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「西豊川駅」の版間の差分

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'''西豊川駅'''(にしとよかわえき)は、かつて[[愛知県]][[豊川市]]にあった、[[日本国有鉄道]][[飯田線]]の[[鉄道駅|駅]]([[廃駅]])である。[[1956年]](昭和31年)に廃止された。
'''西豊川駅'''(にしとよかわえき)は、かつて[[愛知県]][[豊川市]]にあった、[[日本国有鉄道]][[飯田線]]の[[鉄道駅|駅]]([[廃駅]])である。[[1956年]](昭和31年)に廃止された。


[[豊川海軍工廠]]への通勤客・物資を取扱うために開設された駅で、飯田線西豊川支線の[[終着駅]]であった。[[戦後]]の工廠閉鎖後は、跡地にできた[[東海旅客鉄道名古屋工場|国鉄名古屋工場]]豊分工場や[[陸上自衛隊]]豊川駐屯地への通勤・物資の運搬用に使用された。
[[豊川海軍工廠]]への通勤客・物資を取扱うために開設された駅で、飯田線西豊川支線の[[終着駅]]であった。[[戦後]]の工廠閉鎖後は、跡地にできた[[東海旅客鉄道名古屋工場|国鉄名古屋工場]]豊分工場や[[陸上自衛隊]]豊川駐屯地への通勤・物資の運搬用に使用された。


西豊川支線は、[[日本車輌製造]]豊川製作所の[[専用鉄道|専用線]]として現存している。
西豊川支線は、[[日本車輌製造]]豊川製作所の[[専用鉄道|専用線]]として現存している。
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* [[1943年]](昭和18年)[[8月1日]] - 豊川鉄道[[戦時買収私鉄|国有化]]、[[日本国有鉄道|国鉄]]飯田線の駅となる。
* [[1943年]](昭和18年)[[8月1日]] - 豊川鉄道[[戦時買収私鉄|国有化]]、[[日本国有鉄道|国鉄]]飯田線の駅となる。
* [[1945年]](昭和20年)[[8月7日]] - [[豊川空襲]]で豊川海軍工廠壊滅。
* [[1945年]](昭和20年)[[8月7日]] - [[豊川空襲]]で豊川海軍工廠壊滅。
* [[1956年]](昭和31)[[915日]] - 廃止
* [[1945年]](昭和20)10月 - 豊川海軍工廠閉所
* [[1956年]](昭和31年)[[9月15日]] - 一般営業廃止。国鉄名古屋工場豊川分工場への構外側線となる。
* [[1963年]](昭和38年)3月 - 豊川分工場閉鎖。用地は日本車輌製造に譲渡されたため、日本車輌製造の専用線となる。

== 現在 ==
== 現在 ==
*西豊川駅の跡は、桜ヶ丘公園の北にある桜木公園付近で、その西側には[[愛知県道31号東三河環状線]]が通っている。
*西豊川駅の跡は、桜ヶ丘公園の北にある桜木公園付近で、その西側には[[愛知県道31号東三河環状線]]が通っている。
*ホームの痕跡はないが、付近は架線柱が2本あり、しかも間隔が広がっているため駅跡の識別はしやすい。
*西豊川支線は、[[1945年]](昭和20年)10月に豊川海軍工廠が閉所されたのち、[[1956年]](昭和31年)に一般営業廃止・国鉄名古屋工場豊橋分工場への構外側線となり、[[1963年]](昭和38年)3月に同工場が閉鎖・日本車輌製造に譲渡されたため、日本車輌製造の専用線となった。
*昭和40年代以降、市街化が進行しており、平成に入り至近に[[豊川サティ]]が開店した。


== 隣の駅 ==
== 隣の駅 ==

2008年3月11日 (火) 17:06時点における版

西豊川駅(にしとよかわえき)は、かつて愛知県豊川市にあった、日本国有鉄道飯田線廃駅)である。1956年(昭和31年)に廃止された。

豊川海軍工廠への通勤客・物資を取扱うために開設された駅で、飯田線西豊川支線の終着駅であった。戦後の工廠閉鎖後は、跡地にできた国鉄名古屋工場豊川分工場や陸上自衛隊豊川駐屯地への通勤・物資の運搬用に使用された。

西豊川支線は、日本車輌製造豊川製作所の専用線として現存している。

駅構造

西豊川駅は豊川海軍工廠には遠かったため、工廠の門の前に北東門乗降場(ほくとうもんじょうこうじょう)が開設されていた。

歴史

現在

  • 西豊川駅の跡は、桜ヶ丘公園の北にある桜木公園付近で、その西側には愛知県道31号東三河環状線が通っている。
  • ホームの痕跡はないが、付近は架線柱が2本あり、しかも間隔が広がっているため駅跡の識別はしやすい。
  • 昭和40年代以降、市街化が進行しており、平成に入り至近に豊川サティが開店した。

隣の駅

日本国有鉄道
飯田線(西豊川支線)
豊川駅 - 西豊川駅

関連項目