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'''王舎城'''(おうしゃじょう、[[サンスクリット語|skt]]:Rājagrha、'''ラージャグリハ'''、[[パーリ語|Pl]]:Rājagaha、'''ラージャガハ''')は、古代インドの[[十六大国#マガダ国|マガダ国]]にあった首都。
'''王舎城'''(おうしゃじょう、'''ラージャグリハ'''、あるいは'''ラージャガハ''')は、古代インドの[[十六大国#マガダ国|マガダ国]]にあった首都。


== 名称 ==
[[仏教]]が布教された町として有名で、多くの仏典に登場する。かつて、マンダァータ、マハーゴビンダなどの大王(ラージャは王と訳す)に支配されたので名づく。南方の仏典では、仏が[[出世]]した時と[[転輪聖王]]が出世した時のみ城下となり、その他はすべて空虚となり、[[夜叉]]に支配されてその住居になったと伝える。
*[[サンスクリット語|skt]]:Rājagrha(ラージャグリハ)
*[[パーリ語|Pl]]:Rājagaha(ラージャガハ)
*漢訳音写:羅閲祇ほか
*訳:王舎城


南伝仏典では、かつてマンダァータ、マハーゴビンダなどの大王(ラージャは王と訳す)に支配されたので名づく。
『大智度論』3では、名称の由来について3つの説を挙げている。

なお、『大智度論』3では、名称の由来について3つの説を挙げている。
#昔、マガダ国王の子に一頭両面四臂あり、王がこれを不吉祥となして、その首身を裂いて広野に棄てた。梨羅という[[羅刹]]女が、その身を合わせて乳養し、成人してのちに諸国の王萬1千人を捕らえて、これらの王を5山(後述参照)に置いたことに由来
#昔、マガダ国王の子に一頭両面四臂あり、王がこれを不吉祥となして、その首身を裂いて広野に棄てた。梨羅という[[羅刹]]女が、その身を合わせて乳養し、成人してのちに諸国の王萬1千人を捕らえて、これらの王を5山(後述参照)に置いたことに由来
#マガダ国王がその城の失火により7度に及んで、城を移して5山の中にこの王舎城を築いたことに由来
#マガダ国王がその城の失火により7度に及んで、城を移して5山の中にこの王舎城を築いたことに由来
#婆薮仙人の子である廣車王が、空中より声が聞こえて、鹿を追ってこの5山の中に入り、ここに王城を築いたことに由来
#婆薮仙人の子である廣車王が、空中より声が聞こえて、鹿を追ってこの5山の中に入り、ここに王城を築いたことに由来

== 由来・歴史 ==
[[仏教]]が布教された町として有名で、多くの仏典に登場する。南方の仏典では、仏が[[出世]]した時と[[転輪聖王]]が出世した時のみ城下となり、その他はすべて空虚となり、[[夜叉]]に支配されてその住居になったと伝える。


現在、ビハール州の首府であるパトナから約96kmに位置する場所にあり、ラジギール(ラージギール、ラージギルとも)と呼ばれる。[[仏教]]が布教された町として有名で、多くの仏典に登場する。ギッジャクータ(霊鷲山)、ヴェーバーラ(負重山)、イシギリ(仙人掘山)、ヴェープラ(廣普山)、パンダヴァ(白善山)という5つの山に囲まれている。
現在、ビハール州の首府であるパトナから約96kmに位置する場所にあり、ラジギール(ラージギール、ラージギルとも)と呼ばれる。[[仏教]]が布教された町として有名で、多くの仏典に登場する。ギッジャクータ(霊鷲山)、ヴェーバーラ(負重山)、イシギリ(仙人掘山)、ヴェープラ(廣普山)、パンダヴァ(白善山)という5つの山に囲まれている。
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[[釈迦]]の在世当時は、マガダ国最大の都として栄えた。釈迦が最も長く滞在した地で知られ、法華経を説く舞台である霊鷲山(りょうじゅせん)や[[竹林精舎]]、釈迦滅後に仏典の[[結集]]を行った七葉窟などがある。
[[釈迦]]の在世当時は、マガダ国最大の都として栄えた。釈迦が最も長く滞在した地で知られ、法華経を説く舞台である霊鷲山(りょうじゅせん)や[[竹林精舎]]、釈迦滅後に仏典の[[結集]]を行った七葉窟などがある。


当初の都はギリヴラジャ(旧王舎城)であったが、宮殿が炎上したため、[[ビンビサーラ]](頻婆娑羅)王が現在の位置にラージャグリハ(新王舎城)に遷都した。別説で移転させたのはビンビサーラの息子ある[[アジャーシャトル]](阿闍世)王ともいわれ。旧都を旧城(山城)、新都を新城と呼び区別する。
当初の都はギリヴラジャ(旧王舎城)であったが、宮殿が炎上したため、[[ビンビサーラ]](頻婆娑羅)王が現在の位置にラージャグリハ(新王舎城)に遷都した。[[玄奘]]『大唐西域記』、失火により一時寒林にいたが、[[十六大国#ヴァイシ国|ヴァイシャリー国]]が来襲すと聞き築した伝えている。

[[玄奘]]は『大唐西域記』で、[[法顕]]は『法顕伝』で、この地を訪れたことを報告している。


別説では移転させたのはビンビサーラの息子である[[アジャータシャトル]](阿闍世)王ともいわれる。旧都を旧城(山城)、新都を新城と呼び区別する。[[法顕]]は、この地を訪れたことを『法顕伝』で報告し、[[舎利弗|サーリプッタ]]の出身であるナーラダ村から西へ1由旬のところに新しい王舎城があり、ビンビサーラ王の古城とは別に、アジャータシャトル王が新城を築城したと伝えている。


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2008年3月27日 (木) 00:02時点における版


王舎城(おうしゃじょう、ラージャグリハ、あるいはラージャガハ)は、古代インドのマガダ国にあった首都。

名称

  • skt:Rājagrha(ラージャグリハ)
  • Pl:Rājagaha(ラージャガハ)
  • 漢訳音写:羅閲祇ほか
  • 訳:王舎城

南伝仏典では、かつてマンダァータ、マハーゴビンダなどの大王(ラージャは王と訳す)に支配されたので名づく。

なお、『大智度論』3では、名称の由来について3つの説を挙げている。

  1. 昔、マガダ国王の子に一頭両面四臂あり、王がこれを不吉祥となして、その首身を裂いて広野に棄てた。梨羅という羅刹女が、その身を合わせて乳養し、成人してのちに諸国の王萬1千人を捕らえて、これらの王を5山(後述参照)に置いたことに由来
  2. マガダ国王がその城の失火により7度に及んで、城を移して5山の中にこの王舎城を築いたことに由来
  3. 婆薮仙人の子である廣車王が、空中より声が聞こえて、鹿を追ってこの5山の中に入り、ここに王城を築いたことに由来

由来・歴史

仏教が布教された町として有名で、多くの仏典に登場する。南方の仏典では、仏が出世した時と転輪聖王が出世した時のみ城下となり、その他はすべて空虚となり、夜叉に支配されてその住居になったと伝える。

現在、ビハール州の首府であるパトナから約96kmに位置する場所にあり、ラジギール(ラージギール、ラージギルとも)と呼ばれる。仏教が布教された町として有名で、多くの仏典に登場する。ギッジャクータ(霊鷲山)、ヴェーバーラ(負重山)、イシギリ(仙人掘山)、ヴェープラ(廣普山)、パンダヴァ(白善山)という5つの山に囲まれている。

釈迦の在世当時は、マガダ国最大の都として栄えた。釈迦が最も長く滞在した地で知られ、法華経を説く舞台である霊鷲山(りょうじゅせん)や竹林精舎、釈迦滅後に仏典の結集を行った七葉窟などがある。

当初の都はギリヴラジャ(旧王舎城)であったが、宮殿が炎上したため、ビンビサーラ(頻婆娑羅)王が現在の位置にラージャグリハ(新王舎城)に遷都した。玄奘は『大唐西域記』で、失火により一時寒林にいたが、ヴァイシャリー国が来襲すると聞き築城したと伝えている。

別説では移転させたのはビンビサーラの息子であるアジャータシャトル(阿闍世)王ともいわれる。旧都を旧城(山城)、新都を新城と呼び区別する。法顕は、この地を訪れたことを『法顕伝』で報告し、サーリプッタの出身であるナーラダ村から西へ1由旬のところに新しい王舎城があり、ビンビサーラ王の古城とは別に、アジャータシャトル王が新城を築城したと伝えている。