「小菅 (葛飾区)」の版間の差分
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北端も足立区との区境であるが、複雑に入り組んでいるのは、もとあった[[隅田川|古隅田川]]という河川をなぞったからである。行政上の町界に隣接する町名として北に[[足立区]]の[[綾瀬 (足立区)|綾瀬]]および[[ |
北端も足立区との区境であるが、複雑に入り組んでいるのは、もとあった[[隅田川|古隅田川]]という河川をなぞったからである。行政上の町界に隣接する町名として北に[[足立区]]の[[綾瀬 (足立区)|綾瀬]]および[[西綾瀬]]、東および南に[[堀切]]が、北西には[[足立区]]の[[足立 (足立区)|足立]]があり、西には[[荒川放水路]]を挟んで[[足立区]]の[[日ノ出町 (足立区)|日ノ出町]]と[[柳原 (東京都)|柳原]]がある。 |
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町の中心を東西に横切るのは旧[[水戸街道]]であり、綾瀬川にかかる「水戸橋」はこれにちなんだ名である。 |
町の中心を東西に横切るのは旧[[水戸街道]]であり、綾瀬川にかかる「水戸橋」はこれにちなんだ名である。 |
2007年7月28日 (土) 04:12時点における版
小菅(こすげ)は、東京都葛飾区北西部にある地名である。 現在の住居表示では小菅一丁目から小菅四丁目があり、この地域の人口は10,048人(2005年10月1日現在)である。葛飾区小菅の郵便番号は〒124-0001である。
東京拘置所のある町として特に知られている。
足立区内にある東武伊勢崎線小菅駅の付近を含めた地域全体を小菅と呼ぶ場合もある。
地理
荒川の東岸に位置し、対岸は足立区になる。西側の小菅一丁目と東側の小菅二、三丁目の間には綾瀬川が南北に流れている。 北端も足立区との区境であるが、複雑に入り組んでいるのは、もとあった古隅田川という河川をなぞったからである。行政上の町界に隣接する町名として北に足立区の綾瀬および西綾瀬、東および南に堀切が、北西には足立区の足立があり、西には荒川放水路を挟んで足立区の日ノ出町と柳原がある。
町の中心を東西に横切るのは旧水戸街道であり、綾瀬川にかかる「水戸橋」はこれにちなんだ名である。 また南東から北西にかけて平和橋通りが貫通している。
地名の由来
元は千葉袋(ちばぶくろ)と呼ばれる地域の一部であり、茅などが生い茂る土地だったと思われる。 中世以降に村として認知されたと考えられている。
交通
鉄道
以下の鉄道駅も近いので、よく利用される。
道路
施設
教育
- 区立西小菅小学校(小菅一丁目)
- 区立こすげ小学校(小菅三丁目)
- 区立綾瀬中学校(小菅二丁目)
その他
歴史
大政奉還後の1869年(明治2年)1月、関東郡代伊奈氏の屋敷跡(その後、一時将軍鷹狩りの休憩地「小菅御殿」となっていた)に県庁を置き小菅県が誕生した。これは現在の東京都足立区、葛飾区、江戸川区などや埼玉県千葉県の各一部などを含む広大な土地であったが、当時はまだ全国に藩も混在していた時期で、1871年(明治4年)11月には、廃藩置県に伴って小菅県は廃止され、周辺は東京府南葛飾郡に属することとなった。
県庁跡地は約10年間煉瓦工場となった後、小菅監獄(現在の東京拘置所)となった。
1889年の市制・町村制に伴い、小菅は南綾瀬村に属し(1928年南綾瀬町に昇格した)、1932年に葛飾区が設置されるに伴い小菅町となった。 住居表示の実施により旧上千葉町の一部を小菅四丁目として編入し、現在の小菅の姿になった。
現在の水再生センター(下水処理場)は1967年に着工、運転開始は1977年である。
小菅で首都高速道路中央環状線が開通したのが1982年であり、3年後の1985年1月には首都高速道路6号三郷線が開通し、小菅ジャンクションとなった。