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=== 大関 ===
=== 大関 ===
2006年5月場所の新大関で14勝1敗、本割で唯一負けた[[雅山哲士|雅山]]との同点優勝決定戦で勝ち、新大関の勝ち星記録更新という快挙も成し遂げて初優勝を果たした。優勝パレードの手は、兄弟子の[[光法]]が務めた。
2006年5月場所の新大関で14勝1敗、本割で唯一負けた[[雅山哲士|雅山]]との同点[[ヌル|優勝決定戦]]で勝ち、新大関の勝ち星記録更新という快挙も成し遂げて初優勝を果たした。優勝パレードの手は、兄弟子の[[光法]]が務めた。


=== 綱獲り ===
=== 綱獲り ===

2007年3月19日 (月) 16:28時点における版

白鵬翔
基礎情報
四股名 白鵬翔
本名 Mönkhbatyn Davaajargal
生年月日 1985年3月11日
出身 モンゴルウランバートル
身長 192cm
体重 154kg
所属部屋 宮城野部屋
成績
現在の番付 西大関2
最高位 大関
生涯戦歴 260勝116敗21休(36場所)
幕内戦歴 166勝68敗21休(17場所)
優勝 幕内優勝1回
十両優勝1回
殊勲賞3回、敢闘賞1回、技能賞2回
データ
初土俵 2001年3月場所
入幕 2004年5月場所
備考
金星1個(朝青龍
2006年12月19日現在

白鵬 翔(はくほう しょう、1985年3月11日 - )は、モンゴル国ウランバートル市出身で宮城野部屋所属の現役大相撲力士。本名は Мөнхбатын Даваажаргал(Mönkhbatyn Davaajargal;ムンフバト・ダヴァジャルガル、Davaajargalは月曜日の幸福という意味。得意技は右四つ、寄り、出し投げによる崩しも強烈。身長192cm、体重154kg。最高位は大関。星座は魚座、血液型はA型。

来歴

父ジグジドゥ・ムンフバトはブフ(モンゴル相撲)で、5年連続6度の優勝をした元アヴァルガ(モンゴル相撲の横綱)。メキシコ五輪レスリング重量級銀メダリスト(モンゴル初の五輪メダルリスト)となる。モンゴル国の国民的英雄。母タミルは元外科医。来日前にブフは10~12歳の時に遊びでやっていた程度で経験らしい経験はなく、バスケットボールに熱心に取り組んでいた。

大相撲で活躍していた同じモンゴル出身の旭鷲山をつてに、2000年10月25日に6人のモンゴル人と共に来日。大阪の摂津倉庫で相撲を習っていた。共に来日した猛虎浪立浪部屋)、大想源式秀部屋)、大河(式秀部屋)らの入門が決まるなか、小柄だった白鵬を受け入れてくれる部屋は最後までなかった。失意の帰国前日12月24日、彼を哀れんだ旭鷲山が師匠である大島(元大関・旭國)と会食中に相談し、大島親方は友人であった当時の宮城野(元幕内・竹葉山、現・熊ヶ谷)に受け入れを申し入れた。

こうして角界入りとなるものの、部屋の元幕下訪竜に「若くてすらっとしている子」という条件で連れてこさせた少年を見た宮城野は、父親の実績を知る由もなく、その小柄な体から大きな期待はしていなかったという。しかし一方で、大きな手足と腰、柔らかい筋肉などから、もしかしたら化けるかもしれないと思い、入門してからの2カ月間は稽古をさせず、毎日吐く程に食べさせ、牛乳を飲ませた。

四股名は、横綱大鵬柏戸に因んで柏鵬(はくほう)とする案があったが、色白だったことから白鵬と付けられた(元十両千代白鵬と四股名が比較されるが、命名は千代白鵬が先)。2001年3月場所に初土俵を踏むが、番付に名前が載った翌5月場所は身体の小ささもあり、後に出世する力士としては異例の序ノ口での負け越しを経験する。しかし、入門当時は身長175cm、体重68kgだった体は、食文化の違いを苦にせず大食漢だったことと熱心な稽古によって大きく成長し続けた。急激な肉体の成長と才能の開花に歩を合わせるかのように、番付を駆け上がっていく。

十両

2003年11月場所では、東幕下9枚目で6勝1敗の好成績を上げ、関取の定員増もあり翌2004年1月場所に新十両に昇進し、翌場所、十両わずか2場所目で追風海との優勝決定戦を制し優勝。十両は2場所で通過。

新入幕

2004年5月場所で新入幕をとなる。19歳1カ月での新入幕は貴花田(後の横綱・貴乃花)、北の湖花田(後の大関・貴ノ花)に次ぐ当時史上4位の若さであった。その場所、千秋楽まで単独で優勝争いの先頭に立っていた北勝力を立ち合いの変化で破り、星1つの差で追っていた同じモンゴル出身の横綱朝青龍の「援護射撃」を果たし、自らも12勝3敗の好成績で貴花田(後の横綱・貴乃花)の18歳 7ヶ月に次ぐ19歳 2ヶ月の若さで初三賞、敢闘賞を受賞した。新入幕での12勝は、15日制になってから歴代3位タイ。

幕内

入幕1年目にして横綱最有力候補と目され、2005年3月場所には関脇に昇進し、直近の2場所で12勝・11勝を上げていた事から大関獲りの場所と目された。達成すれば貴乃花を上回る史上最年少での昇進となったものの、睡眠時無呼吸症候群による稽古不足に悩まされ序盤からまさかの3連敗で、終盤追い上げて8勝7敗と勝ち越しはしたものの、大関昇進を逃がした。

同年7月場所では7日目まで6勝1敗と優勝争いをしていたが、中日の普天王戦で左足関節靭帯損傷及び内反捻挫の怪我を負い、初土俵以来初めて休場し翌9月場所では、平幕落ちした。翌11月場所は、2場所ぶりに小結に復帰し9勝6敗。

大関獲り

関脇に復帰した2006年1月場所では、12日目に朝青龍を小手投げで破る。千秋楽では大関昇進で先を越された琴欧州に寄り倒しで圧勝し、栃東との優勝決定戦を待ったが、栃東が朝青龍に勝ち優勝決定戦にはならなかった。この時初めて千秋楽まで優勝に絡んだ。

翌3月場所は、自身2度目の大関獲りの場所であった。11日目に全勝の横綱朝青龍との相星決戦で、左四つに組み合った後、左手で朝青龍の左ももを払いながらの上手出し投げで完勝し、大関昇進の基準といわれる33勝目をあげた。千秋楽では魁皇に敗れたが、優勝を争っていた朝青龍も栃東に敗れたため優勝決定戦で再び朝青龍と対戦。朝青龍に得意の右四つからの下手投げで敗れ優勝は逃したが、技能賞と殊勲賞を獲得するなど高く評価された。この一番はモンゴル国内において、瞬間視聴率は驚異の93パーセントを記録したとされる。

場所終了後の3月29日日本相撲協会は大阪市内で番付編成会議を開き、白鵬の大関昇進を満場一致で決め、理事会で承認された。正使として友綱理事(元関脇・魁輝薫秀)、副使に春日山審判委員(元幕内・春日富士晃大)が、大阪府堺市の西本願寺堺別院に派遣された。師匠の宮城野(元十両・金親)夫妻とともに紋付き袴姿で出迎え、「謹んでお受け致します。大関の地位を汚さぬように、全身全霊をかけて努力します。本日は誠にありがとうございます。」と昇進口上を述べた。

大関

2006年5月場所の新大関で14勝1敗、本割で唯一負けた雅山との同点優勝決定戦で勝ち、新大関の勝ち星記録更新という快挙も成し遂げて初優勝を果たした。優勝パレードの旗手は、兄弟子の光法が務めた。

綱獲り

2006年7月場所、初の綱獲り場所初日、朝赤龍、9日目に雅山に敗れたが、その後順調に勝ち星を積み重ね、千秋楽ではここまで全勝の朝青龍に土をつけ13勝2敗で場所を終えた。

横綱昇進が有力視されたが、日本相撲協会の放駒審判部長は、朝青龍の独走を許したという理由で、理事会の召集も横綱審議委員会への諮問も行わず、横綱推挙は見送られた。番付上、東横綱・朝青龍と東大関・白鵬との対戦が組まれるのは千秋楽であるため、そこまで優勝争いがもつれなかったという意味で「独走を許した」という表現となった(14日目の時点では横綱が14勝0敗で優勝決定、白鵬が12勝2敗)。

翌9月場所で再び綱獲りを目指したものの、初日に稀勢の里に敗れ、その際右膝を負傷。12日目でようやく勝ち越すが、その後千秋楽まで連敗。8勝7敗で横綱への挑戦は白紙に戻った。

翌11月場所は、場所直前の11月1日稽古場のある公園内の階段でトレーニング中つまずき、左足親指を怪我、翌日、左母趾基節骨遠位端骨折と診断され福岡市内の病院で手術(ボルトを入れ4針縫う)し入院。9日に抜糸し退院したが、同日宮城野親方が会見を開き、怪我の回復を優先させる事から休場を発表、初の全休となった。

次の2007年1月場所は、自身初の角番であったが、12日目で8勝目を挙げ、角番を脱した。

現在の師匠は宮城野だが、もともと熊ヶ谷親方の内弟子であり、故に専ら熊ヶ谷親方の指導を受けている。

略歴

  • 2001年3月場所 - 初土俵(一番出世)
  • 2004年1月場所 - 新十両
  • 2004年5月場所 - 新入幕
  • 2005年1月場所 - 新小結
  • 2005年3月場所 - 新関脇
  • 2006年5月場所 - 新大関

幕内での場所別成績

場所 地位 勝数 敗数 休場 備考
平成16年5月 東前頭16枚目 12 3 0 新入幕、敢闘賞(初)
平成16年7月 東前頭8枚目 11 4 0 -
平成16年9月 東前頭3枚目 8 7 0 -
平成16年11月 西前頭筆頭 12 3 0 殊勲賞(初)、金星(朝青龍)
平成17年1月 西小結 11 4 0 新三役、技能賞(初)
平成17年3月 西関脇 8 7 0 -
平成17年5月 東関脇 9 6 0 -
平成17年7月 東関脇 6 3 6 左足関節靱帯損傷
平成17年9月 西前頭筆頭 9 6 0 -
平成17年11月 西小結 9 6 0 -
平成18年1月 西関脇 13 2 0 殊勲賞(2)
平成18年3月 東関脇 13 2 0 殊勲賞(3)、技能賞(2)
平成18年5月 西大関3 14 1 0 新大関、優勝(初)
平成18年7月 東大関 13 2 0 -
平成18年9月 東大関 8 7 0 -
平成18年11月 西大関2 0 0 15 左母趾基節骨遠位端骨折
平成19年1月 西大関3 10 5 0 角番
通算 166 68 21 -

主な力士との幕内対戦成績

2007年1月場所現在

力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
普天王 6 1 旭天鵬 9 2
安美錦 4 1 琴欧洲 8 4
土佐ノ海 6 1 玉乃島 4 1
黒海 7 2 露鵬 5 0
豪風 2 1 時天空 3 1
北勝力 6 0 白露山 2 0
高見盛 4 1 安馬 3 0
垣添 7 1 稀勢の里 2 2
出島 6 2 琴奨菊 3 0
栃乃洋 3 2 把瑠都 3 0
雅山 11 4
朝赤龍 2 2
栃東 7(2) 5
魁皇 7(1) 4(1)
千代大海 8 4
武双山 2 0
琴光喜 8 5
朝青龍 4 8
岩木山 5 3
若の里 3 6

(カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数)

主な成績

平成18年11月場所終了現在

  • 通算成績:260勝116敗21休(36場所)
  • 幕内成績:166勝68敗21休(17場所)
  • 三役在位:7場所(関脇5場所、小結2場所)
  • 大関在位:5場所

各段優勝

  • 幕内最高優勝:1回(2006年5月場所)
  • 十両優勝:1回(2004年3月場所)

三賞・金星

  • 殊勲賞:3回(2004年11月場所、2006年1月場所、2006年3月場所)
  • 敢闘賞:1回(2004年5月場所)
  • 技能賞:2回(2005年1月場所、2006年3月場所)
  • 金星:1個(朝青龍

エピソード

  • あまりにもよく寝るので、部屋の兄弟子が死んでいるんじゃないかと心配した。
  • 幕下時代に朝帰りをし、熊ヶ谷親方(当時:宮城野親方)が激怒し破門寸前。土下座し謝り許しを得る。
  • 入幕前、幕内で3場所33勝以上で大関になれると思っており、相撲記者に「三役で33勝」と教わる。
  • 2006年5月場所十二日目、帰りの車の中で「君が代」を教わり以後練習し、初優勝を果たした千秋楽では、君が代を歌った。
  • 初の綱獲り挑戦の2006年7月場所後、16時間眠り続けた。
  • 大相撲中継で藤井アナウンサーが誤って熊ヶ谷親方の事を「白鵬の師匠の宮城野親方」と言い間違えた事がある。これは熊ヶ谷親方が以前宮城野を名乗っていたための間違い。

TV出演

CM出演

その他

  • 2006年6月20日 早稲田大学 パネルディスカッション「モンゴル相撲と演劇」に講師として招かれる

関連項目

外部リンク