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「ロック (音楽)」の版間の差分

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=== ブリティッシュ・インヴェイジョンとフォーク・ロック([[1964年]]-[[1965年]]) ===
=== ブリティッシュ・インヴェイジョンとフォーク・ロック([[1964年]]-[[1965年]]) ===
[[1964年]]、[[ビートルズ]]はロックンロールの本場であるアメリカへの上陸をはたし、そのサウンドは全米を席巻することになった。ビートルズ以外にも、[[エリック・バードン]]率いる[[アニマルズ]]や[[ローリング・ストーンズ]]、[[ザ・フー]]といったイギリスのロックバンドなどがこの時期つぎつぎとアメリカでヒットしたことから、これを'''[[ブリティッシュ・インヴェイジョン]]''' (''British Invasion'': イギリスの侵略)と呼ぶ。
[[1964年]]、[[ビートルズ]]はロックンロールの本場であるアメリカへの上陸をはたし、そのサウンドは全米を席巻することになった。ビートルズ以外にも、[[エリック・バードン]]率いる[[アニマルズ]]や[[ローリング・ストーンズ]]、[[ザ・フー]]、[[キンクス]]といったイギリスのロックバンドなどがこの時期つぎつぎとアメリカでヒットしたことから、これを'''[[ブリティッシュ・インヴェイジョン]]''' (''British Invasion'': イギリスの侵略)と呼ぶ。


アメリカでも[[ブリティッシュ・インヴェイジョン]]の影響を受けて、(のちに)[[ガレージロック]](と呼ばれる)・グループが次々と登場し、一部のバンドは成功を収めた。
アメリカでも[[ブリティッシュ・インヴェイジョン]]の影響を受けて、(のちに)[[ガレージロック]](と呼ばれる)・グループが次々と登場し、一部のバンドは成功を収めた。

2008年4月1日 (火) 15:14時点における版

ロック (Rock) は、アメリカ1950年代に黒人音楽と白人音楽の融合により生まれたポピュラー音楽のジャンルであり、様々な演奏様式を取り入れながら、発展し続けている。ボーカルギターベースドラムの基本構成をとるバンドスタイルで演奏される(この構成にプラスして、キーボードピアノなども)や或いはヴァイオリンコントラバスのようなクラシック楽器を加えることもある。激しいビートサウンドが特徴(但し、音楽性の多様化によりこの範疇に入らないロックも多い)。また、ロックミュージシャンのことをしばしば「ロッカー」と呼ぶ。

ジャズR&Bと共に世界中に広まったアメリカ発の音楽であり、世界中の音楽シーンに衝撃を与えただけでなく、その影響はポップカルチャー全体に及び、その社会的インパクトは極めて強かった。

稀な例外を除き、8ビート、4ビートか、或いは16ビートで演奏される音楽である。

一部のロックは既成概念や体制に対する反抗心や怒りを強く表現することが多く、対抗文化(カウンターカルチャー)としての存在意義を持つ。ただし、当初はアウトローな存在として登場した一部のロックのムーブメントも、やがて人気を得るにつれて大衆性を強めて逆にメインストリームとなり、さらにそれに対する新たな対抗文化が生まれる、という流れを表面上では何度も繰り返している感がある。ただしアマチュア時代(または、ある時期)から現在まで、ずっとロックバンド(またはロックシンガー、ロックギタリストなど)として存在するバンドが圧倒的に多く、彼らが常にカウンターカルチャー側にいた事実もない。

ロックという言葉はロックンロールRock and RollあるいはRock'n'Roll)の略語として、その黎明期からしばしば用いられていたが、1960年代には逆にロックという呼び方が一般化し、ロックンロールと呼ぶことは少なくなった。イギリスやアメリカでは現在も、かしこまった言い方としてロックンロールという言葉が用いられることもある。

一方で「ロックンロール」と「ロック」は別のものとして捉えられることもある。1960年代サウンドが進化しその枠を壊し、新たなサウンドの多くが生まれ、それらのサウンドの総称として「ロック」という言葉が使われている。これは「ロックンロール」は「ロック」の中の一つのジャンルである、という捉え方だと言える。

一部では、演奏家やファンの生き方や精神性の部分に「ロック」の定義を求めるような意見や論調もある。

ロックの定義

ロックの定義(もしくは範囲)をどう捉えるかについては諸説がある。ここでは代表的な4つの捉え方を紹介する。

最広義のロック

ロックンロール誕生以後のポピュラー音楽のうち、若者を主なターゲットとする音楽を全てロックとして捉える定義。この定義では狭義のポップスソウル/R&Bもロックの範疇に入る。この捉え方は一般にはあまり浸透していないが、ロックとソウル/R&Bは特に1950年代においては区別しにくいことや、人種差別に至らない為(「ブラックミュージック」という言い方を避けるため)の配慮から、特にポピュラー音楽学術的に研究する場合などに用いられることが多い。

広義のロック

最広義のロックからソウル/R&Bを除いたものをロックとして捉える定義。アメリカではラジオ局がロックとソウル/R&Bで分かれていることや、レコード店の商品陳列がこの定義に従っていることが多い為、もっとも広く浸透している定義である。この定義を採用した場合、ブルー・アイド・ソウルをロックに含めるかソウルに含めるかは人によって考え方が異なる。

狭義のロック(広く浸透している「ロック」について)

上記の「広義のロック」から「ポップス」を除いたものをロックとして捉える定義。日本ではこの定義が比較的広く浸透している。

ここで言う「ポップス」は一般に、(1) 自作曲中心でない、(2) バンドという演奏スタイルでない、(3) アーティストの自主性よりもレコード会社の主導性が強いなどの特徴を持つものとされる。

つまりここで言う「ロック」は、

  • 曲を自作
  • バンドスタイル(ギター、ベース、ドラムスが主流)の演奏
  • アーティストの自主性で成り立つ

そして、尚かつソウル、R&Bなどではないということである。

この定義の中のロックは、現在では様々な音楽性のものがあるが、どれもその音楽に影響を与えた音楽を辿っていけば、アメリカで生まれたロックンロールの派生やその血を受け継いでいるものであることが分かる。(ロックンロールとは、50年代黒人音楽と白人音楽の融合により、アメリカでエルヴィス・プレスリーなどアーティストの手により作られたロック音楽の原点)

具体的にどのアーティストがロックでどのアーティストがポップスかは人によって考え方が異なる。尚、ウィキペディア日本語版や各国のウィキペディアにおいて、(特に)日本のロックの定義を狭義のロック、または最狭義のロックで執筆されているケースが横行している為、様々な不具合が生じている。また、ポップスの定義においても様々な評論があり、これもまた、不都合が生じる原因となっている。

最狭義のロック

狭義のロックを、1950年代のものと1960年代以降のものに分け、前者をロックンロール、後者をロックとして捉える定義。特に日本において、ロックをカウンターカルチャーの精神性を伴う音楽として捉える人々の間で広まっている定義である。その中には、ロックを音楽として認識しているケースが少なく、フォークであろうがどんなジャンルであろうが、カウンターカルチャーであればロックといった定義が存在する。が、しかし、その定義に全く当てはまらない最狭義のロックの定義も存在する。つまり、最狭義のロックの定義とは、あまりにも不明瞭な定義である。

尚、この定義とはやや異なるが、1950年代のものだけをロックンロールと呼び、それをロックの中のサブジャンルとして捉える考え方もある。この考え方は、最広義・広義・狭義のいずれの定義に対しても、そのヴァリエーションとして通用する。

ロックの誕生から現在まで

日本のロック史は日本のロックを参照

ロックンロール(1950年-1960年

ロックンロールがいつ誕生したかについては諸説があるが、少なくとも1954年にビル・ヘイリーの “ロック・アラウンド・ザ・クロック” のヒットや、チャック・ベリーリトル・リチャードの登場によって、ロックンロールはアメリカのポピュラー音楽における一大潮流のひとつとなった。同年にサン・レコードからデビューしたエルヴィス・プレスリー1956年に大手RCAに移籍して大スターになったことにより、その影響力は決定的なものとなりバディ・ホリーロイ・オービソンエヴァリー・ブラザーズらが続いた。

1959年頃からロックンロールは徐々に洗練化を進める。アーティストによるオリジナル・ソングやブルースのカヴァーを中心としたレパートリーに代わり、ロックンロール向けの新曲を提供する音楽出版社が台頭し、ストリングスなども導入されるようになった。この流れをブリルビルディング・サウンドと呼び、この頃から “ロックンロール” に代わって “ロック” という呼び方が一般化する。

この時期の詳細についてはロックンロールロカビリーを参照。また、ロックンロールのルーツ、或いはこの時期以降についてリズム・アンド・ブルースブルースも参照。

サーフィン・ホットロッドとリバプール・サウンド(1960年-1964年

ロックにおいてはサウンドの洗練化がある程度まで進むと、それへの反動としてプリミティヴなパワーを持ったギター・サウンドの復権が起きるという流れが何度か繰り返されている。その最初の例が、ブリルビルディング・サウンドに対するサーフィンホットロッド・サウンドの登場である。

ロックはボーカルを中心とするサウンド作りを基本とするが、ロックンロール黎明期からインストルメンタルの作品も存在した。その場合に中心となる楽器はエレクトリックギターサックスオルガンなどだが、次第にエレクトリックギターが主役の座に着く傾向が強まった。この傾向は1958年に登場したデュアン・エディ1960年に登場したベンチャーズによって確定的になった。

こうした流れを受けてカリフォルニア州の若者たちの間で1961年頃から流行したのが、サーフィンをしている時の感覚をエレクトリックギターを中心としたインスト音楽で表現したサーフ・ミュージックである。当初はインストであったサーフ・ミュージックにボーカルを付けたのがビーチ・ボーイズである。ビーチ・ボーイズの登場によってサーフ・ミュージックは一挙に全米に広がった。また、間もなく歌詞のテーマはサーフィンだけでなくホットロッド・レース(アマチュアによる公道での自動車レース)にも及んだ為、これらの音楽をサーフィン・ホットロッド・サウンドと呼ぶ。

一方のイギリスでロックンロールの影響は徐々に広がっていった。1950年代のイギリスではスキッフルが流行していたが、スキッフルのミュージシャン達は、次第に自分達のサウンドにロックンロールの要素を取り入れていった。スキッフルと呼ぶよりはロックンロールと呼ぶ方が適切であるようなイギリスの音楽は1958年にデビューしたクリフ・リチャードを源泉とする。そして、1962年に登場したビートルズによってその流れは確実なものとなった。彼らの登場後、次々とフォロワー的なビート系バンドが登場した。その多くがビートルズの出身地であるリバプールのバンドだったため、リバプールサウンド(もしくはリバプールを流れる川の名前からマージー・ビート)と呼ばれている。

ブリティッシュ・インヴェイジョンとフォーク・ロック(1964年-1965年

1964年ビートルズはロックンロールの本場であるアメリカへの上陸をはたし、そのサウンドは全米を席巻することになった。ビートルズ以外にも、エリック・バードン率いるアニマルズローリング・ストーンズザ・フーキンクスといったイギリスのロックバンドなどがこの時期つぎつぎとアメリカでヒットしたことから、これをブリティッシュ・インヴェイジョンBritish Invasion: イギリスの侵略)と呼ぶ。

アメリカでもブリティッシュ・インヴェイジョンの影響を受けて、(のちに)ガレージロック(と呼ばれる)・グループが次々と登場し、一部のバンドは成功を収めた。

時を同じくしてブリティッシュ・インヴェイジョンの影響を受けたフォーク・グループも次々と登場した。これらのグループの多くは元々はフォークを演奏していた若者たちによって結成されたものであり、彼らの音楽性もフォークからの影響を消化したものだった為、この動きはフォーク・ロックと呼ばれる。フォーク・ロックの代表的アーティストは、ボブ・ディランバーズタートルズママス&パパスボー・ブラメルズグラスルーツ、(カントリーロックの範疇かも知れないが)バッファロー・スプリングフィールドなどがある。

ここで大切なのは、当時ロックンロールロカビリー以降死滅していたロックのジャンルがフォーク・ロックで復活したことである。それは、ロックがほぼ完全に白人音楽へと移行したという意味合いを含むのかもしれない。また、この時期はカウンターカルチャーとしてのロックが数多く誕生した時期でもある。

サイケデリックとロックの多様化(1966年-1968年

また、この時期に、その後のロックサウンドを決定付けるギターのフィードバックサウンドエフェクターの一種であるファズが生まれている。それまでは、真空管アンプによるナチュラルに歪んだ音で演奏されていたものが、よりヘヴィな音で表現可能となった。そこで生まれたジャンルの一つに、クリームジミ・ヘンドリックスに代表される強烈にハードなブルースを演奏するブルースロックがあった。これらはファズより少し遅れて流行したエフェクターであるワウをファズと一緒に使用した。

実験的なサウンド作りという手法は次第に他のアーティストにも波及していった。中でも、音楽によってドラッグで起きるトリップ体験を表現するムーブメントが起こった。その幻惑的なサウンドはサイケデリック・ロックと呼ばれた。ドアーズ、初期ピンク・フロイドホークウィンドなどが代表格として知られる。これらもテープエコーやチェンバーなどといったエフェクターが鍵だった。楽器では、シタールを用いることが多かった。

実験性とは別に、他のジャンルの要素を取り込む動きも盛んになった。ブルースの影響を消化したブルース・ロック、カントリーとの合体を試みたカントリー・ロックなどである。

60年代の終わりにレッド・ツェッペリンジェフ・ベック・グループが登場しブルース・ロックの演奏者たちは次第に、「ブルースをよりロックらしく演奏する」ことに重点を置くようになった。これは、ブルースをよりヘヴィで電気的な音で演奏することを意味する。前項で触れたエレクトリックギターエフェクター類の発展や、大音量の出せるPA等も、これらの新しいサウンドを支えた。こうして生まれた潮流がハードロックである。特にレッド・ツェッペリンは、マスコミに露出することを嫌い、メディアにあまり登場しなかったにもかかわらず70年代、世界で最も成功したスーパースターとなった。ディープ・パープルグランド・ファンク・レイルロードブラック・サバスらが後に続き、1973年にはその影響を受けたクイーンキッスエアロスミスがデビューし、スージー・クアトロがハードロックに転向した。

同様に60年代の終わりには実験的サウンドへの志向が強まり、長尺の曲や、哲学的なメッセージを込めた歌詞、楽器の演奏技術を極限まで高める風潮を呼んだ。この傾向はヨーロッパ、特にイギリスにおいて強く、シンセサイザーメロトロンをフィーチャーし、クラッシックをバックボーンに高度な技術を駆使したロックをプログレッシブ・ロックと呼ぶ。代表的なバンドはピンク・フロイドイエスキング・クリムゾンエマーソン・レイク・アンド・パーマームーディー・ブルースジェネシス等である。

この時期にはウッドストック・フェスティヴァルラテン・ロックサンタナが華々しく登場)やモンタレー・ポップ・フェスティヴァルなどの大型野外イベントが開催され、ロックの社会的影響力が大いに増した。

こうした時代を象徴するのが、シンガーソングライタースワンプ・ロックサザン・ロックといった動きである。シンガーソングライターというのは本来、自作自演の歌手という意味だが、ここではパーソナルな心情をアコースティック・ギターを中心とする控え目なサウンドに乗せて歌う人たちを指す。ジェームス・テイラーキャロル・キングがこのムーヴメントの中心である。1960年代のロックの社会変革的な思想に疲れた人々の耳を、彼らのサウンドは優しく癒したのである。

スワンプ・ロックとサザン・ロックは、カントリー・ロックと同様、土の香りへの回帰を意図するサウンドである。この動きもまた、それまでのひたすら革新を求める動きとは異なり、聴き手に安らぎを与えるものとして機能した。スワンプ・ロックはロサンゼルスで活動するデラニー&ボニーレオン・ラッセルを中心とした動きだが、イギリスのジョージ・ハリスンエリック・クラプトンも同傾向のサウンドへと向かった。サザン・ロックもサウンドの傾向は近いが、アメリカ南部を活動拠点とするオールマン・ブラザーズ・バンドレイナード・スキナードの音楽を特にこう呼ぶ。

一方で1960年代後半に誕生したカントリー・ロック、ハード・ロックプログレッシブ・ロックといった動きはこの時期にも盛んで、1960年代の思想的背景を失ったことにより、むしろ商業音楽としての自由度を確保したとも言える。また、この時期にはロックの持つある種の過激さを極度に薄めて、むしろポップスと呼んだ方が適切とも言えるカーペンターズブレッドが登場し、ロックの裾野を広げた。

1970年代前半、イギリスではファッションと演劇性を重視したT・レックスデヴィッド・ボウイらのグラム・ロックが人気を集めた。

また1974年から1977年ティーンエージャーアイドルとしてベイ・シティ・ローラーズが第二のビートルズと呼ばれるほどの人気を得た。ロックはポピュラー音楽の中心としての地位を確実なものにしていった。

パンク・ロックとニューウェイヴ(1976年-1981年

1970年代前半は、複雑で大作主義のプログレッシブ・ロックやハードロックに代表される、お金や高度な技術が必要なロックに支配されていた。それに対して「ロックは死んだ」と宣言しストレートでシンプルなロックに回帰したロック・スタイルが、1970年代に生まれたパンク・ロックだった。

ニューヨーク・ドールズパティ・スミスラモーンズなどによりニューヨークで1973年ごろ誕生したという説もあるパンク・ロック(いわゆるニューヨーク・パンク)は、ラモーンズのロンドン公演などを機にロンドンでも存在が知られるようになる。ニューヨーク・パンクのスタイルは、長髪であったりアート的な側面があるなど日陰なイメージを持っていた。一方ロンドンでは髪を短くし歌詞も演奏もはるかに過激なスタイルをとったストラングラーズが1974年に登場し、続いてニューヨーク・ドールズと同じマネージャーのセックス・ピストルズも結成されロンドン・パンクが興隆、右翼に襲われることもあり、大きな社会現象となる。当時のロンドン・パンクは、ロックンロールの原点に戻った、テクニックを気にしない「衝動」と「勢い」の攻撃的な演奏、権力や体制に反抗的な態度により、不満を抱えた労働者階級の若者たちの間でイギリスでは熱狂的に支持されていった。また、短くカットした髪を逆立たせ服を破いたそのスタイルも、パンク・ファッションとして若者の間でブームとなる。しかしアメリカではブレイクしなかった。旗手であったセックス・ピストルズの解散以後、急速にパンクロック・シーンは衰退、わずか数年ほどの短期間でこのムーブメントは終わることになる。

その後イギリスではニューウェイヴというジャンル/言葉が生まれ、それまで全盛を極めていた長髪のロッカーたちはオールドウェイヴと言われるようになる。クラフトワークのようにシンセサイザーを無機的に使用したテクノ・ポップゲイリー・ニューマンヒューマン・リーグニューロマンティクスの元祖アダム・アンド・ジ・アンツバウ・ワウ・ワウ、スカ・ビートを使ったマッドネススペシャルズらが新しい音楽を創っていった。アメリカでは、トーキング・ヘッズディーヴォらも生まれた。また、アメリカにわたったロンドン・パンクは後にノー・ウェーブジャンクなどのより先鋭的なサウンドを生み出し、オルタナティヴ・ロックの基礎を作り上げていった。

NWOBHMとLAメタル・ムーブメント(1980年-1986年

1969年から1976年にかけて一時代を築き上げたハード・ロックは圧倒的な人気があるだけでなくプログレッシブ・ロックと共に時代の最先端でもあった。しかし、1970年代後半のパンク・ロックやニューウェイブ・ムーブメントによりイギリスではオールドウェイヴ扱いとなり、80年代にはその長髪と共にイギリス以外の国でも時代遅れのスタイルとみられるようになった。1980年アイアン・メイデンデフ・レパードのメジャーデビュー、かつてとは規模が違うがシーンはやや勢いを取り戻す。『NWOBHM(ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル)』と名付けられた。このムーブメントはイギリス全土に広がり、マニアの心をつかんでいく。

イギリスに続いてアメリカにおいても、1980年代に入り、ハードロックシーンは低迷期を迎える。 そのような中、モトリー・クルーラットの成功によりロサンゼルスを中心としたシーンが活性化、LAメタルと呼ばれるジャンルが誕生、ドッケンW.A.S.P.ナイト・レンジャーなどのバンドが次々とメジャーデビューを果たす。そして、ボン・ジョヴィの大ヒットにより、MTVがHM/HRを大々的にバックアップ、ヘヴィメタルの産業化が進んでいくこととなる。ただしLAメタルというジャンル名は日本にしか存在せず、米英ではそのルックスからhair metalという表現が使われている。ロック史においてHM/HRの存在を大きく捉えるのも日本の特徴である。

ヘヴィメタルの産業化と先鋭化(1986年-1990年

エアロスミスのカムバックの成功、ボン・ジョヴィの3rdアルバム『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ』(1986年)、新生ホワイトスネイクの『サーペンス・アルバス』(1987年)、ガンズ・アンド・ローゼズのメジャーデビューアルバム『アペタイト・フォー・デストラクション』(1987年)などの大ヒットにより、ヘヴィメタルは産業化の度合いを強めていき、ポイズンシンデレラスキッド・ロウなどが次々とブレイク、適度なワイルドさとキャッチーさを合わせ持ったヘヴィメタルがミュージックシーンを席巻することとなる。

上記のとおり、1980年代のロックシーンを語る上でさけて通れないのがMTVである。1981年バグルスの “ラジオスターの悲劇” (Video Killed the Radio Star) で放送開始した音楽専門のケーブル放送チャンネルは、ロックシーンを産業化していき、巨大な影響力をもつようになっていく。MTVでインパクトのあるビデオクリップを流すことが、「売れる」要素になっていき、ビリー・アイドルマイケル・ジャクソンマドンナらがスーパースターとなっていった。

産業化したヘヴィメタルが派手な方向を目指す一方、アンダーグラウンドではハードコア・パンクの影響もあり、ヘヴィメタルの攻撃性・速さを追求したロックミュージシャンが勢力を拡大した。メタリカスレイヤーアンスラックスらにより確立されたスラッシュメタルは、アンダーグラウンドで多くのファンを獲得していき、後のブラックメタルデスメタルに多大な影響を与えた。

オルタナティブ・ロックのメインストリーム化(1991年-1994年

MTVが派手な産業ロックを流す一方、有線放送チャートやインディーズチャンネルでは、パンクに影響をうけたオルタナティブ・ロックと呼ばれるサウンドが姿を現していた。特にシアトルのインディペンデント・レーベルのサブ・ポップサウンドガーデングリーン・リヴァーといった地元の有望バンドを精力的にバックアップしていたことから、シアトルのアンダーグラウンドシーンは次第に注目を集めることとなる。そのような中、1991年ニルヴァーナが『ネヴァーマインド - NEVERMIND - 』でメジャーデビューし、全世界で1,000万枚を売り上げる大ヒットを記録、グランジ・ブームが訪れる。

また、ほぼ同時期に、ファンクヒップホップのグルーヴ感を取り入れたミクスチャー・ロック・バンドとして注目されていたロサンゼルス出身のレッド・ホット・チリ・ペッパーズが、5thアルバム『ブラッド・シュガー・セックス・マジック - BLOOD SUGAR SEX MAGIK - 』(1991年)をリリースし大ヒットを記録、ヘヴィメタルに代わってオルタナティブ・ロックがロックのメインストリームとなっていく。

一方、メタリカが5thアルバム『メタリカ - METALLICA - 』(1991年)で提示したヘヴィなサウンドは、パンテラの6thアルバム『俗悪 - VULGAR DISPLAY OF POWER - 』(1992年)においてよりヘヴィで攻撃的なサウンドとなって、数々のバンドの手本とするところとなり、ミクスチャー・ロックと相まって、次代のコーンレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンマリリン・マンソンなどのヘヴィ系ロックバンドがメジャーデビューする下地を切り開いた。

ポスト・グランジの時代(1994年-2000年

1994年のニルヴァーナのリーダーであったカート・コバーンの自殺により、グランジブームはオルタナティブ・ロック・ムーブメントに呑み込まれる形で終わりを迎える。そして多様性を増したオルタナティブ・シーンは、ドラマティックな楽曲展開で絶大な支持を得たスマッシング・パンプキンズらを中心に、フー・ファイターズウィーザーのようなキャッチーなメロディを売りにしたバンドや、コーンやレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンといったヘヴィなミクスチャーロックバンド群に後押しされる形で肥大化。『オルタナティブ・ロック』は一ジャンル用語に転化していく。

また、アメリカでグリーン・デイオフスプリングなどのポップ・パンク・バンドが人気を博す一方、イギリスでは原点回帰的サウンドともいえる、オアシスブラーに代表されるブリットポップムーブメントが発生した。そしてその後を追う形でレディオヘッドトラヴィスコールドプレイといった叙情的なバンドが登場し、2000年代も活躍を続けている。

ロックンロール・リヴァイバル・ムーブメント(2001年以降)

コーンリンプ・ビズキットリンキン・パークなどのブレイクによりニュー・メタルがロックの本流としての地位を確立するにつれて、旧来のストレートなロックサウンドが見直されるようになる。そのような状況下、2001年にアルバム『イズ・ディス・イット』でデビューしたストロークスがそのガレージロック的なアプローチから注目を浴びることとなり、『ホワイト・ブラッド・セルズ』(2001年)でメジャーデビューしたホワイト・ストライプスや、リバティーンズなどのバンドとともに、『ロックンロール・リバイバル(又はガレージロック・リバイバル)』と名付けられ、現在(2006年)なお人気を博す。

また、その中からフランツ・フェルディナンドアークティック・モンキーズといった、1980年代のニューウェーブやポストパンクを思わせる鋭角的でダンサブルなビートを取り入れたバンドたちも続々と台頭し、新たな勢力としてチャートをにぎわしている。

ロックと音楽製作

ロックの発展期とレコードの製作技術と録音技術の発展期とは重なる。ロックンロールが生演奏を再現するためにレコードを用いたのに対して、ビートルズ以降のロックはレコードでこそ実現できる音楽を目指した。そのため、複雑な多重録音やステレオ再生を生かしたミキシングなどが多用された。その史上初の試みはビートルズサージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドビーチ・ボーイズペット・サウンズ等においてなされた。これは全く新しい音楽の製作姿勢であり、その後、多くのミュージシャンが様々な試みを導入することで短期間のうちに多様なスタイルが生まれた。その影響はレコード (CD) 製作される音楽全てに及んでいる。

その反面、複雑に構成された楽曲をライブで演奏することが不可能になり、レコードにおける完成度とライブ演奏との落差が指摘される事態にもなった。これにたいしてライブにテープレコーダーを持ち込み生演奏の補完をすることで乗り切る試みもおこなわれ、これによりステージ上では何人かのメンバーがヘッドフォンで録音されたガイド信号を聞きながら演奏する光景が多く見られるようになった。更にこの生演奏志向の軟化が、打ち込みによるシンセサイザー使用やDJのライブ参加といった他ジャンルの手法をロックに持ち込み、音楽性の拡張を促すきっかけとなった。現代ではオルタナティブ・ロックを中心にこうした取り組みが当たり前になってきているが、一方でバンドスタイルによる生の臨場感を重視する声も根強く、このような手法を用いた楽曲及びグループについて、しばしば評価を分かつことになっている。

さらには本来ドキュメンタリーとしての性格が強かったライブ録音までも後からの編集、オーバーダビングにより完成度を高める手法が多用されるようになり、一部の音楽ファン評論家からは「スタジオ盤と意義の差がない」として異論が出されることもある。

ロックとファッション

ロッカーズ - モッズ - ヒッピー - パンク・ファッション - グランジ・ファッション

ロックのサブジャンル

新しい感覚を盛り込んだロックが同時期に複数のヒット曲やアルバムを生んだ場合、新たなカテゴリで呼ばれるようになる。それをロックのスタイルという。多くは配給企業の営業目的から命名されるが、その後も音楽的な影響を保ちつづけ一過性に終わらないものもある。

ロックスタイル一覧

リバプールサウンド - UKロック - インディロック - ポップロック - フォークロック - ハードロック - ソフトロック - プログレッシブ・ロック - サイケデリック・ロック - アート・ロック - クラウト・ロック - シンフォニック・ロック - ガレージロック - ブルースロック - グラムロック - サザンロック - シンガーソングライター - カンタベリー - ユーロ・ロック - ブラスロック - ヘヴィメタル - LAメタル - スラッシュメタル - デスメタル - ブラックメタル - ドゥームメタル - パンク・ロック - ロカビリー - サイコビリー - ハードコアパンク - AOR - ネオアコ - ブルー・アイド・ソウル - パブロック - ニューウェーブ - ノイズロック - オルタナティブ・ロック - エモーショナル・ハードコア - スクリーモ - グランジ - ニューロマンティック - マッドチェスター - シューゲイザー - 一部のスカ2トーンスカコア/スカパンク等) - ポストロック - カントリーロック

関連項目