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[[1998年]]の宇部興産オープンでは初日に68をマークし<ref name="大会1日目首位・江本光" />、[[1999年]]の同大会では現地ウエイティング(6番目<ref name="首位は45歳・江本光">[https://news.golfdigest.co.jp/jgto/3843/article/40398/2/ 首位は45歳・江本光]</ref>)で欠場者枠が空くのを待ち<ref name="大会1日目首位・江本光" />、開幕前日の昼に出場が決まった<ref name="首位は45歳・江本光" />。晴天ながら強風でスタートした初日に他の選手のスコアが伸びずにいる中、3、4、10、15番とチップインを決め、さらに4番ホールではディボットからの強めのボールがピンに当たってイン<ref name="首位は45歳・江本光" />。インスタートの10番ミドルの第3打をグリーン右のラフからピンまで15ヤードをサンドウェッジでチップインし、この他3ホールでチップインバーディを成功させ、15番ロングではグリーン右ラフに落ちたピンまで8ヤードの第4打を入れてバーディ<ref name="大会1日目首位・江本光" />。折り返しの3番ショートではグリーンエッジの第2打をパターで沈めて3つ目を決め、最後は4番ロングで、ピンまで30ヤード地点のデイボットに嵌った球をピッチングで強めにショットし、派手にイーグルで決めた<ref name="大会1日目首位・江本光" />。2ホール連続チップインの感触を大切にして5番ミドルでも、第3打を20cmにつけ、今にも入ってしまいそうなファインショットを披露<ref name="大会1日目首位・江本光" />。上がりの8番は意識してボギーにしてしまったが、[[崔京周]]([[大韓民国]])・[[片山晋呉]]・金鐘徳(大韓民国)・[[東聡]]を抑えて<ref name="大会1日目首位・江本光" />4アンダー<ref>[https://imagelink.kyodonews.jp/detail?id=3721347 1999年05月20日 首位の江本 宇部興産ゴルフ第1日]</ref>68<ref name="首位は45歳・江本光" />で首位発進<ref name="大会1日目首位・江本光" />と一人飛び出した<ref name="首位は45歳・江本光" />。2日目には早々に崩れ、3オーバーで28位に後退<ref>[https://news.golfdigest.co.jp/jgto/3843/article/40398/3/ 韓国の崔京周、単独首位に浮上]</ref>。 |
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1999年の[[千葉オープンゴルフトーナメント|千葉オープン]]では[[鈴木亨]]と共に初日は70で22位タイスタートであったが、最終日には68をマークし、[[坂本義一]]・[[今野康晴]]と並んでの7位タイ<ref>[https://web.archive.org/web/20220808040817/https://www.pga.or.jp/data/other1999/results/pga-data/chibaop.html '99千葉オープンゴルフトーナメント]</ref>に入った。 |
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[[2002年]]の[[サントリーオープンゴルフトーナメント|サントリーオープン]]<ref>[https://www.jgto.org/player/162/result 江本 光選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site]</ref>を最後にレギュラーツアーから引退し、シニア転向後の[[2009年]]にはハンダカップグローイングで優勝、[[ファンケルクラシック]]では10位タイ<ref>[http://www.jga.or.jp/jga/jsp/players/profile_16737.html 江本 光選手のプロフィール]</ref>に入った。 |
[[2002年]]の[[サントリーオープンゴルフトーナメント|サントリーオープン]]<ref>[https://www.jgto.org/player/162/result 江本 光選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site]</ref>を最後にレギュラーツアーから引退し、シニア転向後の[[2009年]]にはハンダカップグローイングで優勝、[[ファンケルクラシック]]では10位タイ<ref>[http://www.jga.or.jp/jga/jsp/players/profile_16737.html 江本 光選手のプロフィール]</ref>に入った。 |
2024年6月27日 (木) 00:49時点における版
Hikaru EMOTO | |
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基本情報 | |
名前 | 江本 光 |
生年月日 | 1954年2月24日(70歳) |
身長 | 175 cm (5 ft 9 in) |
体重 | 65 kg (143 lb) |
国籍 |
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出身地 | 大阪府 |
経歴 |
江本 光(えもと ひかる、1954年2月24日 - )は、大阪府出身のプロゴルファー。
来歴
1982年にプロ入りし[1]、青木功や海老原清治を師に持つ[2]。
1986年の大京オープンでは初日を新井規矩雄・新関善美・飯合肇・山本善隆・海老原・河野和重・青木基正・中村忠夫と並んでの4位タイ[3]でスタートし、2日目には1イーグル、4バーディー、1ボギーの66マークし通算8アンダー134で単独首位に立った[4]。3日目には5アンダーで海老原と共に3位タイ[5]に着け、最終日には75と崩れて15位タイ[6]に終わった。
1989年のブリヂストンオープンでは青木・金子柱憲と並んでの9位タイ[7]に入り、泉川ピートとペアを組んだアコムダブルスでは好天に恵まれた初日に65をマークして5位タイ[8]でスタートし、3日目には62で安田春雄&森下正美ペアと並んでの5位タイ[9]に着け、最終日にはバリー・レーン&ピーター・ベイカー(イングランド)ペアと並んでの4位タイ[10]に入った。ミズノTOKYOオープンでは2日目に66をマークして首位に立ち[11]、最終日には72を叩き、この日66をマークした秋富由利夫に並ばれての2位タイ[12]に終わる。
1991年にはペプシ宇部興産で陳志忠(中華民国)・藤木三郎に次ぐ3位[13]に入り[14]、1992年の茨城オープンでは加藤仁・岩下吉久・大井手哲・芹澤大介・森茂則に次ぐと同時に小泉清一・町野治・小溝高夫・渡辺由己と並んでの6位タイ[15]に入る。
1995年にはクレインカップ真庭オープン[16]で優勝し[1]、水戸グリーンオープンで佐野修一を抑えて田中秀道の3位[15]、NST新潟オープンでは小泉・河村雅之・桑原克典・佐々木久行と並んでの9位タイ[17]に入る。
1998年の宇部興産オープンでは初日に68をマークし[14]、1999年の同大会では現地ウエイティング(6番目[18])で欠場者枠が空くのを待ち[14]、開幕前日の昼に出場が決まった[18]。晴天ながら強風でスタートした初日に他の選手のスコアが伸びずにいる中、3、4、10、15番とチップインを決め、さらに4番ホールではディボットからの強めのボールがピンに当たってイン[18]。インスタートの10番ミドルの第3打をグリーン右のラフからピンまで15ヤードをサンドウェッジでチップインし、この他3ホールでチップインバーディを成功させ、15番ロングではグリーン右ラフに落ちたピンまで8ヤードの第4打を入れてバーディ[14]。折り返しの3番ショートではグリーンエッジの第2打をパターで沈めて3つ目を決め、最後は4番ロングで、ピンまで30ヤード地点のデイボットに嵌った球をピッチングで強めにショットし、派手にイーグルで決めた[14]。2ホール連続チップインの感触を大切にして5番ミドルでも、第3打を20cmにつけ、今にも入ってしまいそうなファインショットを披露[14]。上がりの8番は意識してボギーにしてしまったが、崔京周(大韓民国)・片山晋呉・金鐘徳(大韓民国)・東聡を抑えて[14]4アンダー[19]68[18]で首位発進[14]と一人飛び出した[18]。2日目には早々に崩れ、3オーバーで28位に後退[20]。
1999年の千葉オープンでは鈴木亨と共に初日は70で22位タイスタートであったが、最終日には68をマークし、坂本義一・今野康晴と並んでの7位タイ[21]に入った。
2002年のサントリーオープン[22]を最後にレギュラーツアーから引退し、シニア転向後の2009年にはハンダカップグローイングで優勝、ファンケルクラシックでは10位タイ[23]に入った。
現在は千葉県船橋市の大型ゴルフ練習場『丸山ゴルフセンター」でレッスンを担当[24]。
主な優勝
- 1995年 - クレインカップ真庭オープン
脚注
- ^ a b c 江本 光 エモト ヒカル HIKARU EMOTO
- ^ 上へ、上へと強い球! ブリヂストンゴルフ ツアーB JGR 【レシート ナンバーズ キャンペーン連動・新作ドライバー徹底試打vol.1】
- ^ 朝日新聞縮刷版p491 昭和61年12月12日朝刊19面「牧野ら三人首位並走 青木功二十位 大京オープンゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p535 昭和61年12月13日朝刊19面「江本、単独トップ 20位→2位青木功浮上 大京オープンゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p579 昭和61年12月14日朝刊19面「青木、首位に立つ 通算50勝目前 大京オープンゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p611 昭和61年12月15日朝刊19面「尾崎健、有終の美飾る 新井にプレーオフ勝ち 青木は3位 大京オープンゴルフ」
- ^ フルリーダーボード ブリヂストンオープン 1989 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ 毎日新聞縮刷版p118 平成元年11月3日朝刊26面「川岸、プロデビュー 北川と組み 1打差で2位タイ アコムダブルス第1日」
- ^ 毎日新聞縮刷版p181 平成元年11月5日朝刊21面「トップに川俣兄弟 アコムダブルス第3日」
- ^ 毎日新聞縮刷版p217 平成元年11月6日朝刊21面「須藤・青柳組が優勝 アコムダブルス最終日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p1258 平成元年11月26日朝刊24面
- ^ 朝日新聞縮刷版p1297 平成元年11月27日朝刊23面
- ^ ペプシ宇部興産トーナメント 1991 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ a b c d e f g h 大会1日目首位・江本光
- ^ a b 【公式】水戸グリーンカントリークラブ
- ^ 会社案内 - ENA GOLF
- ^ フルリーダーボード NST新潟オープンゴルフ選手権競技 1995 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ a b c d e 首位は45歳・江本光
- ^ 1999年05月20日 首位の江本 宇部興産ゴルフ第1日
- ^ 韓国の崔京周、単独首位に浮上
- ^ '99千葉オープンゴルフトーナメント
- ^ 江本 光選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ 江本 光選手のプロフィール
- ^ 丸山ゴルフセンター