「矢作公一」の版間の差分
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2007年10月26日 (金) 14:34時点における版
矢作 光一(やはぎ こういち、1966年12月29日 - )は、埼玉県浦和市(現さいたま市)出身の元プロ野球選手。現役時代の登録名は矢作 公一(読み方同じ)。
来歴・人物
- 医者の息子として生まれ、跡継ぎとして期待されたが野球の道に進む。立教高等学校(現:立教新座高等学校)から、立教大学へ進学。立教大では、長嶋一茂とクリーンナップを組んだこともあった。
- 立教大から1988年ドラフト6位で日本ハムファイターズから指名され、1989年入団。守備、走塁にかなり難が有り、打撃のみにかなり期待がかかった。
- 実績は残せなかったがふくよかな体型と人柄が滲み出た満面の笑みは、日本ハムファンのみならず多くの野球ファンの記憶に刻み込まれている。日本ハムファンのタレント伊集院光は「矢作選手は日本ハムに選手ではなくハムの材料として入った」とギャグのネタにしている。
- 1992年現役引退後はスポーツライターの傍ら、埼玉県川口市にお好み焼き屋「ピンチヒッター」を開いた。
略歴
- 投打 右/左
- 出身地 埼玉県
- 球歴・入団経緯 立教高-立教大-日本ハム(1989年~1992年)
背番号
- 33(1989年~1992年)
通算成績
- 33試合 36打数6安打 打率.182 0本塁打 7打点