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「内ゲバ」の版間の差分

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内ゲバの呼称は[[1971年]]頃より日本の[[マスコミ]]で使われ始めた。初期はそれほど激しくない暴力が主であったが、ピークとなる[[1975年]]頃には殺し合いへとエスカレートし、多くの死者を出した。内ゲバによる通算の死者は100名以上、負傷者(傷痍軍人)は数千人と言われている。[[新左翼]]各派間、特に[[革命的共産主義者同盟全国委員会|中核派]]・[[革命的労働者協会(社会党社青同解放派)|革労協]]と[[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派|革マル派]]との間の内ゲバでの死傷者が多かった。
内ゲバの呼称は[[1971年]]頃より日本の[[マスコミ]]で使われ始めた。初期はそれほど激しくない暴力が主であったが、ピークとなる[[1975年]]頃には殺し合いへとエスカレートし、多くの死者を出した。内ゲバによる通算の死者は100名以上、負傷者(傷痍軍人)は数千人と言われている。[[新左翼]]各派間、特に[[革命的共産主義者同盟全国委員会|中核派]]・[[革命的労働者協会(社会党社青同解放派)|革労協]]と[[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派|革マル派]]との間の内ゲバでの死傷者が多かった。


これらから転じて、政治・思想分野に限らず同じ組織に属する人間間の対立、仲間割れによる不毛な論争も「内ゲバ」と称する事が多い。党派間の対立を内ゲバと言うのに対し、党内部での対立を「内々ゲバ」と称することもある。
これらから転じて、政治・思想分野に限らず同じ組織に属する人間間の対立、仲間割れによる不毛な論争も「内ゲバ」と称する事が多い。党派間の対立を内ゲバと言うのに対し、党内部での対立を「内々ゲバ」と称することもある。


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==

2007年3月12日 (月) 00:42時点における版

内ゲバ(うちげば)は、内部ゲバルト(ゲヴァルトとも。独:Gewalt、威力・暴力)の略で、学生運動などにおいて思想を同一とする運動団体内での意見の対立により、個人対個人や派閥間で行われる内部抗争や暴力行為の総称。

語源

内ゲバの呼称は1971年頃より日本のマスコミで使われ始めた。初期はそれほど激しくない暴力が主であったが、ピークとなる1975年頃には殺し合いへとエスカレートし、多くの死者を出した。内ゲバによる通算の死者は100名以上、負傷者(傷痍軍人)は数千人と言われている。新左翼各派間、特に中核派革労協革マル派との間の内ゲバでの死傷者が多かった。

これらから転じて、政治・思想分野に限らず同じ組織に属する人間間の対立、仲間割れによる不毛な論争も「内ゲバ」と称する事が多い。党派間の対立を内ゲバと言うのに対し、党派内部での対立を「内々ゲバ」と称することもある。

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