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* [[2003年]] - [[ドラフト会議|ドラフト]]9巡目で[[日本大学硬式野球部|日大]]より横浜に入団。同年自由獲得枠で入団した[[村田修一]]は大学のチームメイト。[[8月7日]]の巨人戦で初登板、[[8月16日]]の[[広島東洋カープ|広島]]戦でプロ初勝利。 |
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* [[2004年]] - [[肘]]の[[手術]]を受けたこともあって一軍登板はなし。ファームの[[湘南シーレックス|湘南]]でもわずか2試合の登板に終わった。 |
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* 2005年以降は球速がやや衰え、投球のまとまりで勝負する投手になった。ファームでは安定した成績をあげるものの、1軍首脳にアピールするだけの特徴がなかったことから、1軍での登板はなかった。新戦力を積極的に上で使う方針が当時のチームに欠けていたことも、昇格を阻んだ一因となった。 |
* 2005年以降は球速がやや衰え、投球のまとまりで勝負する投手になった。ファームでは安定した成績をあげるものの、1軍首脳にアピールするだけの特徴がなかったことから、1軍での登板はなかった。新戦力を積極的に上で使う方針が当時のチームに欠けていたことも、昇格を阻んだ一因となった。 |
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* [[2007年]] - [[工藤公康]]の移籍にともない背番号を47から36へ変更。 湘南で14試合中継ぎや敗戦処理で登板しただけで勝星をあげることは出来ず、[[10月]]に[[戦力外通告]]され現役引退を表明し、[[11月29日]]付で任意引退が公示された。引退後は横浜の打撃投手に転身することになった。 |
* [[2007年]] - [[工藤公康]]の移籍にともない背番号を47から36へ変更。 湘南で14試合中継ぎや敗戦処理で登板しただけで勝星をあげることは出来ず、[[10月]]に[[戦力外通告]]され現役引退を表明し、[[11月29日]]付で任意引退が公示された。引退後は横浜の[[打撃投手]]に転身することになった。 |
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== 通算成績 == |
== 通算成績 == |
2008年7月21日 (月) 15:22時点における版
堤内 健(つつみうち たけし、1980年7月20日 - )はプロ野球、横浜ベイスターズに所属していた元プロ野球選手(投手)で、現在は横浜の打撃投手。
現役時代は、最速147kmの速球が武器の投手、変化球はスライダーやフォークを使った。
概要
- 2003年 - ドラフト9巡目で日大より横浜に入団。同年自由獲得枠で入団した村田修一は大学のチームメイト。8月7日の巨人戦で初登板、8月16日の広島戦でプロ初勝利。
- 2004年 - 肘の手術を受けたこともあって一軍登板はなし。ファームの湘南でもわずか2試合の登板に終わった。
- 2005年以降は球速がやや衰え、投球のまとまりで勝負する投手になった。ファームでは安定した成績をあげるものの、1軍首脳にアピールするだけの特徴がなかったことから、1軍での登板はなかった。新戦力を積極的に上で使う方針が当時のチームに欠けていたことも、昇格を阻んだ一因となった。
- 2007年 - 工藤公康の移籍にともない背番号を47から36へ変更。 湘南で14試合中継ぎや敗戦処理で登板しただけで勝星をあげることは出来ず、10月に戦力外通告され現役引退を表明し、11月29日付で任意引退が公示された。引退後は横浜の打撃投手に転身することになった。
通算成績
- 4試合 15投球回 1勝1敗0S 15被安打 2被本塁打 9奪三振 14与四死球 10失点 9自責点 防御率5.40
個人記録
背番号
- 47(2003年~2006年)
- 36(2007年)
- 108(2008年~)
高校・大学時代の戦績・記録
- 1997年 - 全国高等学校野球選手権大会
- 2回戦、対佐野日大高戦、1対2で敗戦。(2投球回 3被安打 1奪三振 1与四死球 1自責点)
- 1998年 - 全国高等学校野球選手権大会宮崎大会3回戦敗退。
- 2001年 - 全日本大学野球選手権大会準優勝
- 2003年 - 秋季東都大学リーグの専修大戦でリーグタイ記録の1試合18奪三振を記録(チームは敗戦、敗戦投手は堤内)