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「松平尚栄」の版間の差分

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'''松平 尚栄'''(まつだいら なおよし [[元亀]]2年([[1571年]]) - [[承応]]3年([[1654年]]))は、[[安土桃山時代]]・[[江戸時代]]の[[旗本]]。松平郷松平家(松平太郎左衛門家)当主。[[松平由重]]の長男。無位無禄だった幼少期のことは詳細は不明だが、弟・[[松平信晴]]とともに、[[関ヶ原の戦い]]で家康に従軍し、功績を立て、[[慶長]]18年([[1613年]])、[[徳川家康]]から恩賞を受け、松平郷に旧領220石が与えられた。[[大坂の役]]では[[本多正純]]の隊に属して参戦し、[[真田氏]]が家康の本陣への侵攻を防いだ。その後、更に230石を加増され、松平氏館を増築した。 [[元和]]5年([[1619年]])、家康を祀り、松平東照宮を創建した。[[承応]]3年([[1654年]])に死去。享年83。
'''松平 尚栄'''(まつだいら なおよし [[元亀]]2年([[1571年]]) - [[承応]]3年([[1654年]]))は、[[安土桃山時代]]・[[江戸時代]]の[[旗本]]。松平郷松平家(松平太郎左衛門家)当主。[[松平由重]]の長男。通称は藤之助。妻は[[成瀬重正]]養女。子に[[松平信正]]、[[松平重和]]。無位無禄だった幼少期のことは詳細は不明だが、弟・[[松平信晴]]とともに、[[関ヶ原の戦い]]で家康に従軍し、功績を立て、[[慶長]]18年([[1613年]])、[[徳川家康]]から恩賞を受け、松平郷に旧領220石が与えられた。[[大坂の役]]では[[本多正純]]の隊に属して参戦し、[[真田氏]]が家康の本陣への侵攻を防いだ。その後、更に230石を加増され、松平氏館を増築した。 [[元和]]5年([[1619年]])、家康を祀り、松平東照宮を創建した。[[承応]]3年([[1654年]])に死去。享年83。

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2007年10月17日 (水) 05:15時点における版

松平 尚栄(まつだいら なおよし 元亀2年(1571年) - 承応3年(1654年))は、安土桃山時代江戸時代旗本。松平郷松平家(松平太郎左衛門家)当主。松平由重の長男。通称は藤之助。妻は成瀬重正養女。子に松平信正松平重和。無位無禄だった幼少期のことは詳細は不明だが、弟・松平信晴とともに、関ヶ原の戦いで家康に従軍し、功績を立て、慶長18年(1613年)、徳川家康から恩賞を受け、松平郷に旧領220石が与えられた。大坂の役では本多正純の隊に属して参戦し、真田氏が家康の本陣への侵攻を防いだ。その後、更に230石を加増され、松平氏館を増築した。 元和5年(1619年)、家康を祀り、松平東照宮を創建した。承応3年(1654年)に死去。享年83。

先代
松平由重
松平郷松平家歴代当主
松平尚栄
次代
松平信晴