コンテンツにスキップ

「片岡愛之助 (5代目)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Ajcxx (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
編集の要約なし
1行目: 1行目:
5代目'''片岡 愛之助'''(5だいめ かたおか あいのすけ、[[1905年]]([[明治]]38年)[[10月10日]] - [[1973年]]([[昭和]]48年)[[10月26日]])は関西の歌舞伎役者。本名三原幸三郎。屋号松広屋。
5代目'''片岡 愛之助'''(5だいめ かたおか あいのすけ、[[1905年]]([[明治]]38年)[[10月10日]] - [[1973年]]([[昭和]]48年)[[10月26日]])は関西の歌舞伎役者。本名'''三原幸三郎'''。屋号松広屋。


大阪の骨董商の家に生まれる。[[中村成若]](後の[[市川新昇]])の養子となり[[1909年]](明治42年)8月大阪本町座で市川新左衛門の名で初舞台。その後養父の死もあって廃業するが、[[1920年]]([[大正]]9年)12代目[[片岡我童]]([[片岡仁左衛門 (12代目)|12代目片岡仁左衛門]])に入門、片岡我久三郎と名乗り舞台復帰。[[1928年]](昭和3年)に名題昇進。[[1943年]](昭和18年)4月東京歌舞伎座『与話情浮名横櫛・源氏店』の下女役で5代目[[片岡愛之助]]襲名。主として関西歌舞伎に活躍、老役を中心にわきを固めた。地味ながらも演技は巧く新派にも出演したり、[[中村勘三郎 (17代目)|17代目中村勘三郎]]とも共演した。
大阪の骨董商の家に生まれる。[[中村成若]](後の[[市川新昇]])の養子となり[[1909年]](明治42年)8月大阪本町座で市川新左衛門の名で初舞台。その後養父の死もあって廃業するが、[[1920年]]([[大正]]9年)12代目[[片岡我童]]([[片岡仁左衛門 (12代目)|12代目片岡仁左衛門]])に入門、片岡我久三郎と名乗り舞台復帰。[[1928年]](昭和3年)に名題昇進。[[1943年]](昭和18年)4月東京歌舞伎座『与話情浮名横櫛・源氏店』の下女役で5代目[[片岡愛之助]]襲名。主として関西歌舞伎に活躍、老役を中心にわきを固めた。地味ながらも演技は巧く新派にも出演したり、[[中村勘三郎 (17代目)|17代目中村勘三郎]]とも共演した。


{{DEFAULTSORT:かたおか あいのすけ5}}
{{DEFAULTSORT:かたおか あいのすけ5}}
{{People-stub}}
[[Category:歌舞伎役者]]
[[Category:歌舞伎役者]]
[[Category:1905年生]]
[[Category:1905年生]]
[[Category:1973年没]]
[[Category:1973年没]]
{{Actor-stub}}

2008年10月5日 (日) 16:43時点における版

5代目片岡 愛之助(5だいめ かたおか あいのすけ、1905年明治38年)10月10日 - 1973年昭和48年)10月26日)は関西の歌舞伎役者。本名三原幸三郎。屋号松広屋。

大阪の骨董商の家に生まれる。中村成若(後の市川新昇)の養子となり1909年(明治42年)8月大阪本町座で市川新左衛門の名で初舞台。その後養父の死もあって廃業するが、1920年大正9年)12代目片岡我童12代目片岡仁左衛門)に入門、片岡我久三郎と名乗り舞台復帰。1928年(昭和3年)に名題昇進。1943年(昭和18年)4月東京歌舞伎座『与話情浮名横櫛・源氏店』の下女役で5代目片岡愛之助襲名。主として関西歌舞伎に活躍、老役を中心にわきを固めた。地味ながらも演技は巧く新派にも出演したり、17代目中村勘三郎とも共演した。