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{{日本の首長|青森県知事|三村 申吾|1956年(昭和31年)4月16日|青森県おいらせ町|東京大学文学部卒<br>|文学士|衆議院議員|世襲ではない(父親は県議)|2003年(平成15年)6月|(現職)|知事・2回(衆・1回)|無所属
{{日本の首長|青森県知事|三村 申吾|1956年(昭和31年)4月16日|青森県おいらせ町|東京大学文学部卒<br>|文学士|衆議院議員|世襲ではない(父親は県議)|2003年(平成15年)6月|(現職)|知事・2回(衆・1回)|無所属
|http://gogo-shingo.momoishi.aomori.jp|青森県知事三村申吾}}
|http://www.gogo-shingo.jp/ |三村申吾オフィシャルサイト}}


== 概要 ==
== 概要 ==

2008年2月28日 (木) 09:38時点における版

三村申吾みむら しんご1956年昭和31年)4月16日 ‐ )は、日本政治家

現・青森県知事(2期)。衆議院議員(1期)、青森県上北郡百石町長(1期)を歴任。

概要

青森県上北郡百石町(現・おいらせ町)出身。

青森県立八戸高等学校東京大学文学部卒業。

略歴

  • 1981年:新潮社入社。
  • 1987年:百石町に帰郷。
  • 1990年6月:株式会社三村興業社代表取締役。
  • 1992年:百石町町長選挙に出馬。当選。(35才)
  • 1996年:新進党公認で衆議院選挙青森2区に立候補するも落選。
  • 2000年6月:無所属の会公認で衆議院選挙青森2区に立候補。初当選。
  • 2003年6月:木村守男前知事辞任に伴う青森県知事選に立候補。当選。(無所属)
  • 2007年6月:青森県知事選に立候補。再選。

人物

  • 衆議院議員時代、同じ無所属議員だった中田宏(現横浜市長)の知遇を得、知事選挙等で応援を受けるなど交友を深めている。小泉内閣誕生時の首班指名では、中田と三村は無所属野党系ながら小泉に投票し、後に官邸に呼ばれ三人で食事を共にしている。
  • 週刊アサ秘ジャーナルでは、中田宏から推薦され、取材を受ける。中田曰く「おっぱい大好きの三村さん」で、本放送時には浅草キッド相手に、持ち前の陽気さのまま秘書紹介などを行う。幸か不幸か、地元の青森県では週刊アサ秘ジャーナルは放送されていない。自身が町長を務めた百石町(現おいらせ町)には特産としておっぱいいちごなる苺が存在する。
  • 参議院議員田名部匡省との師弟関係は県内では有名。自民党への鞍替えから、田名部からは敵視されているが、三村は表立っての田名部批判は極力避けている。
  • 県内大学、短大等での講師歴もある妻の三村三千代も、東大出身であり、才気は夫をしのぐとの評もある。
  • 父の輝文は現職の県議であり、県知事と県議を同時期に親子が務める異例の状況となっている。
  • 東北楽天ゴールデンイーグルス名誉ファンクラブ会員だが、阪神ファンを公言している。
  • 2007年の知事選では、自民党・公明党の県政与党のほか連合青森からの推薦も得て、民主党が対立候補擁立に失敗する中、余裕の勝利を収めた。一方で、圧倒的有利な状況でありながら、低投票率と目標の40万票に得票が届かなかったことから、県内に圧勝したという空気をつくることは出来なかった。
  • 知事選の得票は、やや不満の残る結果ではあったが、マスコミ各社による全国都道府県知事支持率調査では、複数の調査で上位に位置している。
  • 競馬ファンとしても知られ、かつては社台レースホースでバーニングダイナなどを所有していた。
  • イトーヨーカドーなどでの、県産品のトップセールスでは、フットワークの軽い知事として本領を発揮し成果を上げている。一方で、目先のパフォーマンスに頼りすぎという批判もついてまわる。
  • 陽気な語り口には定評があり、座談の名手としても知られる。政治的に三村と対立する側でも、三村の性格を評価する者が少なくない。

外部リンク


14 - 16代
木村守男
  青森県知事
17 - 18代:2003 - 現職
19代