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*高橋名人 - 日本のゲームメーカー・ハドソンの社員であり、ファミコン名人として知られる高橋名人の本名。
*高橋利幸(騎手) - 日本の地方競馬・船橋競馬場に所属する騎手。
*高橋利幸(指揮者) - 本項で記載。
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[[高橋利幸]](たかはし としゆき、1948年3月8日-)は日本の指揮者。
[[高橋利幸]](たかはし としゆき、1948年3月8日-)は日本の指揮者。



2007年9月7日 (金) 16:40時点における版

  • 高橋名人 - 日本のゲームメーカー・ハドソンの社員であり、ファミコン名人として知られる高橋名人の本名。
  • 高橋利幸(騎手) - 日本の地方競馬・船橋競馬場に所属する騎手。
  • 高橋利幸(指揮者) - 本項で記載。

高橋利幸(たかはし としゆき、1948年3月8日-)は日本の指揮者。

尚美高等音楽院(現 尚美学園大学)専攻科卒。指揮法を齋藤秀雄メソードにより桐朋学園大学の高階正光氏に師事、在学中より女声合唱団「コール・メーティス」を指揮、青山タワーホールを中心とする定期演奏会の指揮をするとともに、東京新聞社、東京文化会館主催の都民合唱コンクールに参加、2回の2位入賞や奨励賞受賞の成果をあげる。このころ、NHK FM「オルガンとコーラス」やテレビ特別番組にも出演、2度の合唱指揮リサイタルでは、合唱曲「蝶」「美しい訣れの朝」等の中田喜直作品の難曲を取り上げ、作曲者より『生涯 忘れられぬ演奏』と評され、週間オンステージ新聞では『珠玉の女声合唱』として好評を博した。

卒業後は千葉県船橋市立前原中学校で教鞭をとり、母校尚美高等音楽院の指揮科講師として後進の育成にあたった。1979年からは千葉県習志野市立第一中学校に勤務し、オーケストラの指導・指揮者として全国学校合奏コンクール、TBSこども音楽コンクールに出場し、全国コンクールにおいて、合奏の部・重奏の部合わせて全国優勝9回を数える。その当時の教え子たちは、世界で活躍中のヴァイオリニスト漆原朝子、寺井尚子をはじめ、新日本フィル主席ホルン奏者の吉永雅人や大阪フィルのチェロ奏者の林口眞也などプロとして活躍している者も多い。

1985年には中華全国青年連合会の招きで訪中し、「習志野青少年交響楽団」を率い北京、上海で公演。中国青年報では『常に前進しようとする、子供達と指揮者』と絶賛を博し、日中音楽文化交流の一端を担った。その後は千葉県柏市立柏中学校で吹奏楽の指導にあたり、 1991年千葉県で開催された「第6回 国民文化祭ちば`91」では、音楽事業担当として開催準備にあたった。

オーケストラ活動では「習志野ユースフィルハーモニー」(現・習志野シティフィル)を設立し、3年間指導者としてその育成に力を注ぎ、更に新しく「ちば室内管弦楽団」を設立、2005年に創設した「女声合唱団 ねむの花」とともに芸術監督として現在まで指導にあたっている。

また、(財)千葉県文化振興財団在籍中には、いち早く県民参加型の「東総の第九」や「県民合唱団のレクイエム」等の公演を企画・プロデュースし、毎回250名を超える出演者と満員の聴衆の支持の中、現在も継続しているこの県民参加型事業において、ベートーヴェンの「第九交響曲」「荘厳ミサ」、三大レクイエムといわれるモーツァルト、フォーレ、ヴェルディのレクイエム、マーラー「復活」ヘンデル「メサイア」等の合唱つき大曲の指揮者としても活躍。

現在は齋藤秀雄メソードによる指揮法教程の教授に力を注ぐとともに、指揮法講座講師、吹奏楽や合唱団の出張指導などで成果をあげ、長年にわたる音楽教育の実績を生かして後進の育成に力を注いでいる。 レパートリーはバッハからショスタコーヴィチ、合唱作品、吹奏楽作品など幅広い。ロマン派作品においては精彩に富み、ロマンティシズムに溢れた演奏が聞く者の心を引きつけ近代作品では深い洞察力と綿密なアンサンブルと一つの作品からあらゆる表現を引き出していく多様性に富んだ指揮者。

東京ミュージック&メディアアーツ尚美 エグゼクティブレッスン指揮科講師。              Nミュージックプランニングオフィス所属