「鉄平 (野球)」の版間の差分
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*[[川崎憲次郎]]は高校の先輩。「川崎さんの投げる試合で守りたい」と目標を語っていたが、川崎の引退により叶わなくなった。 |
*[[川崎憲次郎]]は高校の先輩。「川崎さんの投げる試合で守りたい」と目標を語っていたが、川崎の引退により叶わなくなった。 |
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*2006年前半は、バックホームをする際、あらぬ方向に投げてしまう等のプレーをしばしば見せ、[[野村克也]]監督から「'''この選手はちょっとおかしいね'''」と言われていたが、後半には「鉄平は本物になっちゃった」「お前に休まれては困る」「鉄平は[[張本勲|張本]]二世。安物の張本や(当時推定年俸が1000万と安かった)」等のコメントをもらった。 |
*2006年前半は、バックホームをする際、あらぬ方向に投げてしまう等のプレーをしばしば見せ、[[野村克也]]監督から「'''この選手はちょっとおかしいね'''」と言われていたが、後半には「鉄平は本物になっちゃった」「お前に休まれては困る」「鉄平は[[張本勲|張本]]二世。安物の張本や(当時推定年俸が1000万と安かった)」等のコメントをもらった。 |
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*2006年オフ、年俸が220%アップした際には。「自費で新幹線に乗るときはいつも自由席だったけど、これからは座席が広いグリーン車に乗れそうです」と、コメントをした。[http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_december/KFullNormal20071128143.html] |
*2006年オフ、年俸が220%アップした際には。「自費で新幹線に乗るときはいつも自由席だったけど、これからは座席が広いグリーン車に乗れそうです」と、コメントをした。<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_december/KFullNormal20071128143.html 【12月7日】2006年(平18) 楽天・鉄平、年俸220%UP]</ref> |
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*2007年、[[楽天イーグルスTV]]で「今日の鉄平」というミニコーナーが作られ、1年を通して放映された。 |
*2007年、[[楽天イーグルスTV]]で「今日の鉄平」というミニコーナーが作られ、1年を通して放映された。 |
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*ラジオ番組『We Are Eagler』の公開収録が2007年11月11日に行われ、ゲストは[[渡辺直人]]、[[枡田慎太郎]]であったが、前触れもなく突如会場に姿を表し、その場にいた司会者・選手・観客を驚かせた。 |
*ラジオ番組『We Are Eagler』の公開収録が2007年11月11日に行われ、ゲストは[[渡辺直人]]、[[枡田慎太郎]]であったが、前触れもなく突如会場に姿を表し、その場にいた司会者・選手・観客を驚かせた。 |
2008年9月12日 (金) 08:31時点における版
東北楽天ゴールデンイーグルス #46 | |
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基本情報 | |
国籍 |
![]() |
出身地 | 大分県大分市 |
生年月日 | 1982年12月27日(41歳) |
身長 体重 |
178 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 2000年 5位 |
初出場 | 2004年4月30日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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鉄平(てっぺい、本名:土谷鉄平(つちや てっぺい)、1982年12月27日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手(外野手)。
来歴
プロ入り前
小学校1年の時、兄の影響で野球を始め「ふじヶ丘少年野球団」でプレー。中学時代は野球部に入部し、ピッチャーとショートを受け持つ。津久見高校時代は、1年から遊撃手のレギュラーを獲得。高校通算は5割を超える、打率.551。32本塁打の記録を残した。甲子園への出場経験はないものの、50m走は5秒9、遠投110mと身体能力の高さから「九州のイチロー」として注目された。[1]
2000年のドラフトで5位指名を受け、中日ドラゴンズに入団する。
プロ時代
中日ドラゴンズ時代
二軍で遊撃手のレギュラーを獲得するが、そのオフ外野手にコンバートされる。
プロ4年目で一軍初出場・初安打を記録し、主に代走や外野の守備固めとして50試合に出場した。6月1日には6番左翼手でプロ初スタメン出場。10月9日に行われたファーム日本選手権ではサヨナラヒットを放ってチームを日本一に導き、最優秀選手賞を獲得した。
一軍では2試合の出場に終わったが、二軍ではウェスタン・リーグ3位の打率.336、13盗塁の好成績を残した。オフに金銭トレードで東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍。その際に、登録名を「土谷鉄平」から「鉄平」に改めた。
東北楽天ゴールデンイーグルス時代
2006年
- 3月25日札幌ドームでの対北海道日本ハム戦の開幕戦に1番センターとしてスタメン出場する。
- 4月22日、西武の西口文也投手からプロ初本塁打を放つ。これが決勝打となり、球団に初の1対0での勝利をもたらす。
- 6月2日は古巣の中日戦(宮城)で4安打を放ち、サヨナラ勝ちにつなげる。試合後落合博満監督から「お前を(トレードに)出した甲斐があった」とのコメントを受ける。
- 6月30日の北海道日本ハム戦から7月6日の千葉ロッテ戦にかけて9打席連続三振を記録。野手の連続三振記録を8から9へと更新した。
- 103試合に外野手として出場し、チーム2位の打率.303を残す(1位はリック・ショート)。また、西岡剛、赤田将吾、川崎宗則と並んでリーグトップタイの三塁打7つを記録した。
- 10月、ファンからの最多投票をうけ、楽天野球団主催の『2006年度MVP選手』に選ばれる。これにより、2007年度、同球団ファンクラブ特典のフィギュアは鉄平となる。
- 11月、イオン日米野球2006に監督推薦選手として出場。スコアボードには「東北鉄平」と誤表示される。
- 12月7日、球団史上最高となる220%の年俸アップ率で契約更改をした。また、この日「グッズを作り直すのが大変だろうから」と、背番号は変更しないことを発表した。(しかし翌年のオフには引退した関川浩一の23に変更したいと訴えた)
2007年
- 3月24日の開幕戦から11試合連続ヒットを記録する。
- 5月6日、2008年北京オリンピック日本代表選手・第一次候補選手に選ばれる(同球団からは他に礒部公一、青山浩二、田中将大らが選出された)。
- 7月20日、21日に行われたオールスター戦に、ファン投票で選出され出場する。第1戦(東京ドーム)では途中出場、第2戦(フルスタ宮城)では1番センターでスタメン出場した。同球団からは鉄平含め合計8名が選出された。
- 8月7日、北海道日本ハム戦(札幌)でライアン・グリン投手から第10号本塁打を放つ。同球団の中で、2桁ホームランを記録した6番目の選手となった(これまでに2桁本塁打を記録している楽天選手はルイス・ロペス、吉岡雄二、礒部公一、山崎武司、ホセ・フェルナンデス)。
- チーム2位の135試合に出場した。打率.254、出塁率.311は共に昨年よりダウンするも、本塁打が10本と、プロ初の2桁を残した。打順はシーズン通して一定しなかったが、下位打線で出場することが多かった。
人物・エピソード
この記事に雑多な内容を羅列した節があります。 |
- 両親、兄は共に学校教師。
- 父親がちばてつやの剣道マンガ『おれは鉄兵』のファンで、そこから「鉄平」と名前付けられた。この由来は歌手・俳優の小池徹平と同じである。強い子に育ってほしいという願いがこめられている。
- 好物は具なしのおにぎり。本人によれば、「具を色々入れるとややこい(ややこしい)」ために具なしを好む。2007年度からは鉄平がプロデュースした弁当『鉄平おにぎり(具なし)』が本拠地宮城球場で発売されている。『鉄平おにぎり』には「鉄平直筆手ぬぐい」が付録として入っており、レフトスタンドの多くの観客がこの手ぬぐいを掲げて応援している。この手ぬぐいも含め、掲げられる応援ボード類の数はイーグルス選手の中でも一番多い。[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。
- 牧田明久とは中日の二軍時代からの知り合いで特に仲が良い。同世代の選手ともよく話をする。
- 中日ドラゴンズ入団時は遊撃手であったが、「もう外野に行け」と言われるほど伸び悩んだ。自身も、当時「内野はもうやりたくない」とまで考えていたことを後のインタビューで明かしている。
- 川崎憲次郎は高校の先輩。「川崎さんの投げる試合で守りたい」と目標を語っていたが、川崎の引退により叶わなくなった。
- 2006年前半は、バックホームをする際、あらぬ方向に投げてしまう等のプレーをしばしば見せ、野村克也監督から「この選手はちょっとおかしいね」と言われていたが、後半には「鉄平は本物になっちゃった」「お前に休まれては困る」「鉄平は張本二世。安物の張本や(当時推定年俸が1000万と安かった)」等のコメントをもらった。
- 2006年オフ、年俸が220%アップした際には。「自費で新幹線に乗るときはいつも自由席だったけど、これからは座席が広いグリーン車に乗れそうです」と、コメントをした。[2]
- 2007年、楽天イーグルスTVで「今日の鉄平」というミニコーナーが作られ、1年を通して放映された。
- ラジオ番組『We Are Eagler』の公開収録が2007年11月11日に行われ、ゲストは渡辺直人、枡田慎太郎であったが、前触れもなく突如会場に姿を表し、その場にいた司会者・選手・観客を驚かせた。
- タスケの運営する携帯電話アプリゲーム「めざせ!プロ野球オンライン」では登録名が「鉄平」ではなく「土谷」として登場する(2007年8月現在)。
- ゴルフが趣味。同僚の牧田明久にコツを教えてもらったりもするというが、2006年に行われた選手会のゴルフコンペでは最下位となった。
- TBCラジオ(東北放送)の『TBC Sports Paradise』に出演した折り、「将来仮に松坂大輔と同額のポスティングをされた場合、メジャーリーグに移籍するか?」という質問に対して、「自分は日本が好きだし、日本人だからメジャーには行かない」とコメント。
- 2006年プロ入り後初本塁打を放っては「全力で走らなくて良いから楽です」、2006年にシーズン3割を記録しては「申し訳ないですね、インチキですから」(鉄平の打率が最終的に3割を切らないように監督やコーチが出場を調整したため謙遜して)とコメントした
- 野村監督から「休日に練習しているのは鉄平ぐらいか」と最初に名前を挙げられるほど練習熱心。2007年、鉄平を含むオールスター出場組は休日となっていた練習日にひとり自主的に練習に参加した。また、同僚の渡邉恒樹も鉄平の練習に対する姿勢をブログの中で書いている。
- 地元Kスタ(主催地方ゲームを含む)での一回表の守備に付く時の場内放送のイーグルス選手の紹介では「火の玉ボーイ・鉄平」と紹介される。
登場曲
- 『独眼竜政宗メインテーマ』 池辺晋一郎 (2007年5月前半頃まで)
- 『TOKYO通信〜Urbs Communication〜』 SOUL'd OUT (2007年5月途中から)
- 『VOODOO KINGDOM』 SOUL'd OUT (2008年)
獲得タイトル・表彰など
- ファーム日本選手権 最優秀選手賞 (2004年)
- JA全農Go・Go賞 好捕賞 (2006年)
- オールスターゲーム出場 (2007年)
年度別成績
年度 | チーム | 背番号 | 試合 | 打数 | 安打 | 得点 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 四死球 | 犠打 | 犠飛 | 盗塁 | 三振 | 打率 |
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2001 | 中日 | 46 | 一軍出場なし | |||||||||||||
2002 | ||||||||||||||||
2003 | ||||||||||||||||
2004 | 50 | 27 | 5 | 9 | 2 | 0 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | 3 | 9 | .185 | ||
2005 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | ||
2006 | 楽天 | 103 | 396 | 120 | 44 | 17 | 7 | 2 | 29 | 30 | 6 | 0 | 10 | 68 | .303 | |
2007 | 135 | 472 | 120 | 57 | 18 | 2 | 10 | 48 | 39 | 12 | 1 | 8 | 73 | .254 | ||
通算(7年) | 290 | 895 | 245 | 110 | 37 | 9 | 12 | 77 | 73 | 19 | 1 | 21 | 150 | .274 |
※太字はリーグ最多、最高成績
記録
- 初出場:2004年4月30日、対横浜ベイスターズ3回戦(ナゴヤドーム)、7回裏に代打として出場
- 初安打:同上、7回裏に加藤武治から
- 初本塁打:2006年4月22日、対西武ライオンズ(フルスタ宮城)、7回裏に西口文也から
- 初打点:2006年3月28日、対オリックス・バファローズ1回戦(フルスタ宮城)、5回裏にトム・デイビーから
- 初盗塁:2004年5月29日、対阪神タイガース11回戦(ナゴヤドーム)、8回裏に二盗
脚注
- ^ 楽天イーグルス公式サイト Featured Players Vol.020鉄平 参照
- ^ 【12月7日】2006年(平18) 楽天・鉄平、年俸220%UP