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「柳生利厳」の版間の差分

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*「柳生武芸帳」([[五味康祐]])
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*「柳生兵庫助」([[津本陽]])
*「柳生兵庫助」([[津本陽]])
*「[[宮本武蔵]]」([[吉川英治]])
*「[[宮本武蔵 (小説)|宮本武蔵]]」([[吉川英治]])
*「[[影武者徳川家康]]」([[隆慶一郎]])
*「[[影武者徳川家康]]」([[隆慶一郎]])
*「[[魔界転生]]」([[山田風太郎]])
*「[[魔界転生]]」([[山田風太郎]])

2008年9月12日 (金) 14:58時点における版

柳生 利厳(やぎゅう としよし、1579年天正7年)- 1650年慶安3年))は、江戸時代初期の剣術家。柳生宗厳(石舟斎)の長男・柳生厳勝の次男。妻は島左近の娘の珠。通称は兵助兵庫助如雲斎四友居士など。尾張柳生家の初代。息子に柳生厳包(連也斎)がいる。

幼児から祖父・石舟斎のもとで剣術を学んだ。また、阿多棒庵より新当流長太刀(穴沢流薙刀術)を学び、皆伝を授かった。
1603年慶長8年)から1607年(慶長12年)までの4年間、肥後国熊本の加藤清正に仕え、その後、諸国巡遊の旅に出た。この諸国巡遊の旅に出る理由は諸説あり、柳生一門の者を斬ったためだともされている。 また吉川英治の小説などでは、この諸国巡遊の旅の時に宮本武蔵と対峙している所が描かれているが、実際に対峙したかは不明。

1615年元和元年)から尾張徳川氏の家老・成瀬正典の推挙で徳川義直に仕えた。利厳はここで義直に新陰流を直伝している。その後、利厳は義直に30年にわたって兵法指南役として仕えた。

柳生利厳の登場する作品

小説