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「西村眞悟」の版間の差分

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[[大阪府]][[堺市]]生まれ。父は[[民社党]]第二代委員長を務めた[[西村栄一]]。岳父は元衆議院議員[[岡澤完治]]。
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[[大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎]]、[[京都大学]][[法学部]]卒業。[[神戸市]]職員として三年勤めて退職し、その年33歳で[[旧司法試験|司法試験]]に合格する。[[司法修習生]]を経て<ref>37期、同期に[[稲田朋美]]</ref>、85年[[弁護士]]登録、[[日本労働組合総連合会|連合]][[大阪]]顧問弁護士を経験。


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92年[[第16回参議院議員通常選挙]]に大阪選挙区から[[民主改革連合|連合]]候補([[日本社会党]]・[[民社党]]推薦)として出馬し落選、93年[[第40回衆議院議員総選挙]]に旧大阪5区から民社党公認・[[新生党]]推薦で出馬し初当選、最近はテレビへの出演も目立った。[[北朝鮮による日本人拉致問題]]には早い時期から積極的に取り組み[[北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟]]の幹事長であった。

2008年5月27日 (火) 08:35時点における版

西村 眞悟(にしむら しんご、1948年7月7日 ‐ )は、日本政治家、元弁護士(大阪弁護士会に所属していた)。衆議院議員(5期)。

日本の旗衆議院議員 西村 眞悟
生年月日 1948年7月7日
出身地 大阪府堺市
出身校 京都大学
学位・資格 法学士
前職 元弁護士
所属委員会 衆・安全保障委員会委員
衆・災害対策特別委員会委員
世襲 2世
父・西村栄一(衆議院議員)
岳父・岡澤完治(衆議院議員)
選出選挙区 比例近畿ブロック(大阪17区)
当選回数 5回
所属党派 無所属
党役職
会館部屋番号 衆・第2議員会館417号室
ウェブサイト 西村眞悟ホームページ
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経歴

大阪府堺市生まれ。父は民社党第二代委員長を務めた西村栄一。岳父は元衆議院議員岡澤完治

大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎京都大学法学部卒業。神戸市職員として三年勤めて退職し、その年33歳で司法試験に合格する。司法修習生を経て[1]、85年弁護士登録、連合大阪顧問弁護士を経験。

92年第16回参議院議員通常選挙に大阪選挙区から連合候補(日本社会党民社党推薦)として出馬し落選、93年第40回衆議院議員総選挙に旧大阪5区から民社党公認・新生党推薦で出馬し初当選、最近はテレビへの出演も目立った。北朝鮮による日本人拉致問題には早い時期から積極的に取り組み北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟の幹事長であった。

人物像

  • 親台派金美齢と深い交友関係にある。
  • 戸塚宏脳幹論に賛同し、戸塚ヨットスクールを支援する会の発起人。
  • 弁護士としては上海列車事故の遺族側弁護団の一員として現地調査に参加。
  • ビートたけしのTVタックル」や「たかじんのそこまで言って委員会」などのテレビ番組の出演も多かった。日本文化チャンネル桜スカイパーフェクTV!767ch)の番組『西村眞悟の「眞悟十番勝負!」』にも出演。
  • アメリカの強い姿勢を良しとする一方で、核武装議論の必要性を示唆し、「現行憲法はアメリカに押し付けられたもので、大変迷惑」と発言。
  • 2002年6月放送の朝まで生テレビ!にて、議論の途中で唐突に、出席者の一人である日本共産党所属の国会議員穀田恵二に対し、「共産主義者は母国が日本じゃない」と指摘。この日の議題は、石原慎太郎総理待望論の是非についてであり、共産主義・共産主義者の是非は一切槍玉に上がっていなかった。討議内容の前後の流れと、共産主義者云々発言とは何ら関連性はなかった。
  • 全国犯罪被害者の会幹事・本村洋を支援している。
  • 2004年2月25日に議員連盟「教育基本法改正促進委員会」設立総会のあいさつで「お国のために命を投げ出しても構わない日本人を生み出す。お国のために命をささげた人があって、今ここに祖国があるということを子ども達に教える。これに尽きる」と発言した。内容が教育基本法改正反対派が懸念する軍国主義賛美と指摘された。
  • 2005年その時の代表であった岡田克也を快く思っていなかったらしく、小泉首相の靖国参拝を批判する質問をした際、それを中華人民共和国寄りの発言として「中国(中華人民共和国)の代弁者をした奴が総理になれるはずが無い!! あんな奴はスーパーマーケットを経営しとったらええねん!!」と批判した(岡田はイオングループの御曹司である)。
  • 維新政党・新風の党友でもある。
  • 民主化要求を弾圧する軍事独裁政権として欧米から批判を受けているミャンマーと関係が深い。日本・ミャンマー友好議員連盟の幹事長を務めている。
  • 2007年6月の米下院121号決議に対する抗議賛同の国会議員として名を連ねる。

年譜

一族

家庭・親族

文献

著書

共著

関連項目

脚注

  1. ^ 37期、同期に稲田朋美
  2. ^ 西村眞悟ホームページ─ 《僕の生い立ち ~ 疾風怒濤前夜 2 ~》
  3. ^ 眞悟の時事通信バックナンバー/母のこと

外部リンク