「久延毘古」の版間の差分
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[[大国主の国づくり]]の説話において登場する。[[大国主]]の元に海の向こうから小さな神がやって来たが、名を尋ねても答えず、誰もこの神の名を知らなかった。そこでヒキガエルが「この世界のことなら何でも知っている久延毘古なら、きっと知っているだろう」と言うので久延毘古を呼ぼうとするが、久延毘古は歩くことが出来ないという。大国主らが久延毘古の元へ行くと、それは山田のそほど([[かかし]]の古名)であった。久延毘古に訊くと、「その神は[[カミムスビ|神産巣日神]]の子の[[スクナビコナ|少彦名神]]である」と答えた。 |
[[大国主の国づくり]]の説話において登場する。[[大国主]]の元に海の向こうから小さな神がやって来たが、名を尋ねても答えず、誰もこの神の名を知らなかった。そこでヒキガエルが「この世界のことなら何でも知っている久延毘古なら、きっと知っているだろう」と言うので久延毘古を呼ぼうとするが、久延毘古は歩くことが出来ないという。大国主らが久延毘古の元へ行くと、それは山田のそほど([[かかし]]の古名)であった。久延毘古に訊くと、「その神は[[カミムスビ|神産巣日神]]の子の[[スクナビコナ|少彦名神]]である」と答えた。 |
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久延毘古はかかしを神格化したものであり、田の神、農業の神、土地の神である。また、かかしは田の中に立って一日中世の中を見ていることから、天下のことは何でも知っているとされるようになった |
久延毘古はかかしを神格化したものであり、田の神、農業の神、土地の神である。かかしはその形から神の[[依代]]とされ、これが[[山の神]]の信仰と結びつき、収獲祭や[[小正月]]に「かかし上げ」の祭をする地方もある。また、かかしは田の中に立って一日中世の中を見ていることから、天下のことは何でも知っているとされるようになった。 |
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神名の「クエビコ」は「崩え彦」 |
神名の「クエビコ」は「崩え彦」、体が崩れた男の意で、雨風にさらされて朽ち果てたかかしを表現したものである。また、「杖彦」が転じたものとも取れ、[[イザナギ]]が黄泉から帰ってきた後の禊で杖を投げ出した時に生まれた船戸神(ふなとのかみ、岐神、[[道祖神]])との関連も考えられる。 |
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田の神、また、学業の神として信仰されており、[[大神神社]]([[奈良県]][[桜井市]]) |
田の神、また、学業の神として信仰されており、久氐比古神社([[石川県]][[鹿島郡 (石川県)|鹿島郡]][[鹿島町 (石川県)|鹿島町]])や[[大神神社]]([[奈良県]][[桜井市]])末社・久延彦神社などで祀られている。 |
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==関連項目== |
==関連項目== |
2004年12月6日 (月) 15:19時点における版
大国主の国づくりの説話において登場する。大国主の元に海の向こうから小さな神がやって来たが、名を尋ねても答えず、誰もこの神の名を知らなかった。そこでヒキガエルが「この世界のことなら何でも知っている久延毘古なら、きっと知っているだろう」と言うので久延毘古を呼ぼうとするが、久延毘古は歩くことが出来ないという。大国主らが久延毘古の元へ行くと、それは山田のそほど(かかしの古名)であった。久延毘古に訊くと、「その神は神産巣日神の子の少彦名神である」と答えた。
久延毘古はかかしを神格化したものであり、田の神、農業の神、土地の神である。かかしはその形から神の依代とされ、これが山の神の信仰と結びつき、収獲祭や小正月に「かかし上げ」の祭をする地方もある。また、かかしは田の中に立って一日中世の中を見ていることから、天下のことは何でも知っているとされるようになった。
神名の「クエビコ」は「崩え彦」、体が崩れた男の意で、雨風にさらされて朽ち果てたかかしを表現したものである。また、「杖彦」が転じたものとも取れ、イザナギが黄泉から帰ってきた後の禊で杖を投げ出した時に生まれた船戸神(ふなとのかみ、岐神、道祖神)との関連も考えられる。
田の神、また、学業の神として信仰されており、久氐比古神社(石川県鹿島郡鹿島町)や大神神社(奈良県桜井市)末社・久延彦神社などで祀られている。