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* [http://waga.nikkei.co.jp/enjoy/movie.aspx?ichiran=True&page=5 日経WAgaMaga] 全5回
* [http://waga.nikkei.co.jp/enjoy/movie.aspx?ichiran=True&page=5 日経WAgaMaga] 全5回
* [http://jinpachi.blog.tennis365.net/ 根津甚八のブログ] 2006年09月25日付から映画「さらば愛しき大地」のエピソードあり
* [http://jinpachi.blog.tennis365.net/ 根津甚八のブログ] 2006年09月25日付から映画「さらば愛しき大地」のエピソードあり
* [http://opendoors.asahi.com/data/detail/9148.shtml 『アエラムック2008 AERA MOVIE ニッポンの映画監督』](朝日新聞社、2008年2月)






2008年3月8日 (土) 17:39時点における版

柳町 光男やなぎまち みつお1945年11月2日 - )は、日本映画監督

来歴・人物

茨城県行方郡牛堀町(現在は潮来市)の出身。茨城県立水戸第一高等学校早稲田大学法学部卒業。大学在学中から映画作家を志望しシナリオ研究所へ通う。卒業後に就職するも、1969年からフリーの助監督として映画撮影に携わる。東映教育映画部では大和屋竺に師事。1974年に自らの製作会社『群狼プロダクション』を設立し代表に就任(現在は、株式会社プロダクション群狼)。その後、当時日本で最大規模の暴走族であったブラックエンペラーを追ったドキュメンタリー映画の製作に着手。2年の製作期間を経て1976年に第1作『ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR』を発表した。安田生命ホール(現・明治安田生命ホール)での小規模公開から始まったが、評判を呼び、東映系で拡大ロードショー公開される。この第1作を中上健次が評価したことがきっかけとなり、『十九歳の地図』(中上健次の第69回芥川賞候補作)を映画化し、1979年に劇映画デビューすることになる。なお中上健次は、戦後生まれで初めて芥川賞を受賞した作家である。以降、『さらば愛しき大地』(1982年。根津甚八 (俳優)秋吉久美子主演)、『火まつり』(1985年。脚本 中上健次)、『愛について、東京』(1993年) などで各方面から高い評価を受ける。1990年には当時の世界的スター、ジョン・ローンを主演に迎え日米香港合作映画『チャイナシャドー』を製作(原作は直木賞作家・西木正明の『蛇頭(スネークヘッド)』)。初となった海外との合作を成功させ中国台湾香港などへ積極的な関心を示している。2001年度~2003年度に、早稲田大学客員教授。このときの経験をもとにした映画が『カミュなんて知らない』である。2006年(第19回)東京国際映画祭 国際審査員。出身地である茨城県の「いばらき大使」、潮来市の「水郷いたこ大使」もつとめる。好きな映画監督は、溝口健二ジャン=リュック・ゴダールなど。ノンフィクション作家佐野眞一、株式会社ボイジャーの萩野正昭社長は、同窓(早稲田大学)であり友人。

監督・出演作品一覧

監督作品

出演

監督・出演作品のデータ

作品の受賞歴など

  • 旅するパオジャンフー (1995年。ドキュメンタリー)
    • 1995年ヴェネチア国際映画祭 イメージの窓部門 招待作品
    • 台湾金馬奨映画祭 正式招待
    • ウィーン映画祭 正式招待作品

著作など

  • 「創造と批評のダイナミズムを」(自主映画の作家たち<特集>) - 雑誌「シナリオ」32(12) 1976年12月
  • 「日本映画の復権に向けて」(管理の文化か自己閉塞か<特集>) - 雑誌「現代の眼」20(1) 1979年1月
  • 「『十九歳の地図』を語る=柳町光男」 - 雑誌「シネ・フロント」1979年11月号
  • 「「十九歳の地図」(柳町光男監督)」(「十九歳の地図」<特集>) - 雑誌「シナリオ」36(1) 1980年1月
  • 「公開討論・映像は状況を撃てるか!」(柳町光男、竜村仁田原総一朗) - 雑誌「シナリオ」36(1) 1980年1月
  • 「日本映画の明日を創る人々-5-」(柳町光男、八森稔) - 雑誌「キネマ旬報」(通号798) 1980年11月15日
  • 「次回作の方途を模索する作家たち--長谷川和彦後藤幸一、柳町光男、橋浦方人 」(新しい映画世代の作家たち-2-監督篇 映画づくりの体験と方法、田山力哉) - 雑誌「シナリオ」37(1) 1981年1月
  • 監督「さらば愛しき大地」」(撮影現場ルポ、北川れい子) - 雑誌「キネマ旬報」(通号823) 1981年11月1日
  • 「柳町光男「『さらば愛しき大地』を語る=柳町光男」 - 雑誌「シネ・フロント」(第71号)1982年
  • 「「さらば愛しき大地」(柳町光男監督)」(「さらば愛しき大地」) - 雑誌「キネマ旬報」(通号835) 1982年5月1日
  • 「"茨城はこれからもこだわり続けたい" 」(「さらば愛しき大地」、対談:柳町光男、川本三郎) - 雑誌「キネマ旬報」(通号835) 1982年5月1日
  • 「「さらば愛しき大地」(柳町光男監督)」(「さらば愛しき大地」<特集>) - 雑誌「シナリオ」38(6) 1982年6月
  • 「若手映画監督の映像観--いま最も期待されている二人の映像作家がめざすもの」(対談:柳町光男、小栗康平) - 雑誌「潮」(通号279) 1982年7月
  • 「南アジアの映画を語る…佐藤忠男/柳町光男/山谷哲夫」 - 季刊「国際交流」第33号((独立行政法人 国際交流基金、1982年10月)
  • おすぎVS柳町光男」 雑誌「シネ・フロント」(第98号)1984年
  • 「「火まつり」<特集>」 - 「キネマ旬報」(通号910) 1985年5月15日
  • 杉浦孝昭『おすぎのシネマトーク』(シネ・フロント社、1986年。杉浦孝昭はおすぎの本名)
  • 「柳町光男監督の映画を巡って」 - 渡辺了『20世紀末シネマ読本』(青弓社、1991年4月)
  • 「日本の映画監督-6-柳町光男」(インタビュー:柳町光男、田中千世子) - 雑誌「キネマ旬報」(通号1055) 1991年4月1日
  • 柳町光男「チャイナシャドー」 - 雑誌「映画芸術」(No.360)1991年冬号
  • 「愛について、東京(撮影現場訪問)」 - 山口猛 雑誌「キネマ旬報」(通号1081) 1992年5月1日
  • 「「愛について、東京」を求めて-1-柳町作品のヒーローたち その系譜を探る」 - 田中千世子 雑誌「キネマ旬報」(通号1084)1992年6月15日
  • 「「愛について、東京」を求めて-2-木村威夫インタビュー」 - 木村威夫 雑誌「キネマ旬報」(通号1085) 1992年7月1日
  • 「「愛について、東京」を求めて-3-藤岡弘インタビュー」 - 藤岡弘 雑誌「キネマ旬報」(通号1088) 1992年8月15日

関連項目

外部リンク