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'''松平 親乗'''(まつだいら ちかのり)は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[武将]]。松平乗勝の長男。大給松平家当主。母は[[松平清康]]養女([[松平信忠]]女)。室は[[松平信定]]女。官位は和泉守。通称は源次郎。[[享禄]]3年([[1530年]])、[[松平清康]]に従軍し、[[熊谷氏]]の居城・[[宇利城]]を攻め、功績をあげた。[[天文]]21年([[1552年]])、[[東条松平家]]の[[松平忠茂]]に居城・[[大給城]]を攻められ、忠茂と戦う。[[弘治]]元年([[1555年]])8月、主君・[[今川義元]]に命じられ、親乗は[[織田氏]]の居城・[[蟹江城]]を攻める。 [[小牧・長久手の戦い]]で徳川家康に命じられ、宇田津砦を守る。
'''松平 親乗'''(まつだいら ちかのり、生没年不詳)は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[武将]]。松平乗勝の長男。大給松平家当主。官位は和泉守。通称は源次郎。母は[[松平清康]]養女([[松平信忠]]女)。室は[[松平信定]]女。子に松平真乗。[[享禄]]3年([[1530年]])、[[松平清康]]に従軍し、[[熊谷氏]]の居城・[[宇利城]]を攻め、功績をあげた。[[天文]]21年([[1552年]])、[[東条松平家]]の[[松平忠茂]]に居城・[[大給城]]を攻められ、忠茂と戦う。[[弘治]]元年([[1555年]])8月、主君・[[今川義元]]に命じられ、親乗は[[織田氏]]の居城・[[蟹江城]]を攻める。 [[小牧・長久手の戦い]]で[[徳川家康]]に命じられ、宇田津砦を守る。

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2007年10月16日 (火) 08:49時点における版

松平 親乗(まつだいら ちかのり、生没年不詳)は、戦国時代武将。松平乗勝の長男。大給松平家当主。官位は和泉守。通称は源次郎。母は松平清康養女(松平信忠女)。室は松平信定女。子に松平真乗。享禄3年(1530年)、松平清康に従軍し、熊谷氏の居城・宇利城を攻め、功績をあげた。天文21年(1552年)、東条松平家松平忠茂に居城・大給城を攻められ、忠茂と戦う。弘治元年(1555年)8月、主君・今川義元に命じられ、親乗は織田氏の居城・蟹江城を攻める。 小牧・長久手の戦い徳川家康に命じられ、宇田津砦を守る。

先代
松平乗勝
大給松平家当主。
松平親乗
次代
松平真乗