「アルノー・クレマン」の版間の差分
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2008年7月20日 (日) 04:09時点における版
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アルノー・クレマンとミカエル・ロドラ | ||||
基本情報 | ||||
フルネーム |
Arnaud Marcel Maurice Clément | |||
国籍 | フランス | |||
出身地 | 同・エクス=アン=プロヴァンス | |||
生年月日 | 1977年12月17日(46歳) | |||
身長 | 172cm | |||
体重 | 72kg | |||
利き手 | 右 | |||
バックハンド | 両手打ち | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 1996年 | |||
ツアー通算 | 14勝 | |||
シングルス | 4勝 | |||
ダブルス | 10勝 | |||
生涯獲得賞金 | 7,125,228 アメリカ合衆国ドル | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | 準優勝(2001) | |||
全仏 | 4回戦(2003) | |||
全英 | ベスト8(2008) | |||
全米 | ベスト8(2000) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | 準優勝(2008) | |||
全仏 | ベスト4(2001) | |||
全英 | 優勝(2007) | |||
全米 | ベスト8(2006) | |||
優勝回数 | 1(英1) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 10位 | |||
ダブルス | 8位 | |||
アルノー・クレマン(Arnaud Clément, 1977年12月17日 - )は、フランス・エクス=アン=プロヴァンス出身の男子プロテニス選手。2001年の全豪オープン男子シングルス準優勝者。2007年のウィンブルドン男子ダブルスで、同じフランスのミカエル・ロドラと組んで初優勝した。自己最高ランキングはシングルス10位、ダブルス8位。これまでにATPツアーでシングルス4勝、ダブルスで2007年ウィンブルドンを含む10勝を挙げる。身長172cm、体重72kgで、男子プロテニス選手としてはやや小柄な体格である。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。フルネームは Arnaud Marcel Maurice Clément (アルノー・マルセル・モーリス・クレマン)という。
オールラウンド・タイプの多いフランス人選手の中でも、クレマンはグラウンド・ストローカー寄りのテニスを展開する。特にバックハンド・ストロークが飛び抜けて強力で、またリターンにも優れたものを持っている。必ず頭に巻くバンダナと、テニス選手には珍しいサングラスが彼のトレードマークである。
1996年にプロ入り。クレマンが最初に世界的な名声を獲得したのは、2000年の全米オープン2回戦で第1シードのアンドレ・アガシを 6-3, 6-2, 6-4 のストレートで圧倒した時だった。クレマンはこの勝利で波に乗り、レイトン・ヒューイットとの準々決勝まで進出した。2001年の全豪オープンで、クレマンは準決勝で同じフランスのセバスチャン・グロージャンと激突する。ダブルスでペアも組む親友を 5-7, 2-6, 7-6, 7-5, 6-2 の逆転で破って決勝に進出し、そこで再びアガシと顔を合わせた。この度はアガシが絶好調で、クレマンは 4-6, 2-6, 2-6 のストレートで完敗した。決勝戦の前には(対アガシ戦の)「勝ち方を覚えた」と意気込んだクレマンだったが、準優勝に終わった後は「きょうのアガシに勝つのは不可能」と話したという。当時30歳のアガシにとっては、これは15年間の現役生活を通じて初の4大大会連覇だった。
2004年の全仏オープン1回戦で、アルノー・クレマンは同じフランスのファブリス・サントロと「テニス史上最長試合」を戦った。試合時間「6時間33分」に及んだ死闘で、クレマンは 4-6, 3-6, 7-6, 6-3, 14-16 でサントロに敗れる。勝者のサントロは3回戦まで進出した。2006年2月、クレマンは地元フランス・マルセイユの大会で3年ぶりのツアー優勝を果たし、決勝でクロアチアのマリオ・アンチッチを破った。7月最終週にアメリカ・ワシントン大会の決勝で、クレマンはイギリスの新星アンディ・マレーを 7-6, 6-2 で破り、自身初のシングルス年間2勝を達成した。
2006年から、クレマンはダブルスでミカエル・ロドラと組んで試合に出場することが多くなった。2001年全豪オープン男子シングルス準優勝から6年後、クレマンとロドラは2007年ウィンブルドン男子ダブルス決勝に進出する。2人は決勝で第1シードのマイク・ブライアン&ボブ・ブライアン組(「ブライアン兄弟」は双子の兄弟ペア)を 6-7, 6-3, 6-4, 6-4 で破り、クレマンはウィンブルドンの地で初めての4大大会タイトルを獲得した。クレマンとロドラは2008年全豪オープン男子ダブルスでも決勝に進んだが、イスラエルペアのアンディ・ラム&ジョナサン・エルリック組に 5-7, 6-7 で敗れて準優勝になっている。
2008年のウィンブルドンで、クレマンは初めてシングルスのベスト8に入った。準々決勝のライナー・シュットラー(ドイツ)戦は、雨天順延のため2日がかりの試合となった。クレマンはシュットラーに 3-6, 7-5, 6-7, 7-6, 6-8 の激戦で敗れ、準決勝進出を逃した。(シュットラーも全豪オープン準優勝者で、クレマンの2年後の2003年にアガシに敗れた人である。)
フランスの男子テニス界は、1983年の全仏オープンで優勝したヤニック・ノアを最後に、4大大会で男子シングルス優勝者が途絶えている。1988年全仏オープンではアンリ・ルコントが決勝でマッツ・ビランデル(スウェーデン)に敗れ、1993年全米オープンと1997年ウィンブルドンの2度にわたり、セドリック・ピオリーンが決勝でピート・サンプラスに完敗した。そして2001年全豪オープンではクレマンがアガシに敗れ、ノア以来のフランス人男子選手による4大大会シングルス優勝者のチャンスを逃した。