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2008年6月3日 (火) 16:06時点における版

アルノー・クレマン
Arnaud Clément
2007年USオープンにて
基本情報
フルネーム Arnaud Marcel Maurice
Clément
国籍 フランスの旗 フランス
出身地 同・エクス=アン=プロヴァンス
生年月日 1977年12月17日
身長 172cm
体重 72kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1996年
ツアー通算 14勝
シングルス 4勝
ダブルス 10勝
生涯獲得賞金 7,125,228 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪 準優勝(2001)
全仏 4回戦(2003)
全英 4回戦(2001・02)
全米 ベスト8(2000)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 10位
ダブルス 8位

アルノー・クレマンArnaud Clément, 1977年12月17日 - )は、フランスエクス=アン=プロヴァンス出身の男子プロテニス選手。2001年全豪オープン男子シングルス準優勝者。2007年ウィンブルドン男子ダブルスで、同じフランスミカエル・ロドラと組んで初優勝した。自己最高ランキングはシングルス10位、ダブルス8位。これまでにATPツアーでシングルス4勝、ダブルスで2007年ウィンブルドンを含む10勝を挙げる。身長172cm、体重72kgで、男子プロテニス選手としてはやや小柄な体格である。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。フルネームは Arnaud Marcel Maurice Clément (アルノー・マルセル・モーリス・クレマン)という。

オールラウンド・タイプの多いフランス人選手の中でも、クレマンはグラウンド・ストローカー寄りのテニスを展開する。特にバックハンド・ストロークが飛び抜けて強力で、またリターンにも優れたものを持っている。必ず頭に巻くバンダナと、テニス選手には珍しいサングラスが彼のトレードマークである。

1996年にプロ入り。クレマンが最初に世界的な名声を獲得したのは、2000年全米オープン2回戦で第1シードのアンドレ・アガシを 6-3, 6-2, 6-4 のストレートで圧倒した時だった。クレマンはこの勝利で波に乗り、レイトン・ヒューイットとの準々決勝まで進出した。2001年全豪オープンで、クレマンは準決勝で同じフランスセバスチャン・グロージャンと激突する。ダブルスでペアも組む親友を 5-7, 2-6, 7-6, 7-5, 6-2 の逆転で破って決勝に進出し、そこで再びアガシと顔を合わせた。この度はアガシが絶好調で、クレマンは 4-6, 2-6, 2-6 のストレートで完敗した。決勝戦の前には(対アガシ戦の)「勝ち方を覚えた」と意気込んだクレマンだったが、準優勝に終わった後は「きょうのアガシに勝つのは不可能」と話したという。当時30歳のアガシにとっては、これは15年間の現役生活を通じて初の4大大会連覇だった。

2004年全仏オープン1回戦で、アルノー・クレマンは同じフランスファブリス・サントロと「テニス史上最長試合」を戦った。試合時間「6時間33分」に及んだ死闘で、クレマンは 4-6, 3-6, 7-6, 6-3, 14-16 でサントロに敗れる。勝者のサントロは3回戦まで進出した。2006年2月、クレマンは地元フランスマルセイユの大会で3年ぶりのツアー優勝を果たし、決勝でクロアチアマリオ・アンチッチを破った。7月最終週にアメリカワシントン大会の決勝で、クレマンはイギリスの新星アンディ・マレーを 7-6, 6-2 で破り、自身初のシングルス年間2勝を達成した。

2006年から、クレマンはダブルスでミカエル・ロドラと組んで試合に出場することが多くなった。2001年全豪オープン男子シングルス準優勝から6年後、クレマンとロドラは2007年ウィンブルドン男子ダブルス決勝に進出する。2人は決勝で第1シードのマイク・ブライアンボブ・ブライアン組(「ブライアン兄弟」は双子の兄弟ペア)を 6-7, 6-3, 6-4, 6-4 で破り、クレマンはウィンブルドンの地で初めての4大大会タイトルを獲得した。

フランスの男子テニス界は、1983年全仏オープンで優勝したヤニック・ノアを最後に、4大大会で男子シングルス優勝者が途絶えている。1988年全仏オープンではアンリ・ルコントが決勝でマッツ・ビランデルスウェーデン)に敗れ、1993年全米オープン1997年ウィンブルドンの2度にわたり、セドリック・ピオリーンが決勝でピート・サンプラスに完敗した。そして2001年全豪オープンではクレマンがアガシに敗れ、ノア以来のフランス人男子選手による4大大会シングルス優勝者のチャンスを逃した。

関連項目

外部リンク