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「ピーター・ローレ」の版間の差分

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'''ピーター・ローレ'''(Peter Lorre, [[1904年]][[6月26日]] - [[1964年]][[3月23日]])は[[ハンガリー]]出身で[[ハリウッド]]で活躍した俳優。本名Ladislav (László) Löwenstein。当時[[オーストリア・ハンガリー帝国]]で現在は[[スロヴァキア]]領のローゼンベルクに生まれ、若い頃からスイス・ドイツ・オーストリアなどで舞台に立っていた。ドイツでは[[フリッツ・ラング]]の『M』に出演して知られるようになる。
'''ピーター・ローレ'''(Peter Lorre, [[1904年]][[6月26日]] - [[1964年]][[3月23日]])は[[ハンガリー]]出身で[[ハリウッド]]で活躍した俳優。本名Ladislav (László) Löwenstein。当時[[オーストリア・ハンガリー帝国]]で現在は[[スロヴァキア]]領のローゼンベルクに生まれ、若い頃からスイス・ドイツ・オーストリアなどで舞台に立っていた。ドイツでは[[フリッツ・ラング]]の『M』に出演して知られるようになる。


[[ナチス]]の台頭に伴い、ユダヤ人だったローレはまず[[パリ]]に、続いて[[ロンドン]]に活動の場を移す。そこで[[アルフレッド・ヒッチコック|ヒッチコック]]の『暗殺者の家』に悪役として出演。それがきっかけになりハリウッドに渡る。ハリウッドでは『マルタの鷹』や『カサブランカ』などに出演し、個性派脇役として活躍した。
[[ナチス]]の台頭に伴い、ユダヤ人だったローレはまず[[パリ]]に、続いて[[ロンドン]]に活動の場を移す。そこで[[アルフレッド・ヒッチコック|ヒッチコック]]の『暗殺者の家』に悪役として出演。それがきっかけになりハリウッドに渡る。ハリウッドでは『マルタの鷹』や『カサブランカ』などに出演し、個性派脇役として活躍した。ドイツ時代を「ペーター・ローレ」、アメリカに渡ってからを「ピーター・ローレ」と呼ぶ向きもあり、例えば[[東大]]でドイツ文学を学んだ[[岩崎昶]]は前者で統一していた。


== 主な出演作品 ==
== 主な出演作品 ==

2008年2月13日 (水) 23:33時点における版

ピーター・ローレ(ユーサフ・カーシュ撮影、1946年)

ピーター・ローレ(Peter Lorre, 1904年6月26日 - 1964年3月23日)はハンガリー出身でハリウッドで活躍した俳優。本名Ladislav (László) Löwenstein。当時オーストリア・ハンガリー帝国で現在はスロヴァキア領のローゼンベルクに生まれ、若い頃からスイス・ドイツ・オーストリアなどで舞台に立っていた。ドイツではフリッツ・ラングの『M』に出演して知られるようになる。

ナチスの台頭に伴い、ユダヤ人だったローレはまずパリに、続いてロンドンに活動の場を移す。そこでヒッチコックの『暗殺者の家』に悪役として出演。それがきっかけになりハリウッドに渡る。ハリウッドでは『マルタの鷹』や『カサブランカ』などに出演し、個性派脇役として活躍した。ドイツ時代を「ペーター・ローレ」、アメリカに渡ってからを「ピーター・ローレ」と呼ぶ向きもあり、例えば東大でドイツ文学を学んだ岩崎昶は前者で統一していた。

主な出演作品

  • M -M (1931)
  • 暗殺者の家 -The Man Who Knew Too Much (1934)
  • 罪と罰 -Crime and Punishment (1935)
  • 間諜最後の日 -Secret Agent (1936)
  • マルタの鷹 -The Maltese Falcon (1941)
  • カサブランカ -Casablanca (1942)
  • 永遠の処女 -The Constant Nymph (1943)
  • 毒薬と老嬢 -Arsenic and Old Lace (1944)
  • 海底二万哩 -20000 Leagues Under the Sea (1954)
  • 80日間世界一周 -Around the World in Eighty Days (1956)
  • バスター・キートン物語 -The Buster Keaton Story (1957)
  • 底抜け一等兵 -The Sad Sack (1957)
  • 地球の危機 Voyage to The Bottom of The Sea (1961)