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「エミール・ノルデ」の版間の差分

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'''エミール・ノルデ'''('''Emil Nolde''', [[1867年]] - [[1956年]])は、[[19世紀]]末~[[20世紀]]の[[ドイツ]]の[[画家]]。
'''エミール・ノルデ'''('''Emil Nolde''', [[1867年]] - [[1956年]])は、[[19世紀]]末~[[20世紀]]の[[ドイツ]]の[[画家]]。本名:エミール・ハンセン。「ノルデ」は出身地の地名である


ノルデの作風は同時代のドイツ表現主義の画家たちに共通するものがあるが、彼自身は特定のグループに属することを好まず、終始独自の道を歩んだ。
 本名:エミール・ハンセン。「ノルデ」は出身地の地名である。[[ドレスデン]]で[[エルンスト・ルートヴィッヒ・キルヒナー]]らの画家グループ「ブリュッケ」に参加した。原色を多用した強烈な色彩が特色。水彩画の名手でもあり、海辺の風景、草花などを題材にし、水彩という素材の持ち味を存分に生かした華麗な水彩画は他の追随を許さない。


1867年、デンマークに近いシュレスヴィッヒ地方のノルデに生まれる。はじめ木彫を学び、続いてカールスルーエの工芸学校で学んだ。1899年パリに出て、アカデミー・ジュリアンに学んだこともある。1904年頃から「ノルデ」と名乗るようになる。<br>
ノルデは1906年1月、[[ドレスデン]]のアルノルト画廊で個展を開いた。[[エルンスト・ルートヴィッヒ・キルヒナー]]ら「ブリュッケ」のグループの画家たちは、ノルデに自分たちのグループに参加するよう要請した。しかし、元来孤独を好む性格のノルデは、「ブリュッケ」には1年ほど所属しただけで脱退し、独自の道を歩んだ。<br>
1909年には北ドイツのルッテビュルという村に定住し、以後『キリストの生涯』連作など宗教的な画題に取り組んだ。


ノルデの作品は原色を多用した強烈な色彩と単純化された形態が特色で、ファン・ゴッホやオセアニア美術の影響が感じられる。木版画や水彩画の名手でもあり、特に水彩は北ドイツの風景、草花などを題材にし、水彩という画材の持ち味を存分に生かしたもので、卓越した技術をもっている。
==代表作==
==代表作==
*学者と少女(1912)(デュッセルドルフ美術館)
*学者と少女(1912)(デュッセルドルフ美術館)

2004年8月18日 (水) 05:22時点における版

エミール・ノルデEmil Nolde, 1867年 - 1956年)は、19世紀末~20世紀ドイツ画家。本名:エミール・ハンセン。「ノルデ」は出身地の地名である。

ノルデの作風は同時代のドイツ表現主義の画家たちに共通するものがあるが、彼自身は特定のグループに属することを好まず、終始独自の道を歩んだ。

1867年、デンマークに近いシュレスヴィッヒ地方のノルデに生まれる。はじめ木彫を学び、続いてカールスルーエの工芸学校で学んだ。1899年パリに出て、アカデミー・ジュリアンに学んだこともある。1904年頃から「ノルデ」と名乗るようになる。
ノルデは1906年1月、ドレスデンのアルノルト画廊で個展を開いた。エルンスト・ルートヴィッヒ・キルヒナーら「ブリュッケ」のグループの画家たちは、ノルデに自分たちのグループに参加するよう要請した。しかし、元来孤独を好む性格のノルデは、「ブリュッケ」には1年ほど所属しただけで脱退し、独自の道を歩んだ。
1909年には北ドイツのルッテビュルという村に定住し、以後『キリストの生涯』連作など宗教的な画題に取り組んだ。

ノルデの作品は原色を多用した強烈な色彩と単純化された形態が特色で、ファン・ゴッホやオセアニア美術の影響が感じられる。木版画や水彩画の名手でもあり、特に水彩は北ドイツの風景、草花などを題材にし、水彩という画材の持ち味を存分に生かしたもので、卓越した技術をもっている。

代表作

  • 学者と少女(1912)(デュッセルドルフ美術館)