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'''ファブリシオ・コロッチーニ'''('''Fabricio Coloccini'''、[[1982年]][[1月22日]] - )は、[[アルゼンチン]]・[[コルドバ]]出身の[[サッカーアルゼンチン代表|同国代表]]サッカー選手。現在は[[プレミアリーグ]]・[[ニューカッスル・ユナイテッド]]所属。ポジションは[[ディフェンダー (サッカー)|DF]]。 |
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==経歴== |
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2008年8月26日 (火) 01:43時点における版
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Fabricio Coloccini | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
![]() | |||||
生年月日 | 1982年1月22日(42歳) | |||||
出身地 | コルドバ | |||||
身長 | 183cm | |||||
体重 | 78kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | ニューカッスル・ユナイテッド | |||||
ポジション | DF | |||||
背番号 | 2 | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
オリンピック | ||
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男子 サッカー | ||
金 | 2004 | サッカー |
ファブリシオ・コロッチーニ(Fabricio Coloccini、1982年1月22日 - )は、アルゼンチン・コルドバ出身の同国代表サッカー選手。現在はプレミアリーグ・ニューカッスル・ユナイテッド所属。ポジションはDF。
経歴
サッカー選手としてのキャリアをアルゼンチンのアルヘンティノス・ジュニアーズのユースでスタートさせ、ボカ・ジュニアーズ移籍後の1998年に若干16歳でトップリーグデビューを遂げると、翌年にはイタリアのセリエA・ACミランに引き抜かれる。ボカではわずか2試合の出場だった。
ACミランのユースで練習に励むも、若手の起用に慎重なセリエAの風習もありなかなか試合出場の機会に恵まれなかったものの、2001年の6月の自国開催のワールドユースではアルゼンチン代表に選出され、キャプテンとしてチームを牽引し、グループステージで2得点を挙げる等活躍を見せ、大会得点王となったハビエル・サビオラと共にチームを優勝に導いた。夏にはアルゼンチンのサン・ロレンソにレンタル移籍し、リーグ後期を戦った。19試合出場3ゴールだった。
2001-2002シーズンはリーガ・エスパニョーラのアラベスへレンタル移籍し、センターバックのレギュラーとして33試合に出場。また打点の高いヘッド等で6得点を奪う活躍を見せた。この活躍からACミランへの復帰も検討されたが、翌2002-2003シーズンはアトレティコ・マドリード、2003-2004シーズンはビジャレアルと、リーガ・エスパニョーラのチームをレンタル移籍で転々とする。両チームでレギュラークラスのDFとしてそれぞれ27試合、32試合に出場する。尚この間、2003年4月30日に対リビア戦でアルゼンチン代表デビューを果たしている。2004年夏にはアテネオリンピックに出場。サビオラや大会得点王のカルロス・テベスらと共に金メダルを獲得した。
2004-2005シーズン、所属するすべてのチームでレギュラーであったこと、ユースレベルでの国際大会での華々しい実績を引っさげてACミランへ凱旋するはずであったが、リーガ・エスパニョーラでの3シーズンに渡る活躍からむしろ同リーグ内での評価が高く、またアルゼンチンと同じスペイン語を扱う国であることから同リーグのデポルティーボ・ラ・コルーニャに移籍し、さらには完全移籍をすることとなった。結局ACミランでは1試合のみの出場であった。
2005年夏にはコンフェデレーションズカップ、2006年夏にはワールドカップと2年続けて本大会代表に選出されており、アルゼンチン代表にもすっかり定着している。
2005-2006シーズン、2006-2007シーズンに続けて4年目のシーズンをデポルティーボで迎えており、CB、右SB、DHと様々な守備的なポジションで起用され、過渡期のチームの守備を支えている。
2008年8月、1200万ユーロ(約20億1600万円)以上の移籍金、デポルティボ時代の給与の2倍以上の給料でニューカッスル・ユナイテッドと5年契約を結んだ。
開幕戦でいきなりスタメン出場を果たし、マンチェスター・ユナイテッドの猛攻を防ぐ活躍を見せている。
ニューカッスルは守護神、中盤、前線に数多くのワールドクラスの選手を抱えてるにも関わらず、肝心の守備の要がおらず、近年残留争いという不甲斐ない成績であるため、活躍が期待されている。
プレースタイル
屈強なフィジカルとメンタルタフネスを備えたディフェンダーである。上背がずば抜けているわけではないがタイミングのいいジャンプから繰り出されるヘディングは守備だけでなく攻撃にも活かされ、特に低身長のDFやFWが多いアルゼンチン代表では頼りになる存在である。足元の技術にも優れておりフィードはDFとしては優れた部類に入る。その為右SBやDHとしてのプレイも可能としている。ハードさとエレガントさを併せ持ったディフェンダーである。
唯一にして最大の弱点はスピード。ポジショニングのセンスがよくまた抜かれても諦めないメンタルの強さでカバーをするもののやはり限界があり、スピード自慢のCBとコンビを組む必要がある。そのようなパートナーを得るとデポルティーボでのジョルジュ・アンドラーデ(現ユベントス)とのコンビ然りで得意のインテリジェンスとフィジカルを活かし鉄壁のディフェンスラインを築き上げる。
所属クラブ
- 1998-1999
ボカ・ジュニアーズ 2試合/1得点
- 1999-2004
ACミラン 1試合/0得点
- →2000
サン・ロレンソ(loan) 19試合/3得点
- →2001-2002
アラベス(loan) 33試合/6得点
- →2002-2003
アトレティコ・マドリード(loan) 27試合/0得点
- →2003-2004
ビジャレアル(loan) 32試合/1得点
- 2004-2008
デポルティーボ・ラ・コルーニャ 105試合/5得点
- 2008-
ニューカッスル・ユナイテッド