「水田章雄」の版間の差分
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大阪・[[清教学園高等学校|清教学園高]]から[[立命館大学]]、[[大和銀行]]を経て[[1998年]]の[[ドラフト]]5位でダイエーに入団。<br>高校3年、夏の大阪府大会では、4回戦で[[中村紀洋]]のいる[[大阪府立渋谷高等学校|渋谷高]]に敗れている。 |
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150キロ近い速球のほかに、打者の手元で小さく変化する[[カーブ]]と、大きく縦に割れる[[フォーク]]が武器。プロ2年目の[[2000年]]に初登板を果たし、同年[[7月11日]]の[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]]戦では初先発で初勝利を成し遂げる。その後は低迷が続いたが、[[2002年]]には相次ぐ先発ローテーション投手の離脱で1軍復帰。即先発を任される。 |
150キロ近い速球のほかに、打者の手元で小さく変化する[[カーブ]]と、大きく縦に割れる[[フォーク]]が武器。プロ2年目の[[2000年]]に初登板を果たし、同年[[7月11日]]の[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]]戦では初先発で初勝利を成し遂げる。その後は低迷が続いたが、[[2002年]]には相次ぐ先発ローテーション投手の離脱で1軍復帰。即先発を任される。 |
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== 外部リンク == |
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*[http://www.mizuta44.com/ 水田章雄公式サイト] |
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{{2007 福岡ソフトバンクホークス}} |
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[[Category:日本の野球選手|みすたあきお]] |
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[[Category:福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の選手|みすたあきお]] |
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[[Category:大阪府出身の人物|みすたあきお]] |
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2007年1月23日 (火) 11:43時点における版
水田 章雄(みずた あきお, 1973年7月11日 - )は福岡ソフトバンクホークス所属の投手。背番号は44。右投げ右打ち。大阪府出身。元読売ジャイアンツ、西武ライオンズの後藤光貴は社会人で同期である。
来歴・人物
大阪・清教学園高から立命館大学、大和銀行を経て1998年のドラフト5位でダイエーに入団。
高校3年、夏の大阪府大会では、4回戦で中村紀洋のいる渋谷高に敗れている。
150キロ近い速球のほかに、打者の手元で小さく変化するカーブと、大きく縦に割れるフォークが武器。プロ2年目の2000年に初登板を果たし、同年7月11日の日本ハム戦では初先発で初勝利を成し遂げる。その後は低迷が続いたが、2002年には相次ぐ先発ローテーション投手の離脱で1軍復帰。即先発を任される。
6試合の先発登板で3勝負けなし、防御率2.62と、終わってみればプロ入りして最高の成績を挙げ、翌年の先発ローテーション入りに名乗りを挙げた。
しかし、2003年は15試合に投げてわずか1勝(3敗)に終わりシーズンを通して1軍定着とはいかなかった。
翌2004年は抑え投手の不在から開幕直後から抑え役を任されたが、精神面の弱さを露呈しわずか3セーブを挙げるに留まり、新人の三瀬幸司に抑え役を明け渡しまたもシーズンを通して2軍暮らしを送ることになる。
同年10月21日、翌2005年5月26日に相次いで右ヒジ遊離軟骨除去手術を行い、再起を期す。
通算成績(2006年シーズン終了時点)
- 70試合 8勝 8敗 3セーブ 169・3/2投球回 124奪三振 99失点 防御率4.67