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「安城七夕まつり」の版間の差分

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[[太平洋戦争]]が終結した昭和20年台、安城市発足前の安城町において、地元の活性化を目指した商工会による夏行事として、花火大会や商店街の大売り出しが行われていた。その後、[[1952年]](昭和27年)市制が敷かれ安城市が発足。安城駅前商店街が中心となり、夏行事を基本に七夕祭りの企画が提案され、[[1954年]](昭和29年)に第1回目の安城七夕祭りが開催された。第1回目の祭りは成功を収め、これを受けて毎年開催されることとなった。
[[太平洋戦争]]が終結した昭和20年台、安城市発足前の安城町において、地元の活性化を目指した商工会による夏行事として、花火大会や商店街の大売り出しが行われていた。その後、[[1952年]](昭和27年)市制が敷かれ安城市が発足。安城駅前商店街が中心となり、夏行事を基本に七夕祭りの企画が提案され、[[1954年]](昭和29年)に第1回目の安城七夕祭りが開催された。第1回目の祭りは成功を収め、これを受けて毎年開催されることとなった。


1959年(昭和34年)からは、安城七夕まつり協賛会が発足し、祭の計画・運営を行う形とされた。[[1978年]](昭和53年)には[[日本商工会議所]]主催の「全国郷土祭」において、安城の竹飾りを披露。これを契機に全国にその名を知られ、[[日本三大]]七夕祭りの一つと称されるようにもなった。(ただし、明確な定義がないため、複数の名乗りがある)
1959年(昭和34年)からは、安城七夕まつり協賛会が発足し、祭の計画・運営を行う形とされた。[[1978年]](昭和53年)には[[日本商工会議所]]主催の「全国郷土祭」において、安城の竹飾りを披露。これを契機に全国にその名を知られ、[[日本三大]]七夕祭りの一つと称されるようにもなった。(ただし、明確な定義がないため、複数の名乗りがある)<ref>[[大阪府]][[枚方市]]や[[交野市]]では仙台/平塚と両市連合で日本三大七夕と定義している。</ref>


== 脚注 ==
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[[愛知県]][[安城市]]最大のイベント。1954年(昭和29年)開催~現在。1978年(昭和53年)に、日本商工会議所100周年記念の「全国郷土祭」においてこだわりの竹飾りを披露したことから、仙台・平塚と並んで「日本三大[[七夕]]」と認知された。


8月の第1週の週末3日間に開催する。

竹飾りは、1000本(仙台の1500本に次ぐ)と本格的なもので、開催範囲も、市役所~JR[[安城駅]]~名鉄[[南安城駅]]に及ぶ中心市街地がスッポリ入るほどの広さで、平塚の2倍以上ある。商店街のメインストリートは、屋台がギッシリ並ぶ。

豊富な会場周辺の無料駐車場(案内看板あり)、JR・名鉄のダブルアクセスを可能にする優位な鉄道駅前開催と、集客力は抜群である。

以前は、4日間であったが、現在は週末の金曜・土曜・日曜の3日間開催で、密度の濃いお祭りになっている。

旧更生病院跡地を、市民交流広場として開放しており、各種イベントを開催する。

トイレは、JR安城駅前、名鉄南安城駅前、サンテラス(ユニー)安城店北側の公園、旧更生病院跡地の市民交流広場(新設)などにある。

会場本部は、JR安城駅南口のペデストリアンデッキ下になる。

同日に、お隣の岡崎市の花火大会と重なる。

ミス七夕が、5人選出され、大会に華を添える。

遠方からのお越しは、新幹線三河安城駅で降り、駅前のホテル群で宿泊し、あんくるバス・タクシー・レンタカーなどで、会場入りするのがいいだろう。

道路網は、東名高速道路の岡崎IC~国道1号、伊勢湾岸道の豊田南IC~有料衣浦豊田道路、国道23号、県道48号線(岡崎刈谷線)などでアクセスできる。

※安城市内の店舗では、安城七夕まつり用として、浴衣が売り出されている。

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== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[七夕]]
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2007年8月3日 (金) 03:06時点における版

安城七夕まつり(あんじょうたなばたまつり)は愛知県安城市において、1954年(昭和29年)から行われている行事。毎年8月上旬に開催され、七夕として仙台平塚に並び日本三大七夕祭りの一つに数えられることもある。

安城駅周辺の商店街を中心に、毎年8月の第一週の週末に3日開催される。七夕の竹飾り1000本に及び、仙台七夕に次ぐ規模となっている。

歴史

太平洋戦争が終結した昭和20年台、安城市発足前の安城町において、地元の活性化を目指した商工会による夏行事として、花火大会や商店街の大売り出しが行われていた。その後、1952年(昭和27年)市制が敷かれ安城市が発足。安城駅前商店街が中心となり、夏行事を基本に七夕祭りの企画が提案され、1954年(昭和29年)に第1回目の安城七夕祭りが開催された。第1回目の祭りは成功を収め、これを受けて毎年開催されることとなった。

1959年(昭和34年)からは、安城七夕まつり協賛会が発足し、祭の計画・運営を行う形とされた。1978年(昭和53年)には日本商工会議所主催の「全国郷土祭」において、安城の竹飾りを披露。これを契機に全国にその名を知られ、日本三大七夕祭りの一つと称されるようにもなった。(ただし、明確な定義がないため、複数の名乗りがある)[1]

脚注

  1. ^ 大阪府枚方市交野市では仙台/平塚と両市連合で日本三大七夕と定義している。

関連項目

外部リンク