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== メンバー ==
== メンバー ==
*'''[[西川幸一]]'''(にしかわ こういち、本名:川西幸一(かわにし こういち)、1959年10月20日 - 、[[広島県]]出身)愛称は西川君。バンドリーダー。[[ドラムセット|ドラムス]]担当。1993年2月に脱退。「[[VANILLA]]」のドラマーを経て、現在は[[ジェット機 (バンド)|ジェット機]]のドラマー。
*'''[[西川幸一]]'''(にしかわ こういち、本名:川西幸一(かわにし こういち)、1959年10月20日 - 、[[広島県]]出身)愛称は西川君。バンドリーダー。[[ドラムセット|ドラムス]]担当。1993年2月に脱退。「[[VANILLA]]」のドラマーを経て、現在は[[ジェット機 (バンド)|ジェット機]]、[[BLACK BORDERS]]のドラマー。


*'''[[奥田民生]]'''(おくだ たみお、1965年5月12日 - 、広島県出身) [[ボーカル]]、[[サイドギター]]担当。現在はソロアーティスト、プロデューサーとして活動中。
*'''[[奥田民生]]'''(おくだ たみお、1965年5月12日 - 、広島県出身) [[ボーカル]]、[[サイドギター]]担当。現在はソロアーティスト、プロデューサーとして活動中。

2008年6月16日 (月) 11:34時点における版

ユニコーン
別名 UNICORN
出身地 日本の旗 日本
ジャンル ロック
活動期間 1987年 - 1993年
レーベル CBSソニー
(1987年 - 1991年
ソニー・ミュージックレコーズ
1992年 - 1993年)
公式サイト unicorn-jp.net
メンバー 奥田民生ボーカル
手島いさむギター
堀内一史ベース
阿部義晴キーボード
旧メンバー 向井美音里 (キーボード)
(1987年 - 1988年
西川幸一ドラムス
(1987年 - 1993年)

ユニコーンUNICORN)は、日本のロックバンド1986年に結成し、1993年に解散した。

概要

1986年広島県広島市にて結成。1987年メジャーデビュー。所属事務所はCSA(CBS SONY ARTISTS、現:ソニー・ミュージックアーティスツ)。契約レコード会社はCBSソニー(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント)。初期の音楽プロデューサー笹路正徳。「バンドブーム」の中心的グループ[1]THE BLUE HEARTSTHE BOOMと共にバンド御三家とも呼ばれた。またルックスの良さからJUN SKY WALKER(S)と並んで、当時の音楽雑誌で最もグラビアページを組まれるバンドであった。

初期の作品には速いテンポ、激しいリズムなどハードロックの雰囲気を持つものも多いが、中期~後期の作品は独特のくだけた歌詞、良い意味で力の抜けたメロディーとリズムが特徴的で、他のバンドにはなかなか出せない独自の味があり、多くのファンの絶大な支持を獲得した。代表曲は『大迷惑』『働く男』『すばらしい日々』など。

1993年9月に解散。メンバーはその後ソロ活動や新バンドを結成するなど、各方面で活躍している。

バンド名は、イギリスのロックバンドT・レックスのアルバム『ユニコーン』に由来(T・レックスのファンだった手島の発案による)。

メンバー

  • 手島いさむ(てしま いさむ、本名:手島 勇(読み同じ)、1963年8月27日 - 、広島県出身)愛称はTESSY、3623(さむにいさん)。リードギター担当。「BIG LIFE」、「ROUTE246」などを経て、現在はソロアーティスト、スタジオミュージシャンなど多方面で活動中。
  • 堀内一史(ほりうち かずし、1965年10月2日 - 、広島県出身) 愛称はEBI。ベース担当。ソロ活動後「A.R.B.」のベーシストを経て、現在は「KASIN」のベーシストとして精力的にLIVEを行っている。
  • 阿部義晴(あべ よしはる、1966年7月30日 - 、山形県出身) 愛称は阿部B。キーボード担当。2ndアルバム『PANIC ATTACK』のレコーディングに参加した後に正式加入。解散後は「氣志團」などのプロデューサーを務める傍ら、ソロ、バンド、DJなど多方面で活動中。

担当はメインパートであり曲によっては他のパートを担当することもある。阿部加入以降、それぞれメインボーカルを務める楽曲も多くみられている。

略歴

  • 1986年4月、広島で結成。12月、CBSソニーオーディション合格。
  • 1987年3月、メンバー上京。10月21日、アルバム『BOOM』にてメジャーデビュー。
  • 1988年2月15日、向井美音里が健康上の理由により脱退(翌年、堀内一史とできちゃった結婚したが、1998年に離婚)。
  • 1989年、レコーディングスタッフだった阿部義晴が正式加入。『大迷惑』がヒット、一躍人気バンドに。
  • 1990年、アルバム『ケダモノの嵐』が日本レコード大賞アルバム賞を受賞。
  • 1993年1月21日、西川幸一がアルバム『SPRINGMAN』のレコーディング中に脱退。
9月21日、「オールナイトニッポン」(ニッポン放送)にて解散を発表。

解散後

  • 2005年、映画『ヒナゴン』の主題歌として「すばらしい日々」が採用される。
  • 2006年、ソニー デジタルハイビジョンハンディカム HC3のCMソングとして「すばらしい日々」が採用される。
    • 同年、PUFFYが『働く男』をカヴァー
    • 阿部の40歳記念ツアー「阿部義晴音楽祭〜仲間とノリノリ40祭〜」に奥田、Sparks GoGo、川西が在籍しているバンドジェット機が参加。このライブの模様はDVD化され、2007年2月14日に発売された。
  • 2007年、デビュー20周年記念企画として、10月24日トリビュートアルバムユニコーン・トリビュート』が発売された。12月18日にはオリジナルアルバムを紙ジャケ仕様で再発売。

ディスコグラフィ

シングル

オリジナルアルバム

その他アルバム

映像作品

  • MOVIE (VHS:1989年2月1日 / DVD:2000年12月6日)
  • MOVIE2 ~ WORLD TOUR 1989 服部 (VHS:1989年11月1日 / DVD:2003年3月19日)
  • MOVIE2 1/2 (VHS:1990年5月21日 / VHS廉価版:1997年8月21日)
  • MOVIE3 嵐の獣 (VHS:1991年7月1日 / DVD:2003年3月19日)
  • MOVIE4 舞監なき戦い (VHS:1992年3月25日 / DVD:2003年3月19日)
  • MOVIE5 UNICORN TOUR 1993 “4946” (VHS:1993年10月21日 / DVD:2003年3月19日)
  • MOVIE5 1/2 (VHS:1993年11月21日 / VHS廉価版:1997年8月21日)
  • MOVIE6 THE VERY RUST OF UNICORN VIDEO Vol.1 (VHS:1994年4月21日 / DVD:2000年7月5日)
  • MOVIE7 THE VERY RUST OF UNICORN VIDEO Vol.2 (VHS:1994年5月21日 / DVD:2000年7月5日)
  • MOVIE8 THE ANOTHER SIDE OF LIVE (VHS:1997年2月21日 / DVD:2003年3月19日)
    過去のライブ映像からのアウトテイク集。
  • MOVIE9 1/2 (DVD:2000年12月6日 / DVD廉価版:2003年12月17日)
    『MOVIE2 1/2』と『MOVIE5 1/2』に収録されていたPVと初期のPVを収録したDVD作品。
  • 御珍好 (VHS:1994年)
    懸賞用の非売品。タイトルは「珍プレー・好プレー集」の意。入手困難であったが、後に2002年に発売されたベストアルバム『ULTRA SUPER GOLDEN WONDERFUL SPECIAL』の特典DVDや後述の『UNICORN THE BOX Wonderful Days』に収録された。
  • UNICORN THE BOX Wonderful Days (DVD:2006年3月24日)
    過去の映像作品を全て詰め込んだスペシャルDVDボックス。特典としてWOWOWで生中継されたライブ(ラストツアーとなった「Tour4946」での沖縄公演初日)映像を収録。完全限定生産。

アラカルト/エピソード

  • 服部敬雄 - 山形新聞山形交通社長で山形県の実力者。アルバム『服部』に収録の『服部』は、阿部の出身地である山形県における服部の支配を皮肉った曲であると言われる。
  • 井上陽水 - 陽水の長男がユニコーンの大ファンであった。長男が陽水にユニコーンを薦めたことから、奥田と陽水の交流が始まった。
  • 原田公一 - ユニコーンの名物マネージャー。通称ダーハラさん。ペケペケのミュージックビデオでは宴会のシーンに参加している。解散後も奥田のマネージャーとして活躍し続け、2006年から株式会社Hit&Runの代表取締役に。
  • ダウンタウン - 夢で逢えたらなど彼らの番組の度々出演。奥田とは現在も交友がある。
  • デビュー前のCBSソニーオーディションでの司会は中村貴子だった。
  • アルバム『服部』発売当時、全国の服部さんをライブに招待する企画があり、日本武道館の客席に「服部様ご一行」と垂れ幕がかかった一角を設け服部姓のファンが集結した。[2]
  • 阿部はライブツアー『嵐の獣』の公演中にカンフーのパフォーマンスに失敗し脱臼したことがある(当然日程は延期に)。[3]
  • アルバム『ヒゲとボイン』に収録されている『開店休業』のドラムパートは途中から始まるが、これは阿部が編集中に誤って消してしまったからである。
  • シングル『大迷惑』のカセットシングル版の方には民生による歌唱指導が入っていた(後に『THE VERY RUST OF UNICORN』に収録)。
  • シングル『大迷惑』発表時、遅いファーストシングル発売についての質問の解答に「忘れてた」と奥田。[3]
  • 川西は2001年1月25日、長男の嵐丸君とともに消火活動と人命救助を行い、警察より表彰されている。
  • バンドブーム期に数あるバンドの中でも独特の雰囲気を持っていた為、氷室京介をして「最近のバンドで唯一いいと思うのはユニコーンだけ」と言わしめた。
  • アルバム『おどる亀ヤプシ』の「ヤプシ」とは川西の口癖。シングル『働く男』にも「ヤプシッ!」という声が入っている。
  • アルバム『おどる亀ヤプシ』に収録されている『ボサノバ父さん』は、同年3月に発売された中山忍中山美穂の妹で、現在女優として活動)のシングル曲『光のオペラ』のBメロ部とサビ部を、歌詞とアレンジを変えたもの(『光のオペラ』は奥田民生作曲)。
  • その後のロックバンドに与えた影響は大きく、ビート・クルセイダースのヒダカは「僕らがまず目指したのはユニコーンみたいな感じ。」と発言している。
  • レディを解散した奥田は、友人のベーシストと新たなバンドを作ることを約束していた。そのため、川西からの最初のオファーを断ったのだが、そのベーシストが勝手に別のバンドをやり始めて奥田が裏切られたため、二度目のオファーでユニコーンへの加入を決意した。

関連項目

  1. ^ WHAT's IN? (ワッツ・イン)2008MAY、p62
  2. ^ MOVIE2 ~ WORLD TOUR 1989 服部より
  3. ^ a b THE VERY RUST OF UNICORN VIDEOより

外部リンク