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'''杉村 太蔵'''('''すぎむら たいぞう'''、[[1979年]][[8月13日]] - )は、[[日本]]の[[政治家]]。[[衆議院議員]](1期)。
'''杉村 太蔵'''('''すぎむら たいぞう'''、[[1979年]][[8月13日]] - )は、[[日本]]の[[政治家]]。[[衆議院議員]](1期)。


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;出馬・政界入り
;出馬・政界入り
学生時代に[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]の[[鳩山由紀夫]]の事務所でアルバイトしていたが、それ以外は特に政治の世界には関わっていなかった。しかし[[2005年]]に、[[自主党 (日本)|自由民主党]]の公式サイトを見て候補者公募を知り、立候補。その後、3度の面接を経て公募に合格した。
学生時代に[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]の[[鳩山由紀夫]]の事務所でアルバイトしていたが、それ以外は特に政治の世界には関わっていなかった。しかし[[2005年]]に、[[自民党]]の公式サイトを見て候補者公募を知り、立候補。その後、3度の面接を経て公募に合格した。


[[郵政解散]]を受けて行われた、2005年[[9月11日]]の[[第44回衆議院議員総選挙]]で、党福岡県支部連合会から[[福岡県第1区|福岡1区]]出馬の推薦を取り付けたが、党本部が難色を示したため、比例南関東ブロック35位での出馬となった。この総選挙は、東京などの都市部を中心に、自民党が圧勝、同ブロックの多くの候補者が次々と[[小選挙区]]で当選し順位が上がったことで当選を果たした。この際、『[[ヒラリーマン]]』という言葉を一般に広めた。
[[郵政解散]]を受けて行われた、2005年[[9月11日]]の[[第44回衆議院議員総選挙]]で、党福岡県支部連合会から[[福岡県第1区|福岡1区]]出馬の推薦を取り付けたが、党本部が難色を示したため、比例南関東ブロック35位での出馬となった。この総選挙は、東京などの都市部を中心に、自民党が圧勝、同ブロックの多くの候補者が次々と[[小選挙区]]で当選し順位が上がったことで当選を果たした。この際、『[[ヒラリーマン]]』という言葉を一般に広めた。
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;「新しい風」の入会と退会
;「新しい風」の入会と退会
議員当選直後から武部に師事し、武部が作った勉強会「[[新しい風 (自民党)|新しい風]]」に入会。同会の『夕張再生プロジェクト』の座長に就任。その後も[[第21回参議院議員通常選挙|参院選]]の北海道選挙区総決起集会などに参加している。
議員当選直後から武部に師事し、武部が作った勉強会「[[武部グループ|新しい風]]」に入会。同会の『夕張再生プロジェクト』の座長に就任。その後も[[第21回参議院議員通常選挙|参院選]]の北海道選挙区総決起集会などに参加している。
しかし、2007年の自民党総裁選で武部が「新しい風」において[[福田康夫]]を推すことでまとめたことに対し、杉村はどうせ次期選挙での公認が得られないのならと反発し、「新しい風」を脱会した。総裁選挙では[[麻生太郎]]に投票した<ref>[http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20070924-260518.html 日刊スポーツ 2007年9月24日の記事]及び[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]「[[真相報道 バンキシャ!]](2007年9月23日放送)」のカメラの覗き見によるもの</ref>。
しかし、2007年の自民党総裁選で武部が「新しい風」において[[福田康夫]]を推すことでまとめたことに対し、杉村はどうせ次期選挙での公認が得られないのならと反発し、「新しい風」を脱会した。総裁選挙では[[麻生太郎]]に投票した<ref>[http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20070924-260518.html 日刊スポーツ 2007年9月24日の記事]及び[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]「[[真相報道 バンキシャ!]](2007年9月23日放送)」のカメラの覗き見によるもの</ref>。



2008年4月24日 (木) 05:49時点における版

日本の旗衆議院議員 杉村 太蔵
生年月日 (1979-08-13) 1979年8月13日(44歳)
出身地 北海道旭川市
出身校 筑波大学(中途退学)
学位・資格 -
前職 証券会社契約社員
所属委員会 決算行政監視委員会委員
厚生労働委員会委員
世襲
選出選挙区 比例南関東ブロック
当選回数 1回
所属党派 自民党(無派閥)
党役職 -
会館部屋番号 衆・第二議員会館732号室
ウェブサイト 杉村太蔵 ブログ -
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杉村 太蔵すぎむら たいぞう1979年8月13日 - )は、日本政治家衆議院議員(1期)。

概要

比例南関東ブロック選出。党山梨県支部連合会所属・同県連比例区支部長[1]

北海道旭川市出身。実家は2代続く歯科医院を経営。三兄弟の長男である。結婚しており、一児の父。北海道札幌藻岩高等学校から筑波大学体育専門学群に推薦入学したが中退。政治の世界に入るまでは、アルバイトフリーター派遣社員として働いていた。

出馬・政界入り

学生時代に民主党鳩山由紀夫の事務所でアルバイトしていたが、それ以外は特に政治の世界には関わっていなかった。しかし2005年に、自民党の公式サイトを見て候補者公募を知り、立候補。その後、3度の面接を経て公募に合格した。

郵政解散を受けて行われた、2005年9月11日第44回衆議院議員総選挙で、党福岡県支部連合会から福岡1区出馬の推薦を取り付けたが、党本部が難色を示したため、比例南関東ブロック35位での出馬となった。この総選挙は、東京などの都市部を中心に、自民党が圧勝、同ブロックの多くの候補者が次々と小選挙区で当選し順位が上がったことで当選を果たした。この際、『ヒラリーマン』という言葉を一般に広めた。

国会議員として

選挙区事情などから報道等では「次の選挙は厳しいのでは」と評されることがある。本人は、フリーター・ニート問題について主に取り組んでいると公言している。

当選直後からテレビ取材での様々な発言[2]がメディアで話題になった。社会人としてあまりに軽率な発言が目立ったため、テレビ局の取材中に、武部勤自民党幹事長(当時)から厳重注意を受ける。後に党本部にて単独記者会見を行い、謝罪する結果となった。

「新しい風」の入会と退会

議員当選直後から武部に師事し、武部が作った勉強会「新しい風」に入会。同会の『夕張再生プロジェクト』の座長に就任。その後も参院選の北海道選挙区総決起集会などに参加している。 しかし、2007年の自民党総裁選で武部が「新しい風」において福田康夫を推すことでまとめたことに対し、杉村はどうせ次期選挙での公認が得られないのならと反発し、「新しい風」を脱会した。総裁選挙では麻生太郎に投票した[3]

次期総選挙

次期衆議院議員総選挙では北海道1区(札幌市中央区・南区・西区)からの小選挙区立候補を表明。既に自民党の公認申請をしており、公認はまだ決定してなかったが、「いくら若くても、私は現職です。現職には現職の強みがあります。大臣に会おうと思えば会えるんです」「公認するかしないかは党の判断ですが、選挙に出るか出ないかは私の判断です。私は誰が何と言おうと北海道1区から出馬します」と宣言した[4]

候補者選考委員会は、杉村とYOSAKOIソーラン祭りの創始者である長谷川岳の両名による演説で、党員の意向を調整しようとしていたが、杉村はそれを無視[5]。2007年12月30日、選考委は長谷川を公認する(杉村の公認はしない)ことを、2008年1月8日の役員会で正式決定し、党本部に長谷川の公認申請を行なった。これで杉村は自民党から出馬できなくなった。[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。

その他

自身も所属する小泉チルドレンによる83会について、「あんなの意味あるんですかね」「学級会みたいじゃないですか」「おじさん、おばさんの井戸端会議状態」などと発言している[6]

大学時代の国民年金未納が発覚し問題となった。

2007年3月7日、自身のブログで赤ちゃんポストについて「ここで政治家として国民の生命を守る責務を負った立場から一言申し上げると、どのようなご時世であろうとも、常識ではおよそ考えつかないような、とんでもなく無責任な親は、たとえ数は少なくても絶対数存在する、となると、『産んだはいいけど、育てられない』よって、例えば赤ちゃんをロッカーに入れてしまうだとか、捨ててしまうだとか、そうした胸が張り裂けそうになるような事件が起きているのも事実です。生まれてくる赤ちゃんには何の罪もないのに。」と述べている。

雑誌SPA!2007年7月3日号で、同氏が担当するコラム中、新米親としての育児体験談の中に生後2ヶ月の長女を議員宿舎に残して夫妻で1時間ほどの外食に出た際に、長女が脱水症状を起こしていたことを語った。女性向け雑誌「女性セブン」は2007年7月19日号でこれを取り上げ、ネグレクトであることを指摘し、脱水症状でショック状態を引き起こせば冗談事では済まされないことになったとも指摘している。長女の方は2007年7月5日付の同氏ブログに拠れば、3ヶ月検診の結果、異常はみられなかったとのこと。

2007年7月12日の自身のブログにて、赤城徳彦農林水産大臣の「政治とカネ」の問題について、「はっきり申し上げて、いい加減にしていただきたいですね。うんざりでございます。」などと批判した上、領収書を公開すべきと主張した。

出演

テレビ
  • 2006年12月18日にはSMAP×SMAPのBISTRO SMAPのコーナーに出演した。
雑誌
  • SPA!(2007年2月6日号)にて、かつて司法試験受験生であったことを告白。しかし民法と刑法の違いを問われしどろもどろになった。受験歴などについては一切触れていない。

脚注

  1. ^ ただし山梨県と山梨県連関係の事案にはほとんど関与しておらず、県連ホームページの国会議員名簿にも掲載されていない
  2. ^ 「棚からぼた餅という言葉は僕のためにあるような言葉」、「120%小泉チルドレンでございます。」、「歩き方も分からないのでキッチリ派閥に入って勉強します、ハイ…」、(その後記者から「小泉が新人議員に派閥に入るなと指示」と聞かされ)「…え、総理が派閥に入るなと!?総理が!!?総理がおっしゃるならその通りだと」など。
  3. ^ 日刊スポーツ 2007年9月24日の記事及び日本テレビ真相報道 バンキシャ!(2007年9月23日放送)」のカメラの覗き見によるもの
  4. ^ 太蔵出馬へ強行突破宣言「出るかは私の判断!」”. 夕刊フジ (2007年12月12日). 12月12日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
  5. ^ 『太蔵氏、討論会リタイアへ…「自民党公認」事実上消滅』 スポーツ報知 2007年12月15日
  6. ^ 2006年2月2日の自身のブログより

関連項目

外部リンク