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2008年6月13日 (金) 11:08時点における版
魏 光燾(ぎ こうとう、Wei Guangtao、1837年 - 1915年)、別名は午庄、字は光邴、号は湖山老人。清末の政治家。
湖南省隆回出身。1856年、湘軍に入り、江西省・広西省・浙江省・福建省などで太平天国軍と戦う。1868年、左宗棠に従って、陝西省・甘粛省で回民蜂起軍と戦う。さらに左宗棠がヤクブ・ベクの乱鎮圧に向かうと、これに従い軍事と政治の両面で支えた。ヤクブ・ベクの乱の平定後に新疆省が設置されると初代の新疆布政使に任命された。
その後、陝西巡撫、雲貴総督、陝甘総督、両江総督、南洋大臣、総理各国事物大臣の職を歴任した。両江総督の在任中には劉坤一、張之洞の後を継いで三江師範学堂(現在の南京大学)を開校させた。1905年に引退し郷里に帰った。
著書には『勘定新疆記』『湖山老人自述』がある。