コンテンツにスキップ

「梅田 (足立区)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
テンプレ追加
58行目: 58行目:
== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[足立区]]
* [[足立区]]
* [[梅島 (足立区)|梅島]] : [[東京府]][[南足立郡]]梅島時代に属していた
** [[梅島 (東京府)|梅島]]-[[1928年]](昭和3年)から[[1932年]](昭和7年)まで存在した[[東京府]][[南足立郡]]の村。以下の地区を域としていた
*** [[梅島 (足立区)]]
: その他の旧梅島村構成地域
*** [[梅田 (足立区)]]
: [[栗原 (足立区)|栗原]] / [[島根 (足立区)|島根]] / [[平野 (足立区)|平野]] / [[一ツ家 (足立区)|一ツ家]] / [[西新井栄町]] / [[中央本町 (足立区)|中央本町]]
*** [[栗原 (足立区)]]
*** [[島根 (足立区)]]
*** [[中央本町 (足立区)]]
*** [[西新井栄町]]
*** [[一ツ家 (足立区)]]
*** [[平野 (足立区)]]


{{足立区の町名}}
{{足立区の町名}}

2007年7月28日 (土) 04:27時点における版

日本 > 東京都 > 足立区 > 梅田

梅田(うめだ)は、東京都足立区中部の一地区。住居表示では梅田一丁目から梅田八丁目まである。郵便番号は〒123-0851

隣接する地域は北は梅島、東は足立、南は荒川を挟んで千住、西は関原および西新井栄町

地域

地名の由来

風土記の記述によると、その昔この地域一帯は海に面した河口付近の沿岸地帯であったという記述が見られる。大河の河口部に当たるために堆積物が広がり、そこを埋め立てして新田が開かれたという。埋め立てられた低湿地帯のこの土地を「埋田」と呼び、それが美称されて「梅田」となったという。この地域は東京湾からも遠くなく、旧荒川(隅田川)が蛇行しながら流れている状況から、梅田が開発された頃は梅田付近が東京湾の入り江で、荒川の河口に隣接していたのだと推測される。

交通

鉄道

東武伊勢崎線 : 梅島駅

未成線

  • 筑波高速度電気鉄道 - 昭和初期に構想されたが計画段階で廃止。開通していれば梅田を通るはずであった。

道路・橋梁

施設

  • 梅田区民事務所
  • 区立梅田図書館
  • 梅田住区センター
  • 区立梅島小学校
  • 区立梅島第二小学校
  • 区立第九中学校
  • 足立梅田郵便局

史跡

  • 庚申塔(梅田5-9-4)
  • 明王院(梅田4-15-30)
  • 不動堂
  • 弁財天
  • 梅田天神
  • 善立寺(梅田1-26-10)
  • 眞福寺(梅田1-1-23)
  • 梅田神明宮(梅田6-19-4)
  • 梅田稲荷神社(梅田5-9-5)
  • 佐竹稲荷(梅田6-28-8)
  • 石不動(梅田3-18-14)
  • 旧梅島役場跡
  • 梅栗小学校跡

地下水揚水と地盤沈下

足立区域は例外なく地下水の豊富な地域であり、梅田もその例外ではなかった。梅田地区の地下を流れる水脈は浦和方面から流れるものであったが、この地下水は梅田の基幹産業であった製紙業だけでなく、生活用水として大変重宝され、大量に揚水された。しかしあまりに過剰な地下水を汲み上げすぎてしまったがために、1897年(明治30年)頃に始まった地盤沈下は急激に悪化し、1965年(昭和40年)までに2m近くも沈下した。これ以上の沈下は水害を悪化させるとして1966年(昭和41年)に通商産業省(当時)によって揚水が禁止され、梅田から井戸は廃止された。

歴史

梅田の歴史は江戸時代初期までさかのぼる。

年表

関連項目