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<!--:*[[国民体育大会|国体]]決勝で投げ合い勝利した[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]]の[[ダルビッシュ有]]とはお互いに良いライバル関係であり、親友でもある。-->
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<!--:*[[第86回全国高等学校野球選手権大会|夏の甲子園]]、[[報徳学園中学校・高等学校|報徳学園]]戦で[[片山博視]](現[[東北楽天ゴールデンイーグルス|楽天]])から[[本塁打]]を打ったり、練習試合では4番打者として出場した経験もあるためバッティングも良いと言われている。-->2回戦の京都外大西戦は延長戦にもつれ込んだが我慢のピッチングで勝利。肉体的にも精神的にもスタミナのある面を披露。準々決勝の駒大苫小牧戦は伏兵林裕也に本塁打を浴びるなどして完敗した。
<!--:*[[第86回全国高等学校野球選手権大会|夏の甲子園]]、[[報徳学園中学校・高等学校|報徳学園]]戦で[[片山博視]](現[[東北楽天ゴールデンイーグルス|楽天]])から[[本塁打]]を打ったり、練習試合では4番打者として出場した経験もあるためバッティングも良いと言われている。-->2回戦の京都外大西戦は延長戦にもつれ込んだが我慢のピッチングで勝利。肉体的にも精神的にもスタミナのある面を披露。準々決勝の[[駒大苫小牧]]戦は[[伏兵]]林裕也にサイクルヒットを浴びるなどして完敗した。
:*松坂を指導していた横浜高校の小倉部長は、「松坂よりも我慢し、辛い練習に耐え、乗り越えてきた」と称賛。その後、甲子園で147km/hを計測した涌井を見た松坂は、「相当な努力をしたと思う」と評価した。
:*松坂を指導していた横浜高校の小倉部長は、「松坂よりも我慢し、辛い練習に耐え、乗り越えてきた」と称賛。その後、甲子園で147km/hを計測した涌井を見た松坂は、「相当な努力をしたと思う」と評価した。
:*最速148km/hのストレートとスライダーを投げ、ドラフトでは西武から単独1位指名された。
:*最速148km/hのストレートとスライダーを投げ、ドラフトでは西武から単独1位指名された。

2008年3月26日 (水) 06:03時点における版

涌井秀章
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県松戸市
身長
体重
185 cm
85 kg
血液型 A型
守備位置 投手
投球打席 右投右打
背番号 16
年俸 8,500万円(推定)
初出場 2005年3月29日
経歴 寒風台小-松戸六中-横浜高-西武ライオンズ・埼玉西武ライオンズ
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詳細はWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 野球選手#Infobox MLB playerを参照

涌井 秀章(わくい ひであき、1986年6月21日 - )は、プロ野球パシフィック・リーグ埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手である。ポジション投手背番号16番。

来歴

横浜高校時代

2003年
  • 高校1年の時から松坂大輔二世と呼ばれていた。
  • 春の甲子園に1学年上のエース成瀬善久らと共に出場。準決勝までは成瀬のリリーフとして登板。決勝戦では先発したが、広陵の打線につかまり3-15と大敗した。
2004年

2回戦の京都外大西戦は延長戦にもつれ込んだが我慢のピッチングで勝利。肉体的にも精神的にもスタミナのある面を披露。準々決勝の駒大苫小牧戦は伏兵林裕也にサイクルヒットを浴びるなどして完敗した。

  • 松坂を指導していた横浜高校の小倉部長は、「松坂よりも我慢し、辛い練習に耐え、乗り越えてきた」と称賛。その後、甲子園で147km/hを計測した涌井を見た松坂は、「相当な努力をしたと思う」と評価した。
  • 最速148km/hのストレートとスライダーを投げ、ドラフトでは西武から単独1位指名された。

プロ入り後

2005年
2006年
2007年
2008年
  • 3月20日のオリックス戦にて自身初となる開幕投手を務める。8回2失点140球の好投も敗戦投手となる。試合後本人は「8回に勝ち越された自分の責任」と語った。

投球

人物

  • 2005年シーズンオフ、チームメイトの赤田将吾選手のサイトに場を借りてファンへのメッセージを掲載したが、顔文字を多用した文章を披露、ファンの間で話題になる。
  • ポーカーフェイスとしても知られ、中学時代からピンチやホームランを打たれても表情を崩さない。中・高校時代は「ユニフォームを着ると性格が変わる」と言われるほどポーカーフェイスとともに日常生活とのギャップが激しい。
  • プロ同期のダルビッシュ有と親交があり、プライベートでも頻繁にメールを交わす仲である。ダルビッシュを中心に同年代の選手を集めた「ダルビッシュ軍団」の一員でもある。
  • 2007年、北京五輪出場をかけたアジア予選決勝リーグの初戦で先発し、勝利投手となった。「先発を伝えても当然という表情で受け止めたので大丈夫だと思った」と星野監督が明かしている。
  • 2006年オールスターの始球式に出たPUFFYに松坂が『涌井のケータイの着メロは「愛のしるし」』と公開し、涌井がPUFFYからサイン入りCDをプレゼントされた。
  • 2007年の契約更改の際、球団側から背番号18への変更を打診されたものの、それを固辞している。
  • すぽるとのアナウンサーの平井理央に似ている。2007年2月7日に平井理央が涌井の取材に訪れたロケ後、チームメイトからも三宅アナからも似ていると言われた。また、本人から平井理央へのメールも「埼玉西武ライオンズの平井理央こと涌井秀章です。」とメールを送った。
  • 小学生時代野球ではなく、ソフトボールをしていた(わかばソフトボールチームに所属)。野球は中学生になってから始めた。

略歴

  • プロ入り年度・ドラフト順位 2004年(1巡目)

アマチュア時代の戦歴

  • 2003年 春の甲子園準優勝。
  • 2004年 夏の甲子園でエースとしてチームをベスト8に導く。
  • 2004年 彩の国まごころ国体(埼玉国体)決勝で先発登板、完投勝利で優勝を飾った。

年度別投手成績

年度 チーム































2005年 西武 16 0 0 0 1 6 0 .143 253 55.1 62 11 23 4 57 2 0 45 45 7.32
2006年 26 8 1 2 12 8 0 .600 734 178.0 161 16 53 8 136 7 1 79 64 3.24
2007年 28 11 1 4 17 10 0 .630 877 213.0 199 14 50 8 141 7 0 71 66 2.79
通算成績 70 19 2 6 30 24 0 .556 1864 446.1 422 41 126 20 334 16 1 195 175 3.53

獲得タイトル

記録

  • 最多無四球試合:1回(2007年)
  • 最多投球回数:1回(2007年)
  • 1イニング4奪三振(2007年)史上12人目

関連項目

先代
斉藤和巳
パ・リーグ最多勝投手
2007年
次代
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