コンテンツにスキップ

「柳家小さん (5代目)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
16行目: 16行目:


墓の案内看板に「これより[[落語家#身分|二つ目]] 柳家小さん」と書かれていたため、これをネタにした落語家もいたという(現在は「二基目」と書き直されている)。
墓の案内看板に「これより[[落語家#身分|二つ目]] 柳家小さん」と書かれていたため、これをネタにした落語家もいたという(現在は「二基目」と書き直されている)。

得意ネタは「時そば」「禁酒番屋」「猫久」「狸賽」「三人旅」「子別れ」「たがや」「宿屋の仇討」「長屋の花見」「親子酒」「粗忽長屋」「うどん屋」
「宿屋の富」「笠碁」「かぼちゃ屋」「お化け長屋」「水屋の富」「二番煎じ」「たらちね」「御慶」「真二つ」「青菜」「饅頭こわい」ほか多数。


== 略歴 ==
== 略歴 ==

2007年9月11日 (火) 14:05時点における版

このテンプレート(Template:Anotheruse)は廃止されました。「Template:Otheruses」を使用してください。

5代目柳家 小さん(やなぎや こさん、1915年大正4年)1月2日 - 2002年平成14年)5月16日)は、長野県出身の落語家。本名、小林 盛夫(こばやし もりお。4代目桂三木助の本名と同姓同名)。出囃子は『序の舞』。

人物

剣道北辰一刀流七段範士(自宅を改装して道場を作るほど)。財団法人東京都剣道連盟顧問。

滑稽噺を専ら得意とし、巧みな話芸と豊富な表情で多くの観客を魅了し、1979年(昭和54年)に6代目三遊亭圓生が死去してからは落語界の第一人者となる。

蕎麦をすする芸は有名であり、日本一であるとの声も多い。本人も蕎麦を食する際には落語の登場人物さながら汁を蕎麦の端にのみ付けていたらしく、晩年になって、「汁を最後まで付けてみたかった」とこれも登場人物さながらの後悔を語ったという。

数多くの逸話があり、中でも二・二六事件の時のエピソードが有名。反乱部隊の屯所に畑和(後の埼玉県知事)らとともに二等兵として詰めており、上官命令で落語を一席させられた。「子ほめ」を演じたが、反乱の最中で緊張でピリピリしている兵士達が笑うわけがない。「面白くないぞッ!」のヤジに、「そりゃそうです。演っているほうだって、ちっとも面白くないんだから」と返した。一兵卒として警視庁占拠にも参加している。

息子は落語家6代目柳家小さん。孫は元バレエダンサーで俳優小林十市と、その弟で落語家柳家花緑

永谷園のCFで人気を博した。また、墓所・墓石業の須藤石材 [1]のCMと広告でも長らく活躍した。須藤石材のCM・広告は没後、孫の花緑が跡を継いでいる。

墓の案内看板に「これより二つ目 柳家小さん」と書かれていたため、これをネタにした落語家もいたという(現在は「二基目」と書き直されている)。

得意ネタは「時そば」「禁酒番屋」「猫久」「狸賽」「三人旅」「子別れ」「たがや」「宿屋の仇討」「長屋の花見」「親子酒」「粗忽長屋」「うどん屋」 「宿屋の富」「笠碁」「かぼちゃ屋」「お化け長屋」「水屋の富」「二番煎じ」「たらちね」「御慶」「真二つ」「青菜」「饅頭こわい」ほか多数。

略歴

テレビドラマ・映画

一門弟子

また、6代目三遊亭圓生の落語協会脱会騒動の際に、破門になった当時の三遊亭さん生を門下に入れ、『川柳川柳』と名づけた。 

関連項目