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「自治領」の版間の差分

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'''自治領'''(じちりょう)とは、ある一国([[主権]]を有する[[独立]]した[[国家]])の内部において、あくまでも当該国の主権の下に属しながらも、通常の[[地方自治]]よりも遥かに高度な[[自治]]を行っている特定の[[領域 (国家)|領域]]のことであり、以下のような例が挙げられる。
'''自治領'''(じちりょう)とは、ある一国([[主権]]を有する[[独立]]した[[国家]])の内部において、あくまでも当該国の主権の下に属しながらも、通常の[[地方自治]]よりも遥かに高度な[[自治]]を行っている特定の[[領域 (国家)|領域]]のことであり、以下のような例が挙げられる。

2008年2月29日 (金) 03:24時点における版

自治領(じちりょう)とは、ある一国(主権を有する独立した国家)の内部において、あくまでも当該国の主権の下に属しながらも、通常の地方自治よりも遥かに高度な自治を行っている特定の領域のことであり、以下のような例が挙げられる。


自治領(Dominion)はかつてのイギリス帝国およびイギリス連邦において自治権を認められた準独立国。独自の政府、自治権などを持つがイギリス国王が元首を務め、国内に総督が置かれる。国際法上、"Dominion"の訳語として使われる。特にカナダオーストラリアニュージーランド南アフリカニューファンドランドアイルランド、六つの白人自治領を指す。1931年ウェストミンスター憲章によりイギリス本国議会の支配下を離れ、本国と対等の地位と独自の外交権を認められた。1949年にイギリス国王への忠誠が義務ではなくなり、また第二次世界大戦後の脱植民地化により非白人植民地の独立が進むと、自治領としての意味が薄れ、独立国との違いが無くなっていった。

概要

"dominion"はもともと「支配権」や「支配領域」を意味する言葉であり、「自治領」を意味する場合はしばしば頭文字が大文字となる[1]17世紀末に北アメリカのニューイングランド植民地がドミニオン呼ばれたが、「自治領」が再び登場し、イギリス帝国にとって重要な意味を持つのは19世紀半ばから後半になってからのことである。当時のイギリス帝国では現在のカナダにあたる地域に幾つもの小さな植民地が存在した。1867年にこれらの植民地を統合する際の名称として、カナダ自治領"Dominion of Canada"の名が採用された。なお、この時カナダは自治領"Dominion"ではなく王国"Kingdom"を望んでおり、自治領の名に失望したとも言われる[2]

その後、1901年オーストラリア連邦1907年ニュージーランド1910年南アフリカ連邦1917年ニューファンドランド1921年アイルランド自由国が自治領化された。カナダは自治領化当初、王国の名が認められなかったことに失望したかもしれないが、1907年の帝国会議では従属的な「植民地"Colony"」とは違う「自治領」の地位が明確化されると、帝国内で自治領の地位は特権的な意味を持つようになった。

第一次世界大戦では、各自治領はイギリスの勝利に大きく貢献したが、同時に独立心(あるいは自立心)を育む契機ともなり、1926年の帝国会議でのバルフォア報告において、本国と自治領の平等が規定された。本国と自治領の平等は1931年にはウェストミンスター憲章において公式に記載され、イギリス政府内には植民地省とは別に自治領省が設けられた。この際、「自治領」という言葉はカナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、ニューファンドランド、アイルランドのいずれかのみを指すことも規定され、六つの自治領のイギリス帝国における特権的地位が明文化された。

第二次世界大戦後、イギリス国王への忠誠が義務から外されイギリス帝国は名実ともに終了し、新たにコモンウェルスとして再編される。その後、脱植民地化が進み、国王への忠誠を拒否し共和制に移行したインドやイギリス国王とは別に独自の君主を戴くマレーシアなどが独立国としてコモンウェルスの一角を占めるようになると、特権的な白人自治領の地位も有名無実化していった。


脚注

  1. ^ Oxford Advanced Learner's Dictionary. 7th edition, Oxford U.P.
  2. ^ 『歴史学事典』12、弘文堂

関連項目