、[[大中臣能宣]]・[[源重之]]らと交流があったが、偏狭な性格で自尊心が高かったことから、社交界に受け入れられず孤立した存在であった。新奇な題材や「[[万葉集]]」の古語を用いて斬新な和歌を読み、[[平安時代]]後期の革新歌人から再評価された。


「[[拾遺和歌集]]」以下の[[勅撰和歌集]]に入集。家集に「[[曾丹集]]」がある。
「[[拾遺和歌集]]」以下の[[勅撰和歌集]]に入集。家集に「[[曾丹集]]」がある。[[小倉百人一首]]
46番(及び『[[新古今和歌集]]』恋一1071)より。


:由良の門(と)を 渡る舟人 梶(かじ)を絶え 行方も知らぬ 恋の通かな
*[[小倉百人一首]]

**46番 由良の門(と)を 渡る舟人 梶(かじ)を絶え 行方も知らぬ 恋の通かな(「[[新古今和歌集]]」恋一1071)
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2007年1月15日 (月) 16:51時点における版

曾禰好忠(そねのよしただ、生没年不詳)は、平安時代中期の歌人。出自については未詳。中古三十六歌仙の一人。長く地方官である丹後掾であったことから曾丹後(そたんご)とも曾丹(そたん)とも称された。

当時としては和歌の新しい形式である「百首歌」を創始し、さらに1年を360首に歌いこめた「毎月集」を作った。当時の有力歌人であった源順(みなもとのしたごう)、大中臣能宣源重之らと交流があったが、偏狭な性格で自尊心が高かったことから、社交界に受け入れられず孤立した存在であった。新奇な題材や「万葉集」の古語を用いて斬新な和歌を読み、平安時代後期の革新歌人から再評価された。

拾遺和歌集」以下の勅撰和歌集に入集。家集に「曾丹集」がある。小倉百人一首 46番(及び『新古今和歌集』恋一1071)より。

由良の門(と)を 渡る舟人 梶(かじ)を絶え 行方も知らぬ 恋の通かな