「パオロ・モンテーロ」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
17行目: | 17行目: | ||
|ポジション=[[ディフェンダー (サッカー)|DF]] |
|ポジション=[[ディフェンダー (サッカー)|DF]] |
||
|背番号= |
|背番号= |
||
|利き足= |
|利き足=左 |
||
|CAP数= |
|CAP数=61 |
||
|代表ゴール数= |
|代表ゴール数=5 |
||
}} |
}} |
||
2008年3月21日 (金) 07:46時点における版
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
本名 | パオロ・ロナルド・イグレシアス・モンテーロ | |||||
カタカナ | パオロ・モンテーロ | |||||
ラテン文字 | Paolo Montero | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
![]() | |||||
生年月日 | 1971年9月3日(52歳) | |||||
出身地 | モンテビデオ | |||||
身長 | 179cm | |||||
体重 | 74kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
利き足 | 左 | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
パオロ・ロナルド・イグレシアス・モンテーロ(Paolo Ronald Iglesias Montero、1971年9月3日 - )はウルグアイ・モンテビデオ出身の同国代表のサッカー選手。ポジションはディフェンダー。
1対1に滅法強いセンターバック。セリエA最多退場記録という不名誉な記録を持つが[1]、マルチェロ・リッピ監督時代のユヴェントスではディフェンスの要として活躍した。ユヴェントスではセリエA4回、UEFAチャンピオンズリーグとインターコンチネンタルカップにそれぞれ1回優勝した。しかし、2004-2005シーズンにファビオ・カンナヴァーロが加入すると出場機会が激減し、2005年夏にサン・ロレンソに移籍した。2006年に地元クラブのペニャロールに復帰して、2007年に引退した[2]。
ウルグアイ代表では1991年から2005年までプレイして、48試合3得点。2002年FIFAワールドカップに出場した。
父フリオ・モンテーロも元ウルグアイ代表のサッカー選手だった。
所属クラブ歴
- ペニャロール(
ウルグアイ) 1990-1991
- アタランタ(
イタリア) 1992-1996
- ユヴェントス(
イタリア) 1996-2005
- サン・ロレンソ(
アルゼンチン) 2005-2006
- ペニャロール(
ウルグアイ) 2006-2007
脚注
- ^ “Mexico v Uruguay Report”. ESPNsoccernet (2004年7月8日). 7月16日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
- ^ “Soccer-Uruguay hard man Montero reported to have retired”. Reiters. UK (2007年5月22日). 7月16日閲覧。accessdateの記入に不備があります。