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6回3/1を無失点に抑え、見事3年ぶり、先発としては4年ぶりの勝利を掴んだ。 |
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== 通算成績(2006年シーズン終了時点) == |
== 通算成績(2006年シーズン終了時点) == |
2007年4月22日 (日) 07:41時点における版
水田 章雄(みずた あきお, 1973年7月11日 - )は福岡ソフトバンクホークス所属の投手。背番号は44。右投げ右打ち。大阪府出身。元読売ジャイアンツ、西武ライオンズの後藤光貴は社会人で同期である。
来歴・人物
大阪・清教学園高から立命館大学、大和銀行を経て1998年のドラフト5位でダイエーに入団。
高校3年、夏の大阪府大会では、4回戦で中村紀洋のいる渋谷高に敗れている。
150キロ近い速球のほかに、打者の手元で小さく変化するカーブと、大きく縦に割れるフォークが武器。プロ2年目の2000年に初登板を果たし、同年7月11日の日本ハム戦では初先発で初勝利を成し遂げる。その後は低迷が続いたが、2002年には相次ぐ先発ローテーション投手の離脱で1軍復帰。即先発を任される。
6試合の先発登板で3勝負けなし、防御率2.62と、終わってみればプロ入りして最高の成績を挙げ、翌年の先発ローテーション入りに名乗りを挙げた。
しかし、2003年は15試合に投げてわずか1勝(3敗)に終わりシーズンを通して1軍定着とはいかなかった。
翌2004年は抑え投手の不在から開幕直後から抑え役を任されたが、精神面の弱さを露呈しわずか3セーブを挙げるに留まり、新人の三瀬幸司に抑え役を明け渡し、またもシーズンを通して2軍暮らしを送ることになる。
同年10月21日、翌2005年5月26日に相次いで右ヒジ遊離軟骨除去手術を行い、再起を期す。
2007年、4月19日の楽天戦に4年ぶりの先発登板を果たす。 この日は3回途中で降板し敗戦投手になったものの、和田毅の離脱により、4月22日の日本ハム戦で再び先発のマウンドに立つ。
6回3/1を無失点に抑え、見事3年ぶり、先発としては4年ぶりの勝利を掴んだ。
通算成績(2006年シーズン終了時点)
年度 | 試合 | 勝利 | 敗北 | セーブ | 完投 | 勝率 | 投球回 | 奪三振 | 失点 | 自責 | 四球 | 死球 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1999 | 15 | 1 | 2 | 0 | 0 | .333 | 32 2/3 | 28 | 21 | 19 | 19 | 0 | 5.23 |
2000 | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 29 1/3 | 27 | 13 | 9 | 7 | 0 | 2.76 |
2001 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 5 | 3 | 3 | 3 | 1 | 0 | 5.40 |
2002 | 6 | 3 | 0 | 0 | 2 | 1.000 | 34 1/3 | 25 | 10 | 10 | 12 | 0 | 2.62 |
2003 | 15 | 1 | 3 | 0 | 0 | .250 | 43 | 29 | 36 | 33 | 29 | 3 | 6.91 |
2004 | 14 | 3 | 3 | 3 | 0 | .500 | 18 2/3 | 10 | 12 | 10 | 11 | 0 | 4.82 |
2005 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
2006 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 6 2/3 | 2 | 4 | 4 | 2 | 0 | 5.40 |
通算 | 70 | 8 | 8 | 3 | 2 | .500 | 169 2/3 | 124 | 99 | 88 | 4.67 |