コンテンツにスキップ

「コスモ石油四日市FC」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
83行目: 83行目:
*[[若松大樹]]
*[[若松大樹]]
*[[崔鐘鎬]]
*[[崔鐘鎬]]
*[[金炳秀]]
*[[李学鐘]]


[[Category:現在活動していない日本のサッカークラブ|こすもせきゆよつかいしえふし]]
[[Category:現在活動していない日本のサッカークラブ|こすもせきゆよつかいしえふし]]

2008年3月21日 (金) 08:28時点における版

コスモ石油四日市FC
原語表記 コスモ四日市FC
所属リーグ ジャパンフットボールリーグ
ホームタウン 四日市市
ホームスタジアム 四日市市中央緑地陸上競技場
収容人数 10,000
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

コスモ石油四日市FC(こすもせきゆよっかいちえふしー)は、日本サッカーリーグ(JSL)、旧JFLにかつて在籍していた社会人サッカークラブ。

概要

元々大協石油四日市サッカー部として三重県四日市市で活動していたが、1986年に丸善石油と合併しコスモ石油となったのに伴い、チーム名もコスモ石油サッカー部に変更された。

1980年に大協石油として1シーズン、コスモ石油に改名後の1986年からJSLが終了する1991年までJSL2部に在籍した。 1981年東海リーグからJSL2部への早期昇格を目指し、鎌田光夫(メキシコオリンピック日本代表)を監督として招聘したが、昇格まで5年を要した。鎌田は1991年まで監督を務め、以降は総監督としてチームをサポートした。

1996年に将来のJリーグ参戦を念頭とし、チーム名に本拠地四日市市を被せ「コスモ石油四日市FC」(通称・コスモ四日市)と改めた。同年の天皇杯では前年度覇者である名古屋グランパスエイトを1-0で破り存在感を示したが、四日市市がJリーグ支援に難色を示した上、スタジアムの整備も充分にできなかったことから同年を最後にチームは解散している。

現在、同好会として三重県リーグ4部に存在はしているが強化の予定はまったくない。

本拠地
四日市中央緑地公園陸上競技場、三重県鈴鹿スポーツガーデン球技場。

過去の成績

年度 カテゴリ 順位 勝点 得点 失点 監督
1980 JSL2部 10位 10 5 0 13 27 46
1981 東海 鎌田光夫
1982 東海
1983 東海
1984 東海
1985 東海
1986 JSL2部・東 _ 14 5 4 5 17 15
JSL2部・上位 8位 10 3 4 7 8 21
1987 JSL2部・西 18 7 4 3 24 15
JSL2部・上位 7位 5 2 1 11 7 21
1988-89 JSL2部・東下位 11位 17 6 5 9 25 30
1989-90 JSL2部 10位 32 8 8 14 38 39
1990-91 JSL2部 11位 34 9 7 14 26 39
1991-92 JSL2部 11位 29 8 5 17 27 53
1992 JFL2部 4位 30 9 3 6 26 21 杉本真 
1993 JFL2部 4位 _ 11(1延長 1PK) _ 7(0延長 0PK) 30 26
1994 JFL 15位 _ 7(1延長 0PK) _ 23(1延長 1PK) 33 37 九鬼慎次
1995 JFL 11位 36 11(2延長 2PK) _ 19(0延長 3PK) 27 47 山本好彦
1996 JFL 12位 33 11(5延長 0PK) _ 19(1延長 0PK) 31 59

歴代監督

コスモ石油四日市FCに在籍した主な選手