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自らを「閣下」と自称し、ファンらも嬉々として受け入れている。
自らを「閣下」と自称し、ファンらも嬉々として受け入れている。


ながいけんはもともと[[ラポート]]が出している雑誌[[ファンロード]]の常連投稿者だった。主に葉書によるひとコマ漫画であったが異様な反響があり、直後に原稿で漫画を投稿するようになった(投稿作品は『ムウミン谷の攻防』のみ大幅な加筆を経て、後の単行本に収録される。当時の作品の商業目的の書籍への掲載は既存の他社作品のキャラばかり登場する為不可能だと思われる)。その後ファンロード編集部に見出され、[[1980年代]]中頃から同誌に漫画を書くようになる。[[1988年]]には単行本(『チャッピーとゆかいな下僕ども』)も出版するが、翌年絶筆する。この時点で編集長はながいのその後について「戦争に興味があるからそっち方面にいくとか言ってたけど…」とコメントしている。ちなみに、当時のながいの人柄に関して、編集部などで居合わせたことのある者の証言としては賛否両論あった(もっとも”否”の方は、ながいがきつい[[ネタ]]としてやっていた不遜な態度を生真面目な人が真に受けてしまっただけという可能性もある)。この頃の彼の風貌は、[[大友克洋]]の漫画「[[AKIRA]]」の主人公・金田に極めて酷似していたと言われる{{要検証}}。
ながいけんはもともと[[ラポート]]が出している雑誌[[ファンロード]]の常連投稿者だった。主に葉書によるふたコマ漫画であったが異様な反響があり、直後に原稿で漫画を投稿するようになった(投稿作品は『ムウミン谷の攻防』のみ大幅な加筆を経て、後の単行本に収録される。当時の作品の商業目的の書籍への掲載は既存の他社作品のキャラばかり登場する為不可能だと思われる)。その後ファンロード編集部に見出され、[[1980年代]]中頃から同誌に漫画を書くようになる。[[1988年]]には単行本(『チャッピーとゆかいな下僕ども』)も出版するが、翌年絶筆する。この時点で編集長はながいのその後について「戦争に興味があるからそっち方面にいくとか言ってたけど…」とコメントしている。ちなみに、当時のながいの人柄に関して、編集部などで居合わせたことのある者の証言としては賛否両論あった(もっとも”否”の方は、ながいがきつい[[ネタ]]としてやっていた不遜な態度を生真面目な人が真に受けてしまっただけという可能性もある)。この頃の彼の風貌は、[[大友克洋]]の漫画「[[AKIRA]]」の主人公・金田に極めて酷似していたと言われる{{要検証}}。


その後[[1995年]]に復活。[[少年サンデー特別増刊R]]にて読切『極道さんといっしょ!』を掲載。翌1996年より[[週刊少年サンデー]]に『[[神聖モテモテ王国]]』を連載、独特のギャグセンス、世界観が一部でコアな人気を呼んだ。しかし突然なんの前触れもなく連載が中断。この連載中断があまりにも唐突だった事から、ながいの死亡説や夜逃げ説などがまことしやかにささやかれたが、この時期の動向については少なくとも公にはなっていない。
その後[[1995年]]に復活。[[少年サンデー特別増刊R]]にて読切『極道さんといっしょ!』を掲載。翌1996年より[[週刊少年サンデー]]に『[[神聖モテモテ王国]]』を連載、独特のギャグセンス、世界観が一部でコアな人気を呼んだ。しかし突然なんの前触れもなく連載が中断。この連載中断があまりにも唐突だった事から、ながいの死亡説や夜逃げ説などがまことしやかにささやかれたが、この時期の動向については少なくとも公にはなっていない。

2008年7月23日 (水) 16:07時点における版

ながいけんは日本の漫画家静岡県浜松市出身。独特の世界観とギャグセンスを持つギャグ漫画家。一般受けはしないが一部でカルト的な人気を持つ。

自らを「閣下」と自称し、ファンらも嬉々として受け入れている。

ながいけんはもともとラポートが出している雑誌ファンロードの常連投稿者だった。主に葉書によるふたコマ漫画であったが異様な反響があり、直後に原稿で漫画を投稿するようになった(投稿作品は『ムウミン谷の攻防』のみ大幅な加筆を経て、後の単行本に収録される。当時の作品の商業目的の書籍への掲載は既存の他社作品のキャラばかり登場する為不可能だと思われる)。その後ファンロード編集部に見出され、1980年代中頃から同誌に漫画を書くようになる。1988年には単行本(『チャッピーとゆかいな下僕ども』)も出版するが、翌年絶筆する。この時点で編集長はながいのその後について「戦争に興味があるからそっち方面にいくとか言ってたけど…」とコメントしている。ちなみに、当時のながいの人柄に関して、編集部などで居合わせたことのある者の証言としては賛否両論あった(もっとも”否”の方は、ながいがきついネタとしてやっていた不遜な態度を生真面目な人が真に受けてしまっただけという可能性もある)。この頃の彼の風貌は、大友克洋の漫画「AKIRA」の主人公・金田に極めて酷似していたと言われる[要検証]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。

その後1995年に復活。少年サンデー特別増刊Rにて読切『極道さんといっしょ!』を掲載。翌1996年より週刊少年サンデーに『神聖モテモテ王国』を連載、独特のギャグセンス、世界観が一部でコアな人気を呼んだ。しかし突然なんの前触れもなく連載が中断。この連載中断があまりにも唐突だった事から、ながいの死亡説や夜逃げ説などがまことしやかにささやかれたが、この時期の動向については少なくとも公にはなっていない。

2003年末に週刊ヤングサンデー誌上で神聖モテモテ王国を復活させ、短期連載した。それ以降、長井建名義で、ファンロードで毎月コラムを執筆している。2006年3月、漫画家復帰を目指すためファンロード誌のコラムの連載を終了する。

漫画を描かなくなってかなりの期間が経つものの、漫画界・一般社会問わず根強いファンが存在する。

余談だが、彼の投稿時代ファンロード誌で既に名物常連になっていた中森一郎氏(漫画家アシスタントとして活動、アフタヌーンにて短期間だが執筆したこともある。なお彼の名前は神聖モテモテ王国のキャラクター「ブタッキー」と「オンナスキー」の名前に各々分解されて使用されたと思われる)と友人であった事もまた彼の異様な知名度に一役買ったようだ。

代表作

  • 『チャッピーとゆかいな下僕ども』(ラポートコミックス 後に増補完全版が出版)
  • 神聖モテモテ王国』(小学館少年サンデーコミックス 1-6巻 7巻は既刊分とともにコミックパークのオンデマンドで出版)