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[[福井県]][[鯖江市]]出身。[[福井県立藤島高等学校]]を経て、[[1968年]] [[東京大学]][[経済学部]]卒業後、[[通産省]]に入省。同期には次官の[[村田成二]]、[[一柳良雄]]、元[[ダイエー]]会長の[[雨貝二郎]]ら。 |
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[[ケンブリッジ大学]]留学後、生活産業局住宅産業課長などを歴任し、[[1994年]] [[大臣官房]][[審議官]]を最後に退官。[[1996年]]10月の[[第41回衆議院議員総選挙]]で[[福井県第1区]]から無所属で出馬し[[新進党]]現職[[笹木竜三]]に敗北。[[2000年]]6月の[[第42回衆議院議員総選挙]]に福井1区から自民党公認で立候補し初当選。通産省の先輩の[[牧野隆守]]属す[[志帥会]]へ。[[2003年]]11月の[[第42回衆議院議員総選挙]]で再選を果たし、外務大臣政務官に就任する。[[2004年]]10月から2005年7月まで自民党副幹事長。 |
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[[郵政国会]]において[[2005年]][[7月5日]]の[[衆議院]]本会議採決では反対票を投じた。このため、2005年9月の[[第44回衆議院議員総選挙|総選挙]]では自民党の公認を得られず無所属で[[福井1区]]から出馬したものの、自民党公認の[[稲田朋美]]、[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]元職笹木らに敗れ、落選。同年10月28日に自民党から、公認候補に対立し立候補したとして離党勧告処分を受け、先立って提出していた離党届が受理されている。 |
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[[2007年]]12月に民主党へ入党。郵政造反組議員の自民党から民主党への鞍替えは[[川上義博]]・[[滝実]](途中、[[新党日本]]を経て無所属)に次いで3人目である。次回の第45回総選挙では、同党公認で[[福井県第3区|福井3区]]へ選挙区を移動して出馬することが決定した。なお、民主党が郵政造反組を次期衆院選で公認するのは初めてである。 |
2008年4月22日 (火) 07:39時点における版
松宮 勲(まつみや いさお、1944年5月28日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(当選2回)。
概要
福井県鯖江市出身。福井県立藤島高等学校を経て、1968年 東京大学経済学部卒業後、通産省に入省。同期には次官の村田成二、一柳良雄、元ダイエー会長の雨貝二郎ら。
ケンブリッジ大学留学後、生活産業局住宅産業課長などを歴任し、1994年 大臣官房審議官を最後に退官。1996年10月の第41回衆議院議員総選挙で福井県第1区から無所属で出馬し新進党現職笹木竜三に敗北。2000年6月の第42回衆議院議員総選挙に福井1区から自民党公認で立候補し初当選。通産省の先輩の牧野隆守属す志帥会へ。2003年11月の第42回衆議院議員総選挙で再選を果たし、外務大臣政務官に就任する。2004年10月から2005年7月まで自民党副幹事長。
郵政国会において2005年7月5日の衆議院本会議採決では反対票を投じた。このため、2005年9月の総選挙では自民党の公認を得られず無所属で福井1区から出馬したものの、自民党公認の稲田朋美、民主党元職笹木らに敗れ、落選。同年10月28日に自民党から、公認候補に対立し立候補したとして離党勧告処分を受け、先立って提出していた離党届が受理されている。
2007年12月に民主党へ入党。郵政造反組議員の自民党から民主党への鞍替えは川上義博・滝実(途中、新党日本を経て無所属)に次いで3人目である。次回の第45回総選挙では、同党公認で福井3区へ選挙区を移動して出馬することが決定した。なお、民主党が郵政造反組を次期衆院選で公認するのは初めてである。
著書
- 『大競争時代の政治経済学 日本改新・福井改新のシナリオ』(ジュピター出版、1995年)。